第四十話 幸せの時間
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――喧騒。
まるで、本日聖サントアリオ学園で行われた魔狩祭の観客席のような熱気。違う点を上げるとすれば、人々の喧騒の中にガラスがぶつかりあうような音と、何かの焼けるジュワっと言う音が混じる。
クティノス風炉端焼きの店 ”サクラ”
大人気居酒屋として有名であり、中でも魚介類を網焼きにした”海鮮網焼き”が有名で、その美味さは料理の国籍を超えて、サントアリオの人々の舌を喜ばせ、胃袋を掴んでいる。しかし、人気店とは言え粗野な雰囲気のある店内に女性客の姿は少ない。だが、今日は普段見かけない女性、それもとびきりの美少女がカウンターに腰掛け網で焼かれる魚介類を凝視していた。それ故、男達の視線はその少女に集まっており、店内は何時も以上に野太い喧騒で賑わっていた。
「……じょ、嬢ちゃん。な、何か用かい?」
「……」
件の少女は、網焼きを作り続ける店主を無言で凝視していた。美しく整った顔をしているが、目には光はなく、ただ一心不乱に網焼きを凝視する少女。色々な客の相手をしてきた店主であったが、この様な美しい少女が店に来るのも初めてなら、その美しすぎる少女に無言で凝視されるのもまたはじめての体験。そして黒髪の少女の横にはこれまた美しい銀髪の少女が座って、小さな口でビールをクピクピと飲んでいる謎の状況、しかもこちらの少女も表情が乏しく、お通しの枝豆を黙々と口に運んではビールで流し込む作業を淡々とこなしている。
「……シャマは、枝豆って皆が言うほどビールに合うものでもないと思うんですよねえ」
プチプチ
「……」
「なんというか、こう、美味しいので好きなんですけど。もっと枝豆にあうお酒があるんじゃないかと?」
プチプチ モグモグ
「……」
「シャマはビールにはやっぱりソーセージが合うと思うのですよ」
プチプチ
「……」
「……えい」
「ひゃわっっっ!?」
何を話しかけても返事すらしないオニキスに業を煮やしたシャマはオニキスの首筋に、キンキンに冷えたジョッキを押し当てる。集中のせいで耳から入る音を全部聞き流していたオニキスだったが、流石に冷えたジョッキを押し付けられてはたまらない。
「な、ななな、なんですかシャマ!?」
「さっきからシャマが話しかけてるのに無視するからです」
「だ、だって!見てください、海鮮焼き様ですよ?海鮮焼き様がいるんですよ!?」
「様って……」
オニキスはあの騒動の後、どうしても忘れられなかった海鮮串を得る為に奔走していた。祭り中は色々なところから情報を得、祭りが終わるとリーベを医務室で見舞い無事を確認し、シルエラを寝かしつけ、一人静かに失った大事な物を求めてここ炉端焼き”サクラ”の暖簾を潜ったのだった。しかし、そこにいたのは見慣れた少女。オニキスは一人海鮮焼き様との逢瀬を楽しもうと思っていたが、その野望が崩れ去ったことを悟った。
「そもそも、なんでシャマは私がここに来るのわかったんですかぁ……私は今日は一人で心の傷を癒やしたかったのに」
「だって、今日は色々あってあまり一緒にお店回れませんでしたからねぇ。シャマはもうちょっとオニキスちゃんとお祭り楽しみたかったんですよ」
「うっ……」
そんな可愛いことを言われてはオニキスも何も言い返せない。思わず言葉に詰まってしまう。
「それに、シャマを出し抜いて美味しいもの食べようったってそうは行かないですよ。美味しいものを食べる時はいつだってシャマもいっしょです。と、どうやらオニキスちゃんの愛しい人が完成しそうですよ?」
「ッッ!?」
炭の爆ぜる音に併せ、醤油が焦げる香ばしい香りが立ち上る。只ならぬ気配に振り向くオニキスの眼光は鋭い。
「これは、バター醤油!!」
「……ドラゴンにも向けたことのないような鋭い眼光ですね」
