第二話 堕
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「大和、一緒に父上を討とう。そして、お前が獣王に成るんだ」
「夜藝殿下!?何を……」
「君らは下がっていたまえ」
「なっ!?」
「ギィァッ!?」
夜藝のあまりの一言に反応し、思わず立ち上がった菊正宗と六甲だったが、突如背後から現れた黒ずくめの男達に後ろから組み伏せられ、一瞬で足の腱を斬られてしまった。突然の激痛に二人の口から苦悶の声が漏れる。
月詠は突然の闖入者とは言え、大和と月詠の側近である二人があっさりと不覚を取った事に驚愕した。しかし同時に、この突然の闖入者が何者であるのかを注意深く観察もした。菊正宗と六甲相手に、この様な真似が出来る者などクティノスにはほとんど居ない、故にもし彼らがクティノスの者であるのなら候補はかなり絞られる。しかし、二人を取り押さえる人物の頭には獣人の象徴たる耳が見当たらない。つまり彼らは外部から来た得体の知れない輩である可能性が高いという事……。
「……見たことねえ連中だなぁ、兄上?」
「事が事だからね、まあ協力者からの借り物ってところだよ」
「夜藝お兄様、どういうおつもりで御座いますか?」
謀反を起こし、王位の転覆を図るにしても、自力で行うのと、外部の力を借りるのでは大きく意味合いが変わってくる。もし後者であるなら、彼の治めるクティノスは、彼自身が迎え入れた何らかの傀儡となり、国として成り立っていくのかどうかすら怪しい事になる。いくら父王が不甲斐ないと言え、あの聡明な夜藝がこの様な行動を取る事が月詠には理解できなかった。
「どう言うつもりも何も無いよ月詠。さっき話した通りだ、このままではクティノスは滅ぶ。今すぐでは無いとしても、父上がこのまま獣王であり続けるなら、それは確実に訪れる」
「他国の間者を抱えて国が変えられるとお思いか?」
「もちろんだよ月詠。そのために僕は取れる手段は何でも取る。そしてそれを躊躇ったりはしない」
謀反の話を、実の父を殺害する話をしているというのに、普段どおり優しく微笑む兄の姿に月詠の頭は混乱を極める。目の前にいる人物が何を考えているのかが分からない。兄は常に国の未来を考え行動する人物だったが、この様な非情な考えをする人物ではなかった筈だ。何もかもが可怪しく、目の前の人物が本当に自分の兄なのかと言う事すら疑問に思う。
「で、どうかな大和?僕と一緒に父上を討って王になってくれるかい?」
「……本気なんだな?」
「本気だとも」
「そうかよ」
大和は一瞬顔を伏せ、ゆっくりため息をつく。次の瞬間、兄である夜藝の首めがけて渾身の手抜き手を放った。ゆったりとした動きからの突然の変化に、普通の人間なら何が起こったかも理解できずに首を刺し貫かれるほどの動き、しかしその腕はやすやすと躱される。
「驚いたな、さすがだよ大和。初撃でためらいなく命を取りに来るなんてね」
「……」
もはや問答無用と、返事もせずに大和は次の行動に移った。夜藝は獣王の血を引いているとは言え、その性質は武官ではなく文官よりの人物。正面を切っての戦闘となればその戦闘力は大和の足元にも及ばない。初撃を躱したまでは見事であったが、正面から大和と戦えるものではない。
「まいったな。やはりこういう荒事は大和には敵わないね」
「……」
大和の鋭い攻撃に、いたるところに小さな傷を作りながらも気安く話しかける夜藝。そんな兄の態度に苛立ちを覚え、更に攻撃は苛烈になって行く。
「くはっ……一言も口を利いてくれないのか?ずいぶん薄情だね……いや、違うか。口を利けば覚悟が鈍ると考えているんだね。お前は昔から口は悪いが優しかったからな……つぅっ!?」
戦闘中だというのにゆったりと話す夜藝の様子は普段の彼と全く変わらず、一言一言言葉を発する度に大和の眉間に皺が寄る。
「夜藝お兄様、やめてくだされ!このまま続けても夜藝お兄様の負けでございまする!!」
「どうかな?いざとなればそこの二人を人質にすることだって出来るんだよ?」
