11話『顕れるリアル』
勝った。
僕はそう確信していた。
あの砂の触手の威力を身をもって知っているこの僕だからこそ、この攻撃にはある種の絶対的な信頼があった。
風の翼を使ってそれを自由自在に飛行していた嵐条は、10m空中で体を支えるものを失ってボロキレのように落下すると、背中から地面にぶつかり、横合いに転がって街路樹にぶつかってやっと停止した。
「死んでない……よな?」
この後に及んで、敵の命を心配するのは自分でも不自然極まりないが、戦闘能力さえ奪ってしまえば嵐条は単純に情報源として機能する。それをみすみすここで死なせてしまうわけにはいかない。
後ろのエデに怪我はないようで、訳が分からないと言った様子で、唖然としていた。
「終わったよ、エデ……」
「今、のって……ユタカの異能なの……?」
嵐条を貫いた触手を全て乖離させると、砂は雨でも降らすようにパラパラとゆっくり地面に落ちていく。
「えっと、どうだろ……よくわかんないけど、多分そうなんじゃないかな。僕の意思で操れたし……」
「……あの砂って……あの女の人の……」
「異能を再現する異能……かな。効果は僕にだって分からないし、どうやって発動したのかもよくわからない……」
エデは白い髪をたなびかせて、何故か物悲しそうな目で散りゆく砂を見つめていた。
「ユタカも……異能を……」
その目にどう反応していいかわからなくて、僕はエデから目をそらすように砂の雨が降る大通りの景色に目を向ける
「────ッ!?」
その時、僕は安心しきって嵐条の姿を確認しなかった30秒前の自分自身をぶん殴りたくなる衝動に駆られた。
……衝撃を受けてばらばらと葉をこぼす街路樹の傍らに、奴の姿がない。
直後、右脇腹に余りにも重たい衝撃。
「がッ……っ!?」
突き刺さるようないっそ鋭い鈍痛に僕は膝を屈した。
ぴちゃりと、雨粒のように地面を濡らしたのは誰の血か。
嵐条は額からとめどなく鮮血を流して、腹に大穴を開けてなおそこに立っていた。この男、不死身だとでも言い張るつもりなのだろうか?
先程までの余裕はとうに消え失せた。
(まず、再構成、間に合わ……)
「くたばれクソ野郎」
ちょうど蹴りやすい位置にまで体を落としていた僕に、嵐条はズタボロの体で回し蹴りを放った。
咄嗟に腕をクロスするように顔を守るが、奴の蹴りは僕の腹部に吸い込まれるようにヒットし、ノーバウンドで5mほど弾き飛ばされると、コンビニの軒先に背筋をぶつけてようやく止まった。
体中を不気味な痺れが襲い、目の前がドロドロと歪む。
「ぐ……ッ!!再こげごぁッ!!??」
僕が吹き飛ぶ速度に風の翼を使用していた嵐条は容易く追いついていて、僕の視界が晴れる前には僕の鳩尾に嵐条の硬い靴がめり込んでいた。
────まずい。戦いの主導権を奴に渡してしまった。
嵐条のスピードは既に目に映るレベルを超えている。奴の止まるところを知らない嵐のような猛攻。一転攻勢に出られてしまったらもはや僕に反撃の目処は無い。
「雑魚がッ!!猿真似のッ!!異能ォ!!発現ッ!!させたッ!!ぐらいでッ!!イキッてんじゃ!!ねえよッ!!」
背後はコンビニの壁。逃げることもままならず、僕は頭に血が上った嵐条の蹴りからどうにか腕で頭を守ることしか出来ない。
もはやこれは戦闘から一方的なリンチに変わっていた。
「ぐッ……!!がっ、ッァ……!!」
目の前の状況がわからないので、砂を動かせない。奴の猛攻はそれだけ苛烈だった。
一撃一撃が確実の僕の寿命を突き削って行く。ちょうど、ブロックの氷をアイスピックで削っていくように。
「ユタカ───────ッ!!」
エデの叫ぶような声が聞こえる。
額からの血が目に入ったせいで、うまく前が見えないが、きっと少女はこちらに駆けつけている。
「あぁ……?……クソ、情なんか掛けるんじゃなかった。死ぬほど厄介じゃねえかよ、お前……」
赤髪の少年が、白髪の少女の方を向き、背中に接続していた風を右手に集中させた。
それは僥倖と言うべきか、不幸と言うべきか。
男の矛先は、僕から逸れた。
「再構成ッ!!」
その隙を突いて即座に巨大な砂の爪を作り上げ、横合いから嵐条を狙って奔らせるが────、
「お前さ、あんまナメんなよ?」
しかし、それも推測済みだったのか嵐条は右手にエデを狙うはずだったその風をそちらに向かって解き放ち、その砂を蹴散らした。
「────ッ!!」
僕は弾かれるように走り出し、凄まじい風の余波の中に飛び込むようにして突破すると、エデの腕を掴み、嵐条から距離をとる。
「ッチ……!あぁァめんどくせえなァッ!!」
エデの肩を掴んで抱き寄せるように密着させると、体の底から湧き出るような熱を感じ、優しく傷が癒えていく。
「傷を癒す異能……なるほど、五陵会のクソ共が欲しがる訳だ……」
何度目かの振り出しだ。
しかし、嵐条と僕ではもはや体力の差が顕著に出ている。
「まだ終わらないぞ。お前が諦めるまで……お前が倒れるまで……僕はエデの前に立ち塞がり続ける!!」
確実にダメージが蓄積する嵐条に対し、僕の体力はエデがいる限り無限に回復し続ける。
