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宮原少年の怪奇譚 ~桜無垢の巫女~  作者: 北森青乃
第1章 宮原透也という青年
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壊れた

 



 ふう。

 わたしは一息つくと、壁に掛かった時計に目を向ける。少し薄暗い中、見えた数字は5時30分。正面には閉められたカーテンが見える。

 わたしはソファーから降りると、ゆっくりとカーテンの方に向かってそれを掴む。右から左に開けていった先には、薄暗い中うっすらと太陽が顔を覗かせていた。変わらない景色がそこに広がっている。


 いつもとかわらない。そう、いつもと変わらない。わたしは朝がたまらなく嫌だった。

 何1つ変わらず、時間だけが過ぎ去ってしまう。それを思い出してしまうから。


 何度も何度も理解しようとした。

 何度も何度も納得しようとした。

 何度も何度も前へ進もうと思った。

 だけど、いくらそうしても心の奥底には失った事実が突き刺さっている。


 後ろに体の向きを変えて、寝ていたソファーの方へ歩き出すとそのままソファーにもたれ掛かる。そのままじっと天井を見つめた。なにかを考えるわけでもなく、ただただじっと見つめる。


「あっ、朝ご飯食べないと」


 ふと思い出したことが、無意識に口から出ていた。

 鷹野先生に言われたことが、少しずつ頭の中に浮かんでくる。


 ご飯はきちんと食べるよ?

 なにかあったらすぐに連絡するのよ?

 もっと先生を頼るのよ?

 どれだけ時間がかかってもいい。だから自分を、真白を見失わないで?


 その他にもたくさん言っていたけれど、正直これぐらいしか覚えてなかった。

 そんなことを話していた鷹野先生は、いつも通り明るくて優しかった。けど、時折心配そうな、悲しい表情を見せていた。その表情を忘れることができない。


 そういえば1番先に病院へ来てくれたのも鷹野先生だったっけ……。あっ、その後みっちゃんも来てくれたんだよね。めちゃくちゃ泣きながら心配してくれてたなぁ。

 たぶん気を遣って今も極力連絡とかしないでくれてるんだよね……。無理させて、色々気を遣わせて、たくさん迷惑かけて……。

 感謝の気持ちと申し訳ない気持ちが入り交じる。


 とりあえず……コンビニ行こうかな。

 気持ちの整理は全然つかない。けど、今は約束を守りたい。これ以上みんなを心配させたくない。そう思った。


 わたしはソファーから立ち上がると、横にある椅子に掛けられた七分丈の薄い紺色のカーディガンを掴んで袖を通す。そして椅子の前にあるハイテーブルの上から、家の鍵を取ると玄関の方に向かう。

 ドアを開けると、玄関にあるスタンドミラーで、全身を眺める。Tシャツにカーディガン、ズボンはジャージ。コンビニに行くだけなら、これで十分だった。そのまま少しだけ髪を整えた後、靴を履いてドアノブに手を掛けると、わたしは玄関のドアを開けた。


 マンションの廊下にでると、そこには誰もいなかった。少しホッとしながら、鍵を閉めると非常階段の方に向かう。

 あれからマンションに住んでいる人に会うたびに、


 大丈夫?

 気を確かにね?

 顔を知っている人達には揃ってそんなことを言われた。別の階やあんまり関わりのない人達は、わたしを見た瞬間に視線を反らして、よそよそしく通り過ぎたりした。

 でも、わたしが居なくなった後、みんな決まってヒソヒソと同じことを言う。


 事故ですって。

 皆亡くなったって。

 あの子どうなるのかしら?

 知らないわよ。

 でも、保険金たくさん来たんじゃない?

 あなた声大きいわよ。


 そんなのもいい加減聞き飽きちゃった。今はそんなヒソヒソ話もはなくなってきたけど、それでも人には極力会いたくない。まぁ、こんな朝早い時間だったら尚更誰にも会わないと思うけど……。


 非常階段の前に着くと、わたしはおもむろに階段を下り始める。大きなビルに、巴公園。階段から見える風景を見ながらゆっくりと下りていく。

 階段を使うようになってから半月くらいかな。最初は人に会うのが嫌で、仕方なく使っていた。それに6階からの上り下りは、体力的にもキツかったっけ。帰ってくる時は、息は切れてて汗も止まらなくて……。あの時のわたし、ひどかっただろうな。

