第十話 武神 卍丸
今週も遅れてしまい申し訳ないです。
来週は木曜日間に合うと思います。
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黒焦げになった卍丸を介抱し(ゼルザールを絞った汁に治癒能力があるのには、流石の私も驚きましたね……)彼が目をさますのは待つオニキス。久しぶりに見る知己に対し、今の状況を何と説明すれば良いのか悩む。そもそも、彼は王の近衛であるはず。何故このような場所にいるのか、彼は夜藝の謀反後も、未だ夜藝に従っているのか?今は不明なことがあまりにも多い。
「う、うぅん……」
「可憐な女性ならともかく、ごっついオッサンのうわ言はなんとも気持ち悪い物ですな!」
「煩いですよ駄竜、また絞りますよ!と、言うか貴方に言われて絞りましたけど、アレって本当に大丈夫な物なんですか?」
ゼルザールの勧めにより、言われるままにゼルザールを絞ってみた所、絞られた皮膚から粘性のある透明な液体が染み出し、それをそのまま卍丸に塗りたくってみたものの、今更ながらに自分はとんでもない物を塗り込んでしまったのでは?という疑問がオニキスの脳裏に浮かぶ。
「アレとは竜汁の事ですか?」
「そんな名前なんですねアレ……」
「ふむ、とは言え、今の私は竜ではなく、竜の因子を持った中年オヤジですので、アレの事は”オヤ汁”と呼ぶのがよろしいかもしれませんね」
「気色の悪い名前はどっちでも良いですが。貴方、今はただの中年男性になってるんじゃなかったでしたっけ?」
先程そのような事を言って戦闘に参加しなかった事を非難すると、ゼルザールはさも心外とばかりに頭を振る。
「確かに身体能力は普通のオヤジになってますけど、一応私真竜ですんで、別に生物的に人間になっている訳では無いんですよ。ですから生命力とか体質とかそう言うものは真竜準拠なんです。その証拠に、痛くて気絶しましたけど、私お嬢様の呪文で死んでないでしょう?普通の中年オヤジだったら余波でも即死でしたよ?あれ」
「なるほど、では今の非力な貴方でも、心臓をくり抜いて生き血を飲めば一般人が容易くパワーアップとか出来るんですか?」
「怖っ、発想が怖っ!!無理ですよ、私の心臓そんな薬効無いですから!それに、今の私はオッサンのパワーと真竜のタフネスのハイブリットですので、刺しても痛いだけで早々簡単に貫通はしませんよ」
「ハイブリットって、随分格好いい言い方をしますね。オッサン要素に何のメリットも無いじゃないですか。……あ、目を覚ましますよ」
「う、うぅん……」
「何でこのオッサンこんなにうめき声が艶めかしいんですかね?」
「煩いですよ!黙ってなさい駄竜。さて、目が覚めましたか卍丸?」
「……はっ!?」
目をさますと同時に起き上がると、素早く取り間合いを取る卍丸。その身のこなしを見るに、ダメージは残っているものの、何とか動く事に問題がない程度には回復しているのが見て取れる。
「オヤ汁。何だか悔しいですけど、そこそこのポーションくらいの回復力ありますね。私が使うのは絶対嫌ですけど」
「それはこの形態で絞ったから気持ち悪いと感じるんですよ。真竜の状態でしたらそこそこに荘厳で神々しい光景になりますよ」
「因みにその場合どこを絞るのですか?」
「舌先です」
「そうですか、さすが真竜の体液ですね。そこそこのポーションくらいの回復力あります。私が使うのは絶対嫌ですけど」
「あれぇっ!?」
やいのやいのと騒ぐ美少女と中年男を前に、卍丸は暫く注意深く警戒の構えを取っていたが、オニキスの顔をしばらく眺め、ハッとした表情になると最敬礼の体勢をとった。
「オニファス=アプ=ファガリ陛下、お久しぶりで御座います!」
「……やっぱり気づかれてましたか」
数年ぶりに再開した彼は、どうやら昔と変わらず生真面目な性格のままの様だった。
武神 鬼龍院 卍丸
クティノス王家の近衛兵長。数々の武勇に彩られた彼の半生は、クティノスに於いて生ける伝説と称され、この国の武を修める者たちの憧れの存在であった。曰く、レピ国1000の敵兵を単身で撃退し、クティノスの危機を救った救国の英雄。曰く、城に現れた大妖を仕留め、王を守りきった、妖すらも斬り伏せる武神。曰く、その太刀は岩を絶ち、川を絶ち、雲を断つ。彼に斬れぬ物など無い、クティノス最強の剣聖。等々、兎に角この国に於いて、武神 鬼龍院卍丸と言えば、数多くの逸話を残した伝説の男なのである。
だが……
「卍丸、息災なようで何よりです。しかし、王の身を守るべき貴方が何故このような場所に?」
オニキスの問に巌のような魁偉を持った男の表情がミシリと歪んだ。
「某は、王を、王を守る事が出来ませなんだ役立たずに御座います。……若の事も、間抜けにも事が起こった後に聞かされる始末!某は、田畑に立つ物言わぬ案山子以下の木偶の坊にございます!!」
伝説の男は、まるで吐き捨てるような言いようで自らを罵った。
「貴方程の男が、自らをその様に罵るものではありません。一体何があったのか教えて頂けますか?」
「実は……」