「どれだけ痛めつけられようと……何度殺されようと……僕は何時間でも戦い続けてお前に削り勝つ……ッ!!」
嵐条を睨みつける。
僕の決意を叩きつけられた赤い髪の男は、それ以上の剣幕で僕に空気が震えるような殺気を向けた。
「上等だ根暗野郎……その喧嘩、買ってやンよォ!!」
同時に爆発するように嵐条の背からこれまでより何倍も強烈な竜巻の翼を生成し、辺り全域に台風レベルの強風が吹き荒れた。
「……再構成」
僕は支配下にある砂に命じ、今度は触手ではなく、巨大な剣を作り上げた。
吹き荒れる風速30mはあろう強風からエデを庇うように立つと、砂の剣は僕の意のままに嵐条に刃を向ける。
そこから先、互いに合図はなく。再び砂と風が激突を始め
「はい。その喧嘩、中止です」
女の声と直後に降りたったそれは、もはや異能ではなく異形だった。
ザグンッ!!とアスファルトに突き立てられる爪。
サイズとしては生き物の象ほどの大きさであるが、その異形の異形たる所以は二つ。
一つは、その異様を極める意匠だ。胴体に値する部分は、焼き上げる前のコッペパンのような楕円形であるが、そこから伸びる八本の支脚は、死神の鎌のような爪である。まるでRPGの化け物、と形容するのは少し違う気もする。その禍々しさ、異様さは娯楽目的の創作物に登場するオブジェクトのようなものとはとても思えない。
そして第二に、馬鹿馬鹿しい話だが、その怪物の材質が全て砂であったということ。
即座に理解した。
これは、僕の操る猿真似の異能ではない。
正真正銘、本物の砂を操る異能であるということ。
声の主は異形の流線型の胴の上に腰掛けていた。
まるで、ボーイフレンドが運転する自転車の後ろに座るような体である。
「……あ、……っ!」
ぶわり、と全身に脂汗が浮くのを感じた。
その女の端正な顔は、僕のトラウマの具現だ。
喪服に身を包んだ女は、僕と嵐条を冷たい目で見下ろしていた。
その乱入に誰よりも驚愕していたのは嵐条だった。
「化野利咲……ッ!!何でだよ、エーデルワイスの回収は俺達に一任したはずだろうがッ!!」
「ハエが煩いわね。払いなさい、ポチ」
ふざけた名前の怪物が足を振り上げ、嵐条を斬り払った。
それはもはや風景そのものを切断してると言っても過言ではない。振るわれた際に瞬間的に鞭のように変形し、周りのビルや、コンビニごと嵐条を切り弾いたのである。
「ごぁッ…………!?」
直前に暴風の翼で回避しようと試みたらしいが、それも叶わず、どうにか即死を免れるだけに留まった。
嵐条の体がべちゃり、と僕とエデの隣に落下した。
「まずは一つ。さて、次はそこの死に損ない坊やかしらね……?」
無理だ。
勝てない。
猿真似では本物には勝てない。レプリカではリアルに勝てない。
いや、それ以前の問題だ。それ以前にこの力量差は目に見えるところに顕著に現れている。
即ち、操れる砂の量である。
あれは最早触手が何本とかそういう次元を遥かに超越している。その存在自体が凶器に成りうる大質量の圧倒的暴力だ。
「あら、そんなに怯えて可哀想ね……。まあ安心なさい、心配は無用よ」
女は薄い笑顔で、いっそ冷酷な表情で僕を見つめた。
「エーデルワイスを死なせたくないのでしょう?なら大丈夫。その子は死にはしないわ」
その言葉に何一つの喜びを見いだせなかった。その先に女が何を紡ぐか分かりきっていたからだ。
「触れるだけで致命傷さえ問答無用で治してしまう規格外の異能……。そんなものを、私たちが放っておくはずがないじゃない」
そうだ。
あの女はエデを、人間として見ていない。
思わず、エデの腕を掴む手に力が篭っていた。
絶望。
文字通りの意味だ。
嵐条を退け、逃げ遂せるという希望が絶えた。
ここまで頑張ったのに、こんな理不尽で、あっさりと終わりになる。
それが、堪らなく悔しい。
「助けて、くれ……」
思わず呟いていた。
彼女をこの手で守ると誓った男が、目に見えない何かに助けを乞うていた。
プライド?恥?そんなものは頭の裡から消え失せてしまっている。それだけ濃密な死の予兆が、目の前に獣のカタチをして佇んでいる。
「頼む……誰でもいいから、エデだけは……!!」
もはや自分の生など思考の範疇から消え去った男の慟哭だった。
エデは恐怖と悔恨と、それと悲しみが入り交じったような目で呟く僕の顔を見上げた。
「……もう貴方たちのラブロマンスも見飽きたことだし、ここで幕を引いてあげましょうか」
不死身に思えた嵐条すら一撃で再起不能にした死神の鎌を、獣は振り上げた。
そして、秒を待たず砂の爪は僕の頭蓋を叩き割らんと振り下ろされる────。
しかし、訪れるべき終わりはいつまで経っても僕の体を切り裂かず。
思わず瞑っていた目を開き、目の前の景色を網膜に焼き付けた。
目の前にいたのは、中学生ほどの背丈の小さな少女だった。
栗色のショートホブが風が消え去った街で、なおなびいていた。
その少女が、即死の鎌と化した砂の刃を両手で受け止めていたのである。
少女はこちらを振り返ると、端正な顔立ちを可愛らしく崩して笑いながら言った。
形勢がこちらに傾いたことを端的に表す言葉を。
「よかった!間に合いましたね!」