第一話 夜藝
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――クティノス城
切り立った崖を背に建つその城は、絢爛豪華とは言えないが、正に質実剛健と呼ぶに相応しい堂々たる風格を漂わせていた。実用性を備えつつもその有り様は何処か美しく、漆喰で塗られた壁は陽光を反射し、白く輝く。サントアリオやフェガリの城とは違い、石ではなく木をふんだんに使った素朴なデザインでありながら、そこには”王”が住まうのだと言う確かな説得力を持っていた。
そんなクティノス城の庭、海へとつながる切り立った崖の上、そこは城壁も無く壮大な海を展望できる造りとなっており、天気の良い日などは王族や貴族による茶会などが催されていた。
「……やぁ、来たかい」
「お待たせいたしました、夜藝お兄様」
「ぉう、またせたな兄上」
「まぁ、そこに座って。とりあえずお茶でも飲みなさい」
ニコニコしながら茶を勧める夜藝に怪訝そうな表情を浮かべつつ、大和と月詠は言われるままに敷物の上に座り、その後ろには護衛の菊正宗と六甲が控える。
「夜藝お兄様。本日はどの様なご用向なのでしょう?」
「ふむ、月詠は意外とせっかちだね。まずはこの風景と茶を楽しもうとは思わないかな?」
「……そうですね、久しぶりに夜藝お兄様のお点前いただきまする」
「そうだぜぇ、月詠ぉ。茶ぁ出されてんだからまずは飲めって話だぜぇ。野暮なやつだよぉお前は。お、この菓子うめぇな?」
「兄様に野暮と言われるのは心外極まりますが、確かに少々無粋で御座いました」
「気にすることは無いよ月詠。確かに最近僕ら兄妹はあまり顔を合わせていなかったからね」
そう言うと夜藝は月詠の前に茶を差し出し、月詠もそれを受け取る。静かに流れる時間に、切り立った崖の下からの潮騒の音だけが聞こえる。それは実に長閑な空間であったが、月詠はなにか原因不明の胸騒ぎを感じていた。
嘗て幼少の頃、年の離れた兄妹ではあったが、優しい兄である夜藝にはよく遊んで貰った記憶がある。政務が忙しく、中々顔を合わせることのない父王に代わり、何かと面倒を見てもらったものだ。
しかしここ数年の夜藝は、一応政務はこなしているものの、何かに没頭し、部屋に籠もっていた。顔を合わせるのは父王に呼びされた時位だけで、この数年は会話らしい会話もなく兄妹の仲は疎遠になっていた。その為、夜藝本人からの呼び出し、ましてや茶会などここ数年間はなかった事で、その事に月詠は不安をつのらせていった。
しかし、久しぶりに見た兄の顔はここ数年の余裕のない表情ではなく、まるで昔に戻ったかのように穏やかな物だった。
「そう言えば、月詠と大和はサントアリオでオニファス殿下、いや、今は陛下だったね。オニファス陛下にお会いしたそうだね。彼に会えるのなら僕もサントアリオに顔を出せばよかったよ。彼は息災だったかい?」
「はい、多少雰囲気は変わっていましたが。息災でお過ごしで御座いました」
「ほう、それは何より。雰囲気が変わったと言うとあれかい?逞しくなってしまったのかな?彼ももう青年と言って良い年齢だものなあ。昔は少女の様に可憐だったから、少し残念ではあるな。まさか大和みたいにはなっていないよね?」
「あぁ?聞いてねえのかぁ?あいつぁ女になってたぞぉ?」
「…………は?」
理解不能な大和の言葉に夜藝の顔が固まる。
「だからよぉ、あいつは女になってたんだぜぇ。ビビルだろぉ兄上ぇ?」
「ドういう事ダイ?月詠」
油の切れたブリキのおもちゃのような動きをする夜藝。月詠は滅多に見れない取り乱す兄の姿に苦笑しつつ、言葉の足りない大和の説明に言葉を足す。
「どうやらサントアリオに潜入するために身分を隠しておられるようで御座いまする、その関係で変装をしていると御本人は言っておられました。見た目は完璧な美少女でございました……妾、あれはあれでごにょごにょ……」
「訳が分からないよ……一体どんな姿になってるんだ。やっぱり私も行けば良かったなあ」
「でもまあ、見た目は兎に角、腕は鈍ってなかったぜぇ?とぼけた面して相変わらずムカつく強さだったぞぉ?」
「……ほう?」
忌々しそうにそう呟く大和にわずかに夜藝の眉が上がる。
「とは言え、ボコボコにしてやったけどなあ」
呵々と大声で笑いながら自慢する大和に、月詠のジト目が突き刺さる。
「一勝一敗の引き分けで御座いましょう?話を盛るのは男らしくないですよ兄様」
「あぁ!?本気でやった方は俺の勝ちだったんだからよぉ、あれは俺の勝ちでいいんだよ!」
「そうそう、オニ様と言えば……最初、美少女と勘違いした兄様が愛の告……」