「それで俺の手が鈍るはずがねぇのは知ってっだろぅがよぉ!!」
「まあ、そうだよね……ぐっ!」
「……大和殿下」
二人を大事に想うからこそ彼女たちの挟持を傷つけるような真似はしない。しかし、家族同然に思っている二人に対し人質に取るような言葉を仄めかせた夜藝に対して、大和の中に先程まで僅かに在った迷いが完全に消えた。さらなる鋭さを持って振るわれる大和の攻撃、もはや防御すらもままならなくなった夜藝に、黒尽くめの男達は加勢に向かおうとした。が、そこに一枚の符が舞い、即座に燃え上がる。
「其方等は下がっておれ、兄様達の邪魔はさせませぬ」
先程まで兄の真意を掴みかねていた月詠も、ここに来て遂に彼が完全な敵になったのだと確信するに至った。男達も気配の変わった月詠に対し、最大限の警戒を持って対峙する。
「……これはいよいよ旗色が悪いな」
「だったらそろそろ諦めたらどうだぁ?今なら未だ死罪は免れるぜぇ……多分な」
「いや、でもそろそろなんだ」
「あぁ……?」
追い詰められているはずなのに薄っすらと笑みを浮かべたまま、夜藝は腰の刀に手を伸ばす。
「天羽々斬、兄様気をつけてくださいまし!」
「ハッ、兄上の腕で俺を斬れるかよぉ」
如何にクティノス王家に伝わる神剣の一振りと言えど、当たらなければ意味がない。どれほどの名剣を持ったとしても夜藝の斬り込みで大和を傷つけるのは不可能だった。しかし、夜藝は剣を八相に構えると真っ直ぐにそれを振り下ろす。その剣速は確かに達人の域と呼べるものであったが、この様な真っ直ぐな剣閃は大和にとっては何の驚異ともならない。オニキスと比べて遥かに劣る速度で向かってくるそれに、気を込め硬質化した右手を剣の腹に添え、そのまま力を受け流す……
……――はずだった。
「……あ?」
「兄様!?」
「大和殿下!?」
夜藝の振り抜いた天羽々斬からは赤い一筋の線が伸びていた。そして宙を舞い、近くの草むらに落ちてきたものは、大和のよく見慣れたものだった。従者ニ名の息を呑む声が聞こえる。
「……!? 兄様、前を向いてくださいませ!!」
月詠の悲鳴にも近い声に呆気にとられていた意識を戻した大和、しかしその一瞬の空白は致命的な隙だった。ありえない展開に一瞬だけ意識を取られた大和と違い、夜藝は既に次の行動に移っていたのだ。
「大和らしくもない、隙だらけだよ」
「ぐはっ!!」
斬り返す刃に反応し、防御をしようとした大和だったが天羽々斬は脇腹に深く食い込み血飛沫を上げた。確かに行ったはずの防御が間に合わず、致命傷と言っていい一撃を食らってしまった。大和は自身の体に起きる違和感に困惑する。
「な、んだぁ!?」
「兄様、今わら我が回復を……え、体が……!?」
「どうなさったのですか月詠殿下!?」
「……まあ、古典的な手段だけど、さっきのお茶に少しね。遅効性なんで少し危なかったけどさ」
「なんだぁ、毒盛るってぇ事はぁ、俺を獣王にするってあれもウソかぁ兄上ぇ?」
「いや、大和がなってくれるのならそれが一番良かった。その場合はまあそれとなく解毒の茶を出したさ」
「夜藝お兄様……貴方はそこまで……」
妹弟に対し毒を盛る。この様な人の道を外れた行動。先程の決意などまだ甘かった。目の前の敵は、”最早兄とは思わない”などという甘い覚悟で対峙すべき相手ではなかった。
夜藝は大和の傷を更に深いものにすべく、刀身をえぐるように回そうとしたが、大和の強靭な筋肉に深く刺さった剣は動かず、逆に前蹴りで吹き飛ばされてしまった。毒によって痺れているため威力は大分落ちていたが、それでも夜藝は肋の数本が折れる感触を感じていた。
「ぐぇっ、はっ……うん、毒を盛るのは……ゲハッ!僕もどうかと思ったんだけどね、やっぱりやっておいて正解だった。もし万全の状態だったら今ので殺されていたよ。本当に化け物じみてるな、大和は。さて、影のお二方、そろそろ仕事してもらって良いですか?」
月詠の牽制が無くなった為に自由に動けるようになった影が音もなく動く。その手にはいつの間にか黒い槍が握られている。握られた槍からはどす黒い魔力が立ち上っており、それがただの槍ではないことを感じさせる。