実は卍丸は、ここ最近の夜藝の動きに不信感を持っていたらしい。はじめは偶然見かけただけであったが、その後も何度か見かけた、夜藝殿下と見たこともない不審な男たちとの繋がり。かつての理知的で物静かだった姿が嘘のように、何かに憑かれたかの如く書物をあさり、余裕のない表情で苛立たしげに何かに没頭する鬼気迫った姿。父王に対し、怒声を浴びせる余りにも無礼な姿。どれも以前の彼からは想像もつかなかった姿であった。
そんな夜藝を見かねた卍丸が諌めた所、何と翌日には王命による転属命令が下り、卍丸は訳も分からぬままこのような閑職に就かされてしまったのだと言う。しかし、それでも最近の夜藝の行動に不穏な物を感じていた卍丸は、それとなく城内の様子を伝手を頼りに調べていたのだが、そんな彼の耳に飛び込んできたのは、大和の死と先王の死。そして月詠の投獄と処刑の確定。更には夜藝の即位と言う、現実感を伴わない悪夢のような最悪の報であった。
「報を受け取った後は、つなぎを頼んでいた者との連絡も途絶え、どうする事も出来ずこのような場所で腐っていた愚か者なのでございます。本来ならば、今すぐにも城へ出向き、夜藝殿下をお諌めせねばならないのでしょうが、某にはあの方が何を思ってこのような凶行に出たのかすら理解できないので御座います。某は、何も出来ぬ愚か者に御座る」
「いえ、それは短絡的に城へ向かわなかった事が正解だったでしょう。何も分からず、今の城に行けば、貴方も反逆罪で死罪になっていたかも知れません。武力で無理矢理に押し通れば貴方なら何とかなるかもしれませんが……」
その場合、この忠誠心厚い男の手で、クティノス王家の血を絶やす事になりかねない。流石の武神も、そのようなことを軽々しく行うことは出来なかったのだろう。
「兎に角、夜藝殿には私が直接あってその真意を問いただします。卍丸、協力をお願い出来ますね?」
「もちろんで御座います。本日はこの街にご逗留いただき、明日にも城へ参りましょう」
「有難う卍丸、ついでに本日の宿を紹介してほしいのですが、どこか良い場所はありますか?」
「ふむ、オニファス陛下が普通の宿にお泊りになれば、否が応でも人目に付いてしまいまする。オニファス陛下の存在が夜藝殿下に知られれば、もしかすると追手がかかるやもしれませぬ故、普通の旅籠に泊まるのは危険かと存じます。しからば、某が使っております小屋が御座いますれば、本日はそちらにお泊りになるが宜しいかと」
「ありがとう、卍丸……ところで」
オニキスは先程から黙りこくってる真竜の方を見る。
「普段、気持ちが悪いくらい良くしゃべる貴方が、随分と静かですねゼルザール?」
先程から直立したまま虚空を見つめ、何も話さないゼルザールが不気味に思え、オニキスは声をかける。が、彼は一切反応を見せないで、虚空を見つめていた。
「……」
「…………zz」
「ひぇ!目全開で寝てる!?!
「オ、オニファス陛下、先程から気になってはいたのですが。こ、この面妖な男は一体何なので御座るか?」
「……え、あぁ、紹介してませんでしたね、この目を開けたまま直立不動で寝ている気持ち悪い生き物は、真竜ゼルザール。御剣山脈の主ですよ」
「ほうほう、これがかの有名な、有名、なぁぁぁっ!?」
「うぉあ!なんですか大声出して非常識な!!」
流石にいきなりの大声に真竜も驚いたらしく、その眼を……眼は最初から開いていたが、眼を覚ます。
「こ、このようなひ弱で胡乱な男が、かの伝説の真竜だと仰られますか!?」
「おぉ!?目を覚ました瞬間にこのような罵声、私といえど少々傷つきますよ?」
「貴方、縄張り以外のことには割と寛大なんですね」
衝撃的事実を伝えられた卍丸が冷静になるまで待ち、今までの経緯を説明すると、落ち着きを取り戻した卍丸はゼルザールをしげしげと眺める。その後、オニキスも見たことのないような微妙な顔をすると、非常に納得行かない顔をしつつもゼルザールのことを受け入れた。
「と、取り敢えず、オニファス陛下が斯様な戯言を仰られるはずもない。真竜来襲の報とも合致致しますので、信じることに致しましょう」
「ふふ、卍丸。貴方のその柔軟な所、私は好ましく思いますよ」
一見堅物にしか見えない卍丸だが、実は非常に柔軟な思考の持ち主である、武神と呼ばれる程の武を誇りながら、彼は文官にも負けない聡明な頭脳と柔軟な思考を持っているのだ。幼い頃からそんな卍丸に触れてていたオニキスは彼のことを心の底から尊敬していた。
、
「ところでオニファス陛下、もう一つ腑に落ちぬことが御座いますれば、失礼ながらお聞きしても宜しいでしょうか?」
「何ですか、そんなに改まって。私と貴方の仲ではないですか、気軽に何でも聞いて下さい。私に答えられることでしたら何でも答えますよ」
尊敬する卍丸の言うことである、オニキスは何を聞かれようと正直に全てを話そうと思っていた。
「それでは……失礼ながら、何故陛下はおなごの如き格好をなさっておいでなのでしょうか?」
「……」
ふいっと目線を反らしたオニキスの背を滝のような汗が流れ、辺りは静寂に包まれた……。