 思い出すだけで少し恥ずかしくなる。だけど、慣れっていうのかな。今では、周りの風景を楽しめるようさえになった。


 毎日同じようで、でもどこか少し違う風景。それを探すのが楽しくて、すべてを忘れられる唯一の時間になっていた。

 ただ、そんな時間はあっという間に過ぎてしまう。気が付けばもう2階まで下りて来ていた。人の声や、車の音が大きくなるにつれて、わたしは現実へ戻っていく。

 そして、目の前の歩道へと足を踏み入れると、そのままマンションの隣にあるコンビニへに入っていった。


 コンビニへ入ると、わたしは財布開けて中身を見る。財布の中には2千円しか入っていなかった。


 まずいな。殆どお金下ろしてなかったからなぁ……。手数料掛かるけど、ATMで下ろしとこうかな。

 ATMを探して店内を見渡すと、本が置かれているラックの奥にATMがあるのを見つけた。


 みっけ。

 財布を握りしめて、その前まで来るとタッチパネルを操作しながら少し考える。


 いくらにしよう? 20000円くらいかな……

 2・万っと。

 確認ボタンを押して出てきた20000円を財布へ入れると、わたしは商品が置かれている棚へと向かう。


 なににしようか。でもお昼は自分で作らないと、3食コンビニはさすがに体に悪そうだし……。

 悩んだあげく、おにぎり2つとペットボトルのお茶を手に取ってレジの方へに向かう。会計の途中で、


 冷蔵庫に食材あったかな? あれ? 昨日使っちゃったような……。やばい! なんにもないかも!

 そんな事を考えていると、


「360円になります!」


 店員の声にハッとして、少し焦りながら財布から1000円札を取り出す。差し出されたビニール袋とお釣りを受け取ると、わたしはそれを財布に入れながらコンビニを後にした。そしていつもの通りマンションの非常階段へと向かって、おもむろに階段を上がり始める。


 この時期になっても、この時間帯はまだ涼しく感じる。日中に階段を上る時には汗が止まらない程暑いから、それに比べるととても気持が良かった。下りる時と同じように、周りの景色を見ながらあっという間に6階に着いていた。そのまま家の前に着くと、ポケットから取り出した鍵でドアを開けて少し薄暗い玄関へと入る。


 ふぅ……

 自然と口から息がこぼれる。靴を脱いで、リビングのドアを開けると、さっき座っていたソファーの方に向かう。持っていた鍵と財布、ビニール袋をソファーの上に置くと、自分も体を預けるように座り込んだ。窓からこぼれる日光がさっきより強く、大きくなっているのが分かる。


 喉渇いたな……

 わたしはビニール袋からお茶を取り出すと、蓋を開け数口飲んだ。冷たいお茶が口の中から体の中に入っていくのが分かる。体の中が一瞬で涼しくなって、何ともいえないすっきりとした感覚が体を包み込むと、その余韻を感じながらお茶の蓋を閉める。

 少しだけ前傾姿勢になりながら、持っていたお茶をテーブルに置こうとした時だった、手からすっぽ抜けて、テーブルの上に落ちてしまった。


 あっ……

 落ちたお茶はテーブルの上を小さく跳ねると、どんどん遠くにと行ってしまう。すぐに聞こえるカツンっという音。埃をかぶったテレビのリモコンがお茶の勢いに押されて、どちらもテーブルの下へと落ちていく。その少し後にはゴツッ、ガツッとカーペット上に物が落ちる音が部屋に響いた。


 あちゃ……

 そう思いながら、お茶とリモコンを拾おうとソファーから立ち上がった時だった。


『――――――ってことなんですよ!』


 突然聞こえた音に


「うわっ」


 思わず声が出てしまう。テレビの画面がいきなり点いて、朝のニュース番組が映し出されていた。


 なんで? いきなり? まっ、まぁとりあえずお茶拾おうかな……

 少し焦りながら、一瞬テレビの画面を見たけど、すぐにテーブルの下に視線を移す。その先にはお茶とテレビのリモコンが落ちていた。


 ん? もしかして……さっきお茶がぶつかったときに電源のボタンに当たっちゃった?

