第三十三話 火竜
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――魔狩祭観客席
祭りの喧騒で賑やかだった会場は、現在戸惑いのどよめきと、怒りの怒号で溢れていた。先程まで問題なく移されていた先頭組の映像が、現在トップのチーム”白鳥王子と愉快で華麗な仲間たち”が4層ボス部屋に向かった直後から映らなくなってしまったのだ。下位チームの映像は依然映っているのだが、先頭集団の情報だけが入らなくなってしまっていた。
「おいおいおい、良い所だったのに、なんでよりによって先頭だけ映らねえんだよ」
「え、なになに?事故?映ってないだけ?」
しかし飛び交う怒号も、所詮はお祭り騒ぎの延長だった。学園はこの日のために数日前からダンジョン内の魔狩祭準備を進めており、殊更安全面に於いては細心の注意を払っていた。また、会場がダンジョン上層という事もあり、元々危険度は非常に低く、たかが映像魔道具の不具合程度どうということもないと、学園も観客もこの事態を大きな問題と見ていなかった。
そんな熱気の中、フードを目深にかぶった一人の男が冷たく笑う。
「ふむ、第一段階は順調といった感じだな……」
男は誰にも聞き取れない程度の小声でつぶやくと、するりと人混みから姿を消す。そんな男のことを気にする者はこの場には一人も居なかった……。
――――――
三層にて、シーザーを追い抜いた”白鳥王子と愉快で華麗な仲間たち”は、まさに破竹の勢いでダンジョンを進んでいた。ディアマンテ、ヴィゴーレ、リーベの三人は、治癒術士二人と剣士一人というバランスの悪い構成であったが、ヴィゴーレが下手な盾使いよりも堅固な壁役をこなせるため、実は絶妙なバランスの良さを誇っており、四層の道中も、その足を止めることは無く凄まじい勢いで進んでいた。
しかし、順調に見えた彼らだったが、路地を曲がり、階段前のボス部屋に足を踏み入れた瞬間に何者かの一撃を受け、吹き飛ばされたディアマンテを見た瞬間空気がかわった。
壁に叩きつけられて動かないディアマンテに、はじめは巫山戯ているのかと思っていたリーベだったが、
うつむいたまま動かないディアマンテの様子にこれが尋常ではない事態だということを悟った。路地を曲がった先に何が居たのかは分からないが、取り敢えずディアマンテほどの剣士が咄嗟に対応しきれない相手がそこにいるのは確実であった。
「ディアマンテさん……ヴィゴーレさん!奥に何が居るか見えますか?私はディアマンテさんを回復しますので、路地の先に居る魔物のの動きを暫くの間止めてください」
「……分った」
慌てて駆け寄り、ディアマンテに治癒術を施すリーベだったが、ヴィゴーレが気になり後ろを向いた瞬間、信じられないものを目撃してしまう。
後ろでは必死の形相でヴィゴーレが魔物の爪撃を受け止めていた。受け止めている爪は黒曜石のように黒く美しく、そして巨大だった。全身は燃えるような赤い鱗に包まれ、黄金に輝く双眸には縦に一本細く黒い線が走っている、その双眸からは凄まじい殺気が感じられ、理性の光は宿っていないように感じられた。リーベが初めて見るその威容は、物語でしか聞いたことのない現実離れした存在感を持っており、死の体現とも言えるその姿からは目が離せず、生物の持つ本能的な恐怖が這い上がって行く。
「……ドラ……ゴン……?」
「グリュック!ディアマンテを急いで回復しろ、逃げるぞ!!」
「は、はい!全能なる主よ、彼の者に癒やしの祝福を、癒しの光」
「……う」
自然と奥歯が噛み合う音を立て、恐怖から思考が停止していたリーベだったが、ヴィゴーレの叱責に正気を取り戻した。彼女は即座に己のなすべき事を思い出し、ディアマンテに対して治癒術を施す。リーベの指先から、優しげな光が流れ、ディアマンテを包み込む。するとみるみる体の細かな傷が塞がり、真っ青だったディアマンテの顔色に朱が差し込んだ。
しばらくして、リーベの治癒術により軽い脳震盪から目覚めたディアマンテは、目の前に広がる信じがたい光景に一瞬言葉を失うが、すぐに気持ちを切り替え、落ちていた剣を拾った。
