4話『アンノウン』
現在時刻、8時52分。
あの夜から、既に8時間が経過していた。
喪服の女によって内臓を抉られた僕はなぜが生き延びており、同様にエーデルワイスも助かっていた。
僕達を回収したのは、探偵の鳥鞠看取だった。彼は僕に日常の裏側について語る。
五陵会。
人を容易く殺める力を持った異能使いを擁する極道組織。
どうやら僕は、踏み込んではいけない領分に足を踏み入れてしまったらしい。
そして、今。最後のファクターが目を覚ます。
「え……?」
黒いソファから起き上がると、彼女は訳が分からないといった様子で周りを見渡す。
彼女もまた、この状況が把握しきれていないだろう。
「やあ、お目覚めみたいだね。お姫様」
鳥鞠は朗らかに目を細めながらこちらを見遣る。
「ここは……?五陵会じゃ、ない……?」
「ああとも。ここは鳥鞠探偵事務所。市民の味方、私立探偵様の根城さ」
「そしてわたしのおうちだよーっ!!」
黒髪の幼女がぴんと右手を上げて主張するように付け足す。
「サライ、話が拗れるから黙っていてくれないか……。今から私たち三人で大切な話をするんだから」
「むぅ〜……」
邪険に扱われた無邪気な少女サライは、ほっぺたを膨らませて事務所の扉を開け放つ。
「いいもん!カスミおねえちゃんにあそんでもらうから!」
「そうか。では事務所の前で彼女が帰ってくるまでずっと待っているといいさ。捨て犬かなにかに間違われて拾われないことを祈っておくよ」
鳥鞠の追い討ちを背中に受けた彼女は、涙目になりながらとうとう事務所を飛び出してしまった。
「さて……。そろそろ本題に入ろうか?それともこの場で再会を喜び合うかね、少年少女たち?」
エーデルワイスは暗い面持ちで僕の方を見遣った。
「……」
少女は沈黙し、僕はなんて声をかければいいのか分からなくなった。
ここで彼女に何を話しても恩着せがましい印象を与えてしまうような気がして、僕は沈黙に耐えることを選んだのだ。
「……なんで、ですか……?」
やがて観念したのか、エーデルワイスの方が口を開いた。
それはあの夜に彼女が僕に問いかけた言葉、そっくりそのままだった。
しかし、彼女のその目には、あの時とはまた違った種類の恐れの色が浮かんでるように思えた。
────ああ、無理もないだろう。
彼女は確かに僕に助けられた。いや、助けられてしまったのだろう。
会ったばかりの……いや、まともに話したことさえもないような男に、身を呈して庇われたのだ。ありがたいという感謝の気持ちより先に、訳が分からないという疑問が頭を埋め尽くすのは自明の理だった。
あの場で、彼女は僕の命と引き換えに生き永らえた。
……いや、死に損なったのだ。
実際には僕も彼女も助かった。しかし、それでもなお、ご都合主義みたいに飛び込んで来た正体不明の僕を恐れる彼女を、誰が責めることができようか。
「……僕は」
それでも僕は。
例え信用されなかったとしても。
彼女の不安を増長させるだけなのだとしても。
────自分の中に渦巻いていたカタチのない想いを、彼女に伝えた。
「……僕はあの一瞬で……君を一目見ただけで、助けなきゃと思ってしまった。なんでかなんて、今の僕にはわからない。だけど、君があの場で殺されることが、なぜか耐えられなかったんだ」
ああ、これが僕が人とコミュニケーションを取るのが苦手な由縁なのだろう。結局僕には、自分の感情を上手く人に伝えることなんて出来やしないんだ。
だけど。この決意だけは彼女ではなく自分に言い聞かせる為に、声高に発す。
「……そしてそれは、たぶん今も同じだ。僕は絶対に君を助けたい。昨日の僕が助けた君を、今の僕も助けたい……ッ!」
エーデルワイスは案の定呆然とした顔をした。
構うもんか。
引かれたって気味悪がられたっていい。
僕は踏み込む。
君が人様には言えない事情が、ヤクザに追われたって仕方のない事情があったとしても。
その懐深くに踏み込んで、絶対エーデルワイスを救ってやる。
「だから……教えてくれないか、エーデルワイス。君はなんで、あの女に追われていたんだ?」
彼女の目を見つめて僕は問うた。
彼女が僕の言葉をどう思ったのかは読み取れなかった。けれどエーデルワイスは、たしかに重い口を開いた。
「私は、五陵会の敵対組織『クリストファーグループ』に所属していた異能使いです」
僕が新しく出てきた言葉を口の中で繰り返すよりも早く、彼女はこう続けた。
「訳あってグループからは脱走しましたが……私だって彼らとは変わらない……」
白い髪の少女は、悲しいのか悔しいのか、とにかく辛そうな顔をしてその言葉を紡ぐ。
「マフィア、でした」