 そんなことを考えながら、わたしは落ちていたリモコンを拾うと、それをテレビの方に向ける。


『次のニュースです。先月起こったトラックと乗用車の衝突事故から、約1カ月が経とうと――――――』


 その言葉に、リモコンの電源ボタンを押そうとしていた手が止まった。

 自分でもわからない。なんで押さないのか。押せないのか。


 見てはいけないのに……。今まで必死に見ないようにしていたのに……。

 画面に浮かぶ、その【衝突事故】という文字から、目が離せなかった。

 そしてテレビの画面が切り替わると、そこにはパパとママ、おばあちゃんの名前、その下には次女という文字が映し出されている。


 それを見た瞬間、わたしの耳にはなんの音も聞こえなくなった。無音の中、ただただ皆の名前を眺めるることしか出来なかった。


 名前の横に当時の事故現場の映像が流れる。

 白い乗用車……。わたし達が乗っていた車……。片側が大きく潰れていて、ガードレールを突き破って、山の側面近くに横転している。


 一気に心臓が締め付けられ、呼吸がうまく出来ない。体の底から寒気が突き抜ける。

 そして再び、画面が切り替わると、そこには男が映し出された。金髪にパーマ。口には赤い玉みたいなのが付いたピアス。その男の下にはこう書かれていた。

 三好(みよし)……(ごう)……

 そしてその名前の前にはこう書かれてる。


『容疑者』


 それを目にした瞬間、呼吸が速くなる。自分でも、きちんと息を吸っているのか、吐いているのか分からないくらい浅くて速い呼吸。それに心臓の鼓動が合せるように動いている。


 この男が……犯人……。

 皆を殺した……犯人……!

 頭の中に、あの時の光景が甦る。



 目が眩むほどの光。


「くそっ!」


「きゃあぁ!」


 聞こえてきた、パパとママの叫び声。体が浮いたと同時に、聞こえてきたブレーキ音。

 そして、まるで地震のような……今までに感じたことのない衝撃と、激しい金属音。


 それが耳に届いた瞬間に目の前が真っ暗になる。何度か瞬きをし、瞼をゆっくりと開けると、目の前はぼやけていた。そして次第に鮮明になる。


 横にもたれる様に座っているパパ、首がだらんとしている。

 ひび割れて、赤くなっている窓ガラスに頭をくっ付けているママ。



「うっ……」


 その瞬間、激しい吐き気が胃の中から込み上げてきた。

 わたしは口を手で押さえると、急いでトイレに向かった。小走りでリビングを抜けて、トイレのドアを勢いよく開ける。そのままトイレの蓋と便座を一気に上げると、その中に顔を覗かせた。


 その瞬間、お腹から胸へと力が入り、背中が何度も波打った。喉がとても熱い。


 何度かそれを繰り返すうちに、徐々に吐き気も治まっていった。はぁ……はぁ……。大きな呼吸の音と、心臓の鼓動だけが響いている。


 吐き気が治まった所で、わたしは壁についているトイレのボタンを押す。力が上手く入らない体を、無理やり動かして壁に寄り掛ると、そのまま座り込む。

 なにも考えられない。顔をだらんと下に向けたまま、床を見ている事しか出来なかった。


「わたし……やっぱり無理だよ……」


 あれから1ヶ月。鷹野先生や、心配してくれたみっちゃんの為になんとか乗り越えなきゃと思った。

 すべて受け止めようとがんばった。

 お葬式の時だって、泣かなかった。

 泣いてもどうにもならないから。もう前へ進むしかないから。

 いろんな人達の前で、無理やり笑顔を作って、強がって大丈夫な振りをした。


 そんな姿で自分を覆って……、強いわたしっていう殻を作ってきた……


 なのに、1度だけ……。たったの数秒あの時の映像を見ただけで、必死に作ってきた強いわたしの殻は、一瞬で崩れてしまった。


 胸が締め付けられる。瞼の下が少しずつ霞んできて、少しだけ重みを感じる。


「パパ、ママ、真言、おばあちゃん……もう皆帰ってこないんだね……」

「みんな……いないんだね……」


 今まで心の中では何度も思っていた。

 だけど、決して口には出さなかったその言葉を、わたしは呟いた。

 それと一緒に、瞼に溜まった涙が頬を伝って流れる。


「うあぁぁぁ!!」


 喉が痛い、顔が熱い、瞼からは絶え間なく涙が溢れる。

 声が出る限り叫んで、止まることのない涙を、ひたすら両手で拭った。

 叫び続ける喉からは、次第に咳が出てきてその咳で呼吸もどんどん苦しくなっていく。


 みんないない。

 だれもいない。

 あの一瞬で。

 わたしは独りぼっちだ。


 その事実が胸に突き刺さる。

 胸の痛みが治まらない。そして、今までに経験したことのない悲壮感と絶望感に覆い尽くされる。

 悲しい。苦しい。つらい。寂しい。溢れ出す感情そのままに、わたしはひたすら泣き叫んだ。



 どれくらい経っただろう、涙はもう枯れていた。自分の息遣いだけがトイレの中に響いている。

 頭の中がボーっとして、何も考えられない。まるで抜け殻の様にただ座っているだけだった。


 体中がだるくて、脱力感に襲われる。そして段々と瞼が重くなってきた。

 目の前がぼやけて、視界が暗くなっていく。


 そして、いつしか目の前は真っ黒く染まっていた。




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