6話『不吉』
投げ込まれたのは巨大な煉瓦だった。
鳥鞠探偵事務所は、小さな雑居ビルの二階に位置している。襲撃者は、地にガラスの雨が降り注ぐこともまったく気にせず、鈍器を投げ込んできたらしい。
「赤い点が少なくとも十つに……まずいな、黒い点が一つ。敵には異能使いがいるぞ!」
鳥鞠は畳み掛けるように早口で言う。
何が起きているのかさっぱりわからない。鳥鞠はまるでレーダーでも観ているかのような喋り方をするが、その赤い点や黒い点というのは、鳥鞠の異能に関係する言葉なのか?
考える暇もなく、また煉瓦が投げ込まれ、探偵事務所のガラス張りの窓を叩き割っていく。
ヴォヴォヴォヴォヴォンッッッ!!と空気を叩く爆音が鳴り響く。
それは、バイクのエンジン音のようだった。
どうやらその音の主たちが、この事務所を襲撃したらしい。
「何ッ……!?暴走族か……!?」
「……だろうね、このタイミングを見てエーデルワイスが目的と見て間違いないだろうさ!」
暴走族という呼称は些か安易すぎる気がしたが、鳥鞠は肯定する。なにか、心当たりがあるのだろうか……?
「どういうことですか……!エデを追っているのは五陵会っていう話じゃ……」
「その通り、この街の裏社会を統括しているのは五陵会だ。逆に言ってしまえば、この街に生きる悪党たちの全ては五陵会には逆らえない!」
「……あいつら、暴走族をけしかけてきたのか……!?」
なんということだ。
ということは、つまり。五陵会を敵に回すということは、この街で住んでいられなくなることを表すのではないか?
「……エデッ!!」
僕は叫ぶと、エデを腕を掴んで窓際のソファから遠ざける。直後に、彼女がいたソファにガラスの破片が突き刺さった。
「そのまま逃げろ!ここに登ってきた奴らは私がたたき落とす!君たちは一刻も早く裏から逃げて警察に駆け込むんだ!」
陰には陽。影には光。
なるほど、裏社会の刺客から身を守るには確かにそれしか手がないのかもしれない。
だが、しかし。
エデはどうなる?曲がりなりにもマフィアの身で警察に駆け込めば、彼女はどのような処分を下されるのか。僕の脳では想像すらできなかった。後のことを考えれば、長い目で見ればそれが本当に最善策と言えるのか……?
それに、ここで逃げるということは鳥鞠を見捨てるということに
「早くッ!!」
どうすればいいかわからずに思考が凍結しかけた僕の耳を、鳥鞠の怒声が劈く。
そうだ、迷っている暇などない。この子を守ると決めたはずだ。何よりもエデを優先すると決めたはずだ。
僕はエデを手を強く引いて、小さな階段を駆け下り探偵事務所の外に出た。
異常には、即座に気づいた。
朝の大通りにも関わらず、街には一つも車が通っていない。いや、そればかりか、人っ子一人いないのだ。
「────、」
エデが何事か言おうとしたが、嫌な予感がしてすぐに口を手で覆う。
まずい。人混みに隠れて逃げるという手を潰された。交通規制でも敷いたか?奴らならそれぐらいの事はやりそうだ。或いは……
僕達は何かから隠れるように静かに、しかし速やかに無人の街を進む。
……いくら何でも静か過ぎる。
十人ものバイクに乗った暴徒がいたのだ。エンジン音の一つでも聞こえてもいいのではないか……?
『敵には異能使いがいるぞ!』
鳥鞠の声が脳内でリフレインする。
敵は十人の暴走族と、異能使いが一人いるのだ。
単体で軍ともやりあえるという、異能使いが、だ。
「……!!」
陽動、という言葉が頭に過ぎる。
僕はまた選択を間違えたのかもしれない。
────この状況は、あの夜の焼き直しのようだった。
そして、一本道の大通りの車道の真反対側から、人の形をした『不吉』が姿を表した。
真っ黒なライダースーツに、フルフェイスのヘルメットをかぶった男が、一歩一歩地を踏みしめて歩いてくる。
男は丸腰だが、そんなもので戦力など測れるはずがない。敵は異能使い。即ち、数時間前に僕の腹を穿った怪物の同類である。
男は頭に片手をかけると、黒を基調としたヘルメットを投げ捨てる。
敵は、僕より少し歳上くらいの青年だった。
炎のように、或いは血のように真っ赤に染め上げられた髪を風になびかせながら、ゆっくりと、ゆっくりとこちらに歩いてくる。
顔立ちこそ整っているが、その目つきはさながら獲物を捉えた虎のように獰猛なものだった。
「まず、い……」
双方の距離は目算40mほど。
しかし、異能使いの前に間合いなんてものはアテにならない。
その事実を、僕は五秒後にその身を以て知ることとなる。
「まずい!!エデ、逃げ……」
僕とエデの間を、冷たい木枯らしが通り抜けた。
その直後だった。
「え」
エデが間抜けな声を上げたのに数瞬遅れて気がついた。
立ち並ぶ街の建造物を、僕は何故か真上から見下ろしていた。
42m上空から見る街の景色は、さながらジオラマのようだった。
風が巻き上がって、飛ばされた……?
やけに頭が早く働くあの時の感覚。
それを感じた二秒後に、地面という回避不能の鈍器が、とてつもない勢いで僕に迫ってきた。