「ぅおおおおおおぉぉぉぃぃぃ?テメェェそれ以上言うんじゃねぇ!ぶっ殺すぞぉ?」
「……ふ、ふふふ」
慌てる大和を見て思わずといったように夜藝の顔に笑みが浮かぶ。柔らかいその笑顔に、月詠は先程まで感じていた不安は杞憂だったのかと思い、自然と肩に入っていた力を抜く。
「ふぅ、久しぶりに心の底から笑ってしまったよ。彼は、オニファス陛下は相変わらずなのだねえ。どうせ彼のことだから、ずっと潜入しているうちにサントアリオに馴染んでしまって、そのまま目的も忘れてエンジョイしているんじゃないかなぁ……いや、流石にそれはないか、彼も今や立派な国王だものねえ」
(いえ、まったくそのとおりと思われまする……)
完全にオニキスの行動を言い当てる兄に、月詠は思わず引き攣った笑みを浮かべてしまう。その表情に何かを察した夜藝は再び吹き出すと、暫くそのまま笑い続けていた。
「ひ~ひっひ……いやぁ、変わらないなぁ彼は。いや、なんとも嬉しいと言うか……羨ましいものだなぁ」
後半は聞き取れない小声だったが、久しぶりに聞く旧友のあり方に夜藝はとても嬉しそうだった。
「それでよぉ、兄上?今日は俺らに何の用があったんだぁ?別に茶を飲むために呼んだんじゃあるめぇよ」
「……」
不意にかけられた大和の言葉に夜藝の笑みは徐々に消え、場に再び先程までの何処か剣呑な重い空気が戻っていった。真面目な表情に戻った夜藝は、一度だけ深呼吸をすると、大和と月詠の顔をまっすぐ見つめ、何かの覚悟を決めたように口を開いた。
「そう、だね。いつまでもこうしている訳にもいかないよね。大和、月詠、単刀直入に聞くよ?」
「……はい」
「おう」
「クティノスの現状を、父上のやり方をどう思う?」
「ッ……」
月詠が息を飲む音が聞こえ、菊正宗と六甲にわずかな緊張が走る。
「私はね、父上は人としては素晴らしい方だと思うんだよ。聡明で優しいし義理にも厚い」
――だか、と夜藝は続ける。
「父上のその義理堅さと優しさは、王としては致命的だと思うんだ。あの方は義理を立てる為に身を削る。他国との友誼のために、国民の幸せのために。だが、それは国を率いるものとして必ずしも正しいとは限らない。時に親しき仲であったとしても切り捨てねばならないのが王には必要となる。しかし父上にそれは出来ない。更に言えば、父上は”獣人”の王としては、個の力が、武力がなさすぎる」
「兄上、そいつぁ……」
「大和、お前なら分かるはずだ、お前は我ら王族の中で最もクティノスだからな」
「……」
「三年前、友好国であるフテロマで起こった飢饉、それを救うために即座に動いた父上は素晴らしかった。私もその時は仁義に厚い父上を誇りに思ったものだよ。……だけどね、その後がいけない。クティノスや竜王国レピの援助もあってフテロマは立て直しが出来たが、当のフテロマは竜王国レピには感謝と謝礼を送ったが、レピ以上の多額の支援を行ったはずのクティノスには何もしなかったんだ。感謝の言葉すらね」
夜藝のその言葉には何の抑揚もなく、無表情に淡々と紡がれる。
「――レピとクティノスは軍事対立があるからね、おそらくレピ側から何か言われたのだろうけどね。結局飢饉によって弱ってしまったフテロマは、真っ先に援助を行ったクティノスとの友誼よりも、武力的に強大なレピに媚を売ったんだよ」
「……それはフテロマがクソッタレなだけで、別に父上が悪いわけじゃぁねえだろ?」
「そうかな?フテロマ援助の為に少しとは言え上がった税率。それだけの事をしておきながら、関係の悪化したレピ。友好関係を厚くするどころか裏切られた形で致命的にに関係悪化をしてしまったフテロマ。この事については国民からも多少の不満が上がっているよ。更にフテロマと険悪になった為、今現在友好国として残っているのはフェガリとサントアリオの二国だけど……」
夜藝が一旦言葉を切り、茶を口に含む。つられて月詠も茶を口に含むが、もはや味など分からない。先程まで長閑だった茶会は重い空気を纏い、口に含む茶は既に冷えていた。
「そのサントアリオも完全な友好国とは言い難い。むしろ関係としては以前のフテロマよりも浅いと言わざるを得ないよね。それらは全て関係ない様でいて、実は根底は一緒なんだ」
「まさか、全部親父殿のせいって言うんじゃねぇだろうなぁ兄上?」
「そのまさかだよ、大和。だから今日はお前にお願いがあって呼び出したんだ」
「……願いだぁ?」
「大和、一緒に父上を討とう。そして、お前が獣王に成るんだ」
最初から書くつもりのエピソードだったんですが、あまりにカラーが違いすぎて嫌がられやしないかと不安で御座います。