ホタテの表面を覆うのは美しい光沢、そしてその身にまとうは香ばしい醤油の焦げる香り。ほのかに茶色く浮き上がる焦げ目は、程よい食感と塩気を想像させ、オニキスの食欲をそそる。
「御覧なさいシャマ、あの焦げ目、あれが黒くなってしまっては台無しなのです。あのくらいの色が実に丁度よい」
「はぁ……」
「また、焼き過ぎは論外ですが、貝は中まで火が通っていたほうが好ましいですね、鮮度自慢の海鮮焼きやさんは偶に、あえて火を通しきらない半生の貝を提供したりしますが、あれはワタシ的には食感と温度のバランスが良くないと思うのですよ、ぬるいお刺身とでも言うのでしょうか」
輝く瞳で見つめる中。ようやくオニキスの目の前に出されたホタテの醤油焼きに興奮気味に手を伸ばす。常軌を逸したテンションと、これまた常軌を逸した美貌のダブルパンチに、店主の顔色はすこぶる悪い。心なしか手も震えているようだが、そんな事をオニキスは気にしない。
「いただきます!遂に、遂に~、遂にこの時が」
フゥフゥ息を吹きかけ程よい温度に冷ますと、オニキスは勢いよく大ぶりのホタテにかぶりつく。ホタテ特有の歯ごたえは前歯をわずかに震わせつつ小気味よく噛み切られ、口の中には海の旨味を大きく含んだホタテのエキスが溢れかえる。噛んだ瞬間バター醤油の塩味と香りに支配された口腔は、それを噛みしめるにつれて表情を変え、次第に甘みと旨味が強く表に出始める。
「ん~~~~~~~ッッ!!」
頬を抑え幸せを噛みしめる黒髪の美少女に、やっと店主の緊張もほぐれる。同時にそのあまりの可愛らしさに頬が朱に染まるが、浅黒い中年男の頬が朱に染まった所で誰も喜ばないので割愛。
一頻りホタテを堪能したオニキスは、ホタテの旨味の残る口内に、キンキンに冷えたビールを流し込み、ホゥッとため息をつく。
「生きッッッッ返ります!!」
しかし彼女の戦いはまだ終わらない。続けてオニキスは次なる獲物に目を移した。網の上に置かれ、カパッカパッとその殻を口のように開く蛤たちが、まるで合唱団のように仲良く殻を開いていく。オニキスはうっとりとその光景を眺めると、一つ一つ、大切な花に水をやるかのように醤油を垂らしていった。やってることは焼酎片手に鼻歌を歌うオッサンのような光景なのだが、彼女が行うと可憐に見えるので不思議である。
「ちゅぎは君たちの番でちゅよぉー」
「……うわぁ、気持ち悪い。国の者達には見せられない光景ですね。あ、大将、シャマはホッキ貝を所望です」
「ホッキ貝!?ホッキ貝もあるのですか?大将さん、私にも同じものをお願いします!!」
蛤に赤ちゃん言葉で話しかけるオニキスに、流石の従者もドン引きするが、興奮しきったオニキスには最早他人から映る自分の姿など気にもならない。今は只々このめくるめく桃源郷に身を任せるのみだった。
「あ、大将さん、私には冷酒を「ダメです。今日は酔いつぶれさせませんよ」あうぅ、ビールのおかわりをください……」
冷酒を止められ、涙目になっていたオニキスだったが、蛤を一つ口に入れればその顔には満面の笑みが浮かぶ。コロコロ変わる可愛らしい表情に、横にいる従者の息が徐々に荒くなって来ているが、オニキスはそんなことは気がつかずドンドン新しい貝を注文していく。
様々な貝が炭で焼かれ、そしてオニキスの口に運ばれた。そして、その都度オニキスが浮かべる幸せそうな笑みには、店内にいる屈強な男達もメロメロになってしまい、店内の雰囲気は普段とは全く違う異様なものへと変化していた。
「シャマ、シャマ!見てくださいこの大きなサザエを」
「おぉ、これは凄いですねシャマも注文します!」
最初の内はオニキスのテンションにドン引きしていたシャマだったが、暫くすると、オニキスと同じ様に貝料理に舌鼓をうち始めており、そのテンションも似たようなものに変わっていた。所詮は彼女も生粋のフェガリっ子。快楽に弱く、陽気で、物事を深く考えない質なのだ。