「夜藝お兄様、どこまで堕ちたのだ貴方は!!」
今まで実の兄弟ですら見たこともない怒りの形相を浮かべる月詠。しかし、彼女は指一本動かすことが出来ず歯噛みする。そうこうしているうちに月詠の目の前で男達が詠唱を始めた。どうやらあの槍を飛ばし、動けない大和に止めを刺すつもりらしい。
「兄様!兄様ぁ!!逃げて!!」
「……クソがぁ、とりあえず手前ぇら全員道連れだぁあぁっ!!」
右腕を斬り飛ばされ、左脇腹を大きく裂かれ、更には毒に侵された大和の体、本来なら放っておいても死にそうなものだが、夜藝は油断すること無く緊張を高める。そしてその読みどおり、大和の体に変化が訪れた。空気が震えるほどの気の膨張。そしてそれに呼応するかのように大和の体が大きく膨らむ、全身からは黄金の体毛が生え、口には鋭い牙が並ぶ。これこそが 天津國大和が獣王の資質を持つ証明にして、かのフェガリの魔王をして敗北せしめる奥の手。
――獣ノ王
血を失い、毒に侵されて尚立ち上がり、投擲された黒い槍を弾く。そのまま間合いを一気に詰めた大和は、まず手前の影と呼ばれた男を抜き手で刺し貫く。男はとっさに防御をしたが、防いだ槍ごと大和の抜き手は影の胸を貫いた。……が、直後大和は左腕に違和感を覚える。
「く、手前ぇぇぇ……」
胸を刺し貫かれたはずの男は、痛みに怯むこともなく大和の腕を抱える。目の前で異常な行動に出る男にさすがの大和も背中を冷たいものが流れるのを感じた。隻腕となった大和にとって左手を殺されるのは致命的だった。直後再び召喚された黒い槍が大和の肩を貫く。隻腕の上に左手に過剰な重しが突いている大和は槍を防ぐ術もなく大きく体勢を崩し……。
「兄様ァ、イヤァァァァァッ!!!」
月詠の目の前で切り立った崖の下へ消えていった。
「ふぅ、我が弟ながら恐ろしいな。一応想定していた事態とは言え、まさかあそこから本当に影を一人失う事になるなんてね。正直今の作戦は奥の手も良いところだったのだけど、念には念を入れておいて正解だったな。……さて、月詠。君はどうする?できれば兄妹で殺し合いなんてしたくないから、僕に協力してほしいのだけどね」
「……ッッ!!」
「……まあ、そうだよね。君ならそう言う顔をすると思っていたよ。それでは取り敢えず、僕が父上を討つまで邪魔されるのは嫌だから、菊正宗、六甲と共に地下室にでも幽閉しておこうか。王になった時、その気持が変わっていないようだったら……そうだな、父上を殺害した罪をかぶってもらって処刑しようか。……それじゃあ、影、頼んだよ」
無言で頷く影、感情を感じさせない動きで月詠を担ぐと、そのまま倒れている二人に近づいた。その時、まばゆい閃光が辺りを染める。
「癒しの光!」
「!!」
「菊正宗、六甲!!」
「「はいっ!!」」
二人の近くに影が張り付いていた時や、体がしびれて近づけなかったときなら兎に角、近距離であれば月詠の治癒術は足の腱をつなぐ程度の事は一瞬で行うことが出来る。自身の毒は種類が分からなかった為、すぐに解毒することは出来ないが、腱を斬られただけの二人なら話は別だった。治癒術を受け、名前を呼ばれた二人は、主の意図を察し、声をかけられるよりも先に走り出す。
「菊正宗はオニ様にこの事を!六甲は兄様をお願い!!」
大声で叫ぶ月詠に振り向きもせず二人の従者は走っていく。
「……くっ、影、菊正宗を追ってください。六甲は城のものに追わせます。」
「……」
無言で月詠を下ろすと即座に菊正宗の後を追う影。その後姿を見つめながら月詠は心の中で祈る。
「やってくれたね、月詠。こんな時に言うのも何だけど、さすが僕の妹だ」
「……妾は最早、貴方の妹では御座いませぬ」
「……ああ、そうだとも。その通りだ」
動けぬ不甲斐ない自分であるが、心だけはこの変わり果てた兄に負けはしない。月詠は強い意思を込めた目で、嘗て兄だった男を睨みつける。沈み始め、赤く世界を染め上げる太陽の逆光のせいで、夜藝の表情は見ることは出来なかった。
ガラにもなくシリアスなので難産でございます。




