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死に損なったエーデルワイス  作者: 釘抜き
一章《返り咲く雪の花》
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8話『システム』

 状況を整理しよう。

 場は探偵事務所の裏手の大通りの交差点近く。

 敵は10m先で両の手を黒いライダースーツのポケットに突っ込んで仁王立ちする赤髪の男。暴走族『大嵐(ストーム)連合』リーダーの嵐条颯斗(らんじょうはやと)

 限定的に風速200mを超える暴風を巻き起こし、20mもの距離を一瞬で詰めてしまう怪物だ。

 加えて、キック一つで60kgはある僕の体を10mは弾き飛ばす卓越した身体能力も無視はできない。何しろ対する僕はまともに喧嘩の一つもしたことのないような平凡な男子校生。当然、異能など使えるはずもない。たとえ嵐条が異能を封じたとしても僕に勝ち目はないだろう。


「────、」


 エデは嵐条の後方で尻餅をついていた。

 近づこうとすればまたあの風が来る。いや、今この場で烈風を使って僕を瞬殺することも大いに可能だろう。

 そうしないのは奴の慢心の現れ。ただ一つの隙であった。


 だから。

 僕のとる戦法はただ一つ。その虚を突く一発限りの速攻だった。


「おおおおおおおおおおおおおおッ!!」


 僕は左手を背に、嵐条に向かって遮二無二走りだす。

 嵐条の目から見れば自棄を起こしたように見える無様な姿だろうが、これでも浅知恵一つ引っ提げての突撃だ。

 それも奴が間合いを詰めさせずに遠巻きから風で叩き伏せるという戦法を取っていれば通用するはずのない不意打ちだが。


 右手を構えて、力任せに嵐条の顔面に向けて殴りかかる。


「はあ?なんだそれ」


 興を削がれたといった顔をして、嵐条は容易く僕の拳を掴みとると、自分の方に引きつける。このまま得意の膝蹴りを入れるつもりなのだろう。

 だが、僕はそのまま跳ねるように地面を蹴って嵐条にしなだれかかるように体当たりをした。

 それは十分に嵐条の奇を(てら)ったが、それだけではこの男を一歩たりとも動かすことは出来なかっただろう。


 そう。

 それだけでは。


「ッ────!!」


 赤髪が小さく声を漏らし、体をぐらつかせた。

 僕は、左手に隠していた木の枝を嵐条の軸足に突き立てていた。先程、僕の太腿を貫いていたものだ。

 いくら喧嘩慣れした不良とはいえ、重心となる脚を刺された状態で60kgものウェイトのある僕を受け止めるのは不可能だろう。

 そのまま僕は、嵐条を下敷きにするように、地面に倒れ込む。


 何も勝利条件は一つではない。

 逃げるというのが現実的な策ではないとわかった以上、出来ることは風で巻き上げられても大ダメージを喰らいにくい室内にまで移動して迎え撃つことのみ。

 虚を突いて倒したのだ。逃げ遂せることこそ出来なくとも、その程度の時間は工面できるはずだ。


 ひとまずは交差点を右に曲がり、適当なビルにでも────


 立ち上がろうとした瞬間に気づいた。


「な────ッ」


 この男、脚に木の枝を突き刺されておきながら、受けた拳を離さなかった。

 腕が空間に縫われたように固定されて動かない。

 嵐条は仰向けに倒れ込んだまま僕の腕を引き戻す。


(ま、ず……)


 そして、そのまま巴投げの要領で僕の体を後方に蹴飛ばした。

 僕の体は脅威的な速度で電柱にぶつかり、先程まで活発に働いていた思考は一瞬で停止した。


 視界が一瞬白みがかり、霞が開けた時には既にズオッ!!と圧倒的な風圧と共に嵐条の右足が顔面に向かって迫っていた。

 枝が突き刺さって傷んだはずの右足を軸にしている。


 ────まずい。この蹴りは、まともに受けたら死ぬやつだ。

 咄嗟に顔を庇うように両手を使ってガードすると、両腕が軋むような音がして、また薙ぎ倒されるように横合いに吹っ飛ぶ。

 奇跡的に転がるようにして受け身を取れたが、赤毛の男は止まらない。

 奴は、不条理なまでの速度で間合いを詰め、その勢いのまま、僕の体に一撃、二擊と拳を入れる。


 殴られる痛みに慣れていない僕の体は、たったそれだけで悲鳴をあげ、脳神経は焼き切れんばかりに電気信号を上げた。

 僕は起死回生とばかりに、無茶苦茶に目の前の嵐条に向けて突き飛ばすように蹴りを放つがその蹴り足は、ただ空を切るだけに終わる。いや、正確にはその姿の残像を切るだけに、だ。