ニコニコとサザエの身を穿りながらふと手を止めると、オニキスは心底幸せそうなため息をついた。
「ふぅ、シャマ、サントアリオで学生をするというのは、なんとも毎日が楽しいものですね」
「ムグムグ、そう……ですねシャマも少しは楽しいと、感じることが無いでもないです」
「ふふふ、シャマは素直じゃないですねぇ」
「そんな事ないですぅ~」
目を逸らせ少し頬を赤くしながら否定の言葉を上げる従者の態度が微笑ましく、思わずオニキスに笑みが浮かぶ。
「フェガリには、同い年の友人などは少なかったですものね。強いて言えば月詠でしょうか」
「あんな雌犬はシャマの友人の資格はねぇのですよ。オニキスちゃんだって友達らしい友達は大和くらいしか居なかったじゃないです?」
「……私はあんな蛮族と友人になった覚えは無いですよ?」
同じ様な返しをした二人は顔を見合わせると、何か無性に可笑しくなり、声を上げて笑いながらビールを飲んでいた。
……――楽しい。
いつまでも続けるわけにはいかないが、それでもこの学園生活は楽しい。友人に囲まれ、魔王オニファス=アプ=フェガリの重責を忘れ、一人の少女オニキス=マティとして振る舞う。今まで無かった、楽しく穏やかな日々。シャマと二人、ほろ酔いになるまで飲んでからゆったりと帰路につく。
炉端焼きや”サクラ”は実に結構なお味だった。できれば今度はリーベやリコス達も連れて来たい、今日頑張ってくれたシーザーさん……は苦手なので遠慮していただくとして――大和や月詠も一緒に来られたならきっと楽しかろうと、オニキスはそんな事を考えて歩いていた。
――――
最初、異変に気がついたのはシャマだった。
「あれは……?」
聖サントアリオ学園の校門前、日も暮れて人気のないそこに何かが落ちている……いや、倒れている。
「……菊正宗、六甲?」
慌てて走りより、倒れている人を抱き起こすと、二人の顔には見覚えがあった。月詠と大和の従者。菊正宗と六甲の二人だ。近づいて見て分かった事だが、彼女たちの姿は異常なものだった。服はいたるところが裂け、体には無数の斬り傷。酷いものになると内臓の手前まで斬り裂かれるほどの深手もあり。それ以外の場所も痣や火傷だらけであった。
「菊正宗、六甲、何があったんですか!?話せますか?」
傷がひどいので揺することは出来ず、とりあえず声をかけて二人の意識を確認する。暫く呼びかけると、うめき声をあげつつ二人に意識が戻った。
「オニ、ファス陛下!?……オニファス陛下!良かった、サントアリオ学園までたどり着けたのか、ゴフッ!!」
興奮しながら起き上がった為に吐血する菊正宗、しかし自分の吐血など全く気にもとめず、彼女は必至に状況の説明を開始した。
――彼女の告げた言葉は、オニキスに目の前が真っ暗になるような衝撃を与えた。
「オニファス陛下、心して聞いてくださいませ、祖国クティノスで謀反が起きました」
「な、謀反……?」
「”天津國 夜藝”殿下がご乱心。父王様を殺害された後、王位を簒奪、クティノス新皇となられました」
信じられない事を告げられたオニキスは流石に冷静ではいられなかったが、夜藝が皇位を奪ったなら確認しなくてはならない事がある……嫌な予感がする。
「菊正宗、大和と月詠は、彼らはどうなったのですか……」
横ではシャマが何も言わず話を聞いているが、その顔色は血の気が引いて蒼白だった。
「……」
「答えよ菊正宗ッッッ!!」
口ごもる彼女に思わず大きな声が出てしまう、嫌な予感は止まらない。
「……月詠姫様は近日公開処刑の予定、大和殿下は……」
「大和殿下は夜藝殿下を止めようとして、その場で誅殺されました……」
「ッッ!!」
先程までオニキスの胸に感じられていた確かな幸せ、楽しい時間。
しかし、そういった失いたくない尊い物というのは、得てして長くは続かない物なのだ。
これにて第二章終了です。
不穏な終わりですが鬱展開にはしないのでご安心ください。