「すまない、二人共、少し迂闊だったぁね。まさかこんな所にドラゴンが居るなんて思わなかったけど、僕が起きたからにはもう大丈夫さぁ、すぐに僕の剣で葬ってあげるぅよ」
「ダメだ、ディアマンテ、即座に退却するぞ!……ぐぇっ!?」
ドラゴンの爪をメイスで巧みに防いでいたヴィゴーレだったが、二人に気を取られた隙に、死角から尾による一撃を叩き込まれる。流石のヴィゴーレも、全く想像もしていなかった死角からの一撃に大きく吹き飛ばされてしまった。
「ヴィゴーレ君!?リーベ嬢下がって!」
「は、はい!」
吹き飛ばされたヴィゴーレと入れ替わるようにディアマンテが疾走る。
「斬撃!」
迎撃のために爪を振るう火竜の一撃を潜り抜け、ディアマンテは低い体勢から斬り上げるように斬撃を放つ。よく見るディアマンテ得意技の斬撃だったが、何故かその声からは普段にはない真剣味が感じられた。しかし、火竜の体を斬り裂くはずの斬撃は、火竜の持つ赤い鱗に触れると火花を散らし、金属を激しく擦り合わせたような音を立てながら、斬撃を弾き返す。斬りつけたはずの鱗には寸毫の傷もつかず、ルビーのような輝きを放っていた。
ディアマンテに爪撃を受け流された形となった火竜は体勢を崩したが、その勢いのまま倒れ込むようにしながら巨大な口を開きディアマンテの方に倒れ込むと、そのまま勢いよく巨大な顎を閉じてきた。とっさに後ろに下がることで何とか口撃を躱したディアマンテだったが、わずかに掠った牙により股間の白鳥の首が千切れ飛ぶ。
「ッッ……!魔力繊維で編み込まれた防刃素材のキングゼグザル十三世を一撃で!?」
「そんな高級素材だったのか……あれ……」
「ふぇぇぇぇぇ、そんな事言ってる場合じゃないですぅ」
ディアマンテを噛みそこねた火竜は、そのまま起き上がろうともせず、鼻から大きく息を吸い込むみつつ頭だけをのけぞらせる。
「息吹、来るぞ……」
「ふぇ!?主の名のもとに、煉獄の炎よ退け!耐火障壁」
リーベたちの周りを赤い光の壁が覆った瞬間。通路を埋め尽くす程の炎がリーベ達に襲いかかった。
「……うぐ」
何とか耐火障壁で受け止めたものの、その鉄をも溶かすと言われる炎は容赦なくリーベの魔力を削っていった。展開された障壁は炎の熱を完全に遮断するが、その防ぐ熱量によって消費する魔力は変化する。火竜の息吹であれば、通常の学生の張る耐火障壁など数秒で消し去ってしまうほどの火力を持っているのだ。
「凄いねぇ、リーベ嬢は聖女候補とは聞いていたけど、これほどとは……」
「……しかし、それでもいつまでもこんな強力な耐火障壁を張り続けられる物ではない」
「……」
ヴィゴーレの言葉にリーベの顔を見れば、そこには珠のような汗を浮かべ、必死の形相で杖を掲げるリーベの姿があった。普段のおっとりとした印象は形を潜め、今の彼女には、仲間を守ろうとする必死さがあった。その姿はまさに聖女と呼ぶに相応しく、神々しさすら感じられるものだった。
「ディアマンテ、炎が晴れたら、即座に最大の攻撃を仕掛けろ、隙を作って彼女を逃がすぞ」
「それは賛成だけどぉ、この炎、勢いがとまらないんじゃぁない?」
火竜の息吹は勢いを弱めずに通路を燃やし続けていた、リーベの顔色を見る限り、このままでは反撃の隙もなく燃やし尽くされそうである。
「せめて一瞬でも口を閉じてくれれば」
いよいよ障壁を張るリーベの顔に限界の色が浮かび、片膝を着いたその時……。
「強斬撃!」
強烈な衝撃音が響き、火竜の体が階段部屋の方へと押し戻される。直後、甲高い音をたてながらリーベの障壁が砕け散り、魔力を酷使した彼女の体が地面に倒れ込もうとしたが、その体が倒れる前に赤い闖入者がそっと抱きとめる。
「おっと、ギリギリだったけど間に合ってよかった!三人共大丈夫かい?」
「君は……」
場違いに明るい声をあげ、爽やかな笑みを浮かべる赤髪の青年。
勇者候補シーザー=トライセンがそこに立っていた。
ちょっと短めです、ごめんなさい難産でした。