「遅えぞ」


 その声はちょうど背後から。

 聞こえた直後にまた風が吹き荒れ、僕の背中は男の硬い靴を受け止めた。


「ガッ……!?」


 いくらなんでも速すぎる。

 残像が見えたのだ。こんな速度、人間の身体能力では説明がつかない。


 僕はあまりの痛みに膝をつき、吹き荒れる暴風の中心にいる嵐条を見上げる。

 彼は悠々と佇みながら、右足に突き刺さった枝を軽く抜いて地面へ放り投げた。


「まさ、か……」


「そう、テメェの推測通りだろうよ。俺の異能は『風を起こす異能(エアロキネシス)』。そして……」


 あの高速移動の正体は……。


「僕の体を巻き上げたあの風を……自分の体に……?」


 だとすれば、それはもはや飛行ですらなく射出に近い。一瞬で僕の体を40m近く巻いあげる風を、自分自身の移動に適用できるほどの精度で操れているというのか?


「そう、ご明察。お前もいい線いってんだが、それでも俺の方が万倍強えらしいぜ」


 男はつまらなさそうに笑う。

 その顔からは、おおよそ勝者の感慨と呼べるものが何一つ感じとれなかった。むしろ、何か期待していたものが大外れしたような、肩透かしをくらったような。そんな冷め切った目で、僕のことを見ていたのだ。


「……もういいわお前。そろそろ死んでくれや」


 男は適当に右手を掲げる。

 ゴォアッ!!と。

 野火木町中の風がその一点に集まり、圧縮されていった。

 あの一陣一陣、もはや目に見えてしまうほどの空気全てが、僕を上空に舞い上げた烈風と同等の力を持つのだ。

 下から受ければ40m近く投げ飛ばされた。真横から受ければどうなるかなど、想像もつかなかい。

 これまで幾度か味わった死の予兆が、またもや僕の心臓を握り潰す。


 ────ここまでか。

 ひょんな事から裏社会の軋轢に巻き込まれ、異能なんてよくわからないものに二度もその身を砕かれ、それでも彼女を守る為に奔走した。

 頑張った。十分にやった。チートの具現のような嵐条相手に、ここまで善戦したのだ。それだけで価値のあることなんじゃないか?


 じわじわと、布を水に浸すようにとっぷりと、諦念の海に意識が沈んでいく。

 体ももう動かない。万事休すとはこの事だ。


 ────なのに、なんで白髪の少女は、未だに僕に縋るのだろう。


 一目散に逃げればいいものを、エデはまた駆けつけて僕の体に擦り寄る。

 思えばあの時もそうだった。なぜこの子は、僕のことを見捨ててくれないんだろう。


「ぐっ……エデ……頼む……逃げてくれ……!」


 エデは涙目になって僕の体に手を当てながらかぶりをふる。

 体が奥底から暖かくなるような感覚がしてまた傷が癒えていく。

 そうやって、また戦わせるつもりだろうか。


「無駄だ白ガキ、コイツを受けちまえばもう助からねえよ。死にたくなけりゃ電柱にでも掴まってろ」


 彼は死刑宣告のように重たく言い放った。

 そうだ。僕を見捨てればきっとエデは助かる。何とかなるはずなんだ。

 ────なのに。


「ユタカを見捨てるぐらいなら……私が死んだ方がいいに決まってるっ!」


 頭を殴られたような衝撃だった。


 ────怖い。死ぬのは怖い。

 このまま親の顔も見れず、誰にも看取られずに死ぬのは、本当に怖い。


「……そうかよ。クソッタレ……胸糞悪ぃ」


「ぁ……!!」


「わかった、情けをくれてやるよ。……せめて二人揃って逝け」


 けど。僕は、僕の為に泣いてくれるこの子が死ぬ方が何倍も怖い!


 圧縮された風が迫り来る。

 服の端でも巻きこまれただけで僕の体は吹き飛ばされて死ぬだろう。

 だが、それでも僕はエデの前に庇い立つ。ちょうど、あの夜の焼き直しのように。

 脳内にフラッシュバックする恐怖。僕の体を貫いた砂の牙を、あの風は想起させる。

 ああ、せめて僕に何かしらの異能があれば、まともに嵐条とも戦えたのかもしれないのに。

 あの喪服の女のように、一撃で敵を屠り去る力。恐怖を植え付ける力が、僕にはない。


(寄越せよ……)


 頭の中でしつこく繰り返す死の記憶に向かって、言った。


「寄越せよ、神様……!!今すぐ、あの子を守れる力をッ!!」


 吠える。

 吼える。

 咆える。


 目には見えないシステムに向かって僕は声を枯らして叫んだ。







 そしてその時。追い風は止んだ。

 目の前には一面に土気色の何かが覆いかぶさっており、それが僕とエデを風から守っていた。

 それが大量の砂であると、僕は遅れて気づいた。


「……この、砂は……」


 この砂は……僕達の命を超自然の烈風から守ったのは。


 皮肉にも、あの夜に僕の肉を抉った女の操る砂、そのものだった。

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