第十三話 遠い日の雪 あとナポリタン
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冬も近づき息も白くなる肌寒い早朝。クティノス城園内にある迎賓館の縁側に黒髪の少年が座り庭を眺めながら厚い茶を啜っていた。一見少女に見えるほど美しい少年であったが、茶を飲みながら縁側に座るその佇まいは最早老年の域に達しているかの如き枯れ様であった。
「オニファス殿下、こんな時間に珍しいですね。一体何をなさっておいでなのですか?」
「やあ、これは夜藝殿下。肌寒さに珍しく早く目を覚ましまして、何事かと外を見れば雪が振っておりました故、これをずっと見ておりました。」
春の陽気を思わせる優しい笑顔を浮かべながらオニファスに話かける男。天津國 夜藝。クティノス第一王子にして王位継承第一位、天津國大和と月詠の兄である。
「ほう、雪をですか?それほど面白いものですかな?」
「然り、雪が降る様は実に面白いものです。この白く染まりゆく景色も幻想的で良いのですが、特に私はこの雪の日の独特の静寂が……何とも言えず面白いのです。」
寒さで鼻を赤くしながら茶をすする少年は、どこを見るでもなく不思議な目を雪の積もる庭に向けている。夜藝は少年の横に座ると自分も彼と共に庭を眺め始めた。
「…………オニファス殿下の感性は私には少々高尚すぎる様ですねぇ。」
共に眺めれば何か通じるものがあるかと思い座って見たが、いくら眺めてみてもオニファスが楽しんでいるものが何なのかは夜藝にはあまり理解することが出来なかった。
「ふふ。夜藝殿下は幼き頃よりこのクティノスで暮らしておられるので解らぬのでしょう。この国は素晴らしい。春夏秋冬、これほど多様な表情を見せる国は他にはございません。」
「なんとも雅な……フェガリ人であるオニファス殿下が一番クティノスの心を理解しておられる。私と弟も見習いたいものですね。」
「何を言っておられますか……夜藝殿下とあの山猿では同じ人種とも思えませんよ。」
「山猿、山猿か。ふふ、言い得て妙であるな。あれが聞いたら怒り狂いそうだ。ははは……。」
山猿がよほどツボに入ったのか、目に涙を浮かべながら笑う夜藝。しかし、これほど笑っても何処か品の在る様はとても大和と同じ血が流れた男性とは思えなかった。元々クティノスの皇家は獣の気が強く、貴族または皇族であっても気性の荒い当主が多い。現在は様々な文化が育ち、他国と比べても遜色のない豊かな国となったが、遥か昔、古代クティノスなどは、皇の血筋から跡継ぎを決めるのではなく、その時その時に最も力の強いものが王を努めていた。しかし夜藝は、そんな獣人の王族には珍しく、実に温和な性格をしている。血生臭さを嫌い、雅さを求めた近代クティノスの文化の象徴のような男だった。
「私はね、本当は皇族になど生まれたくは無かったのですよ。」
「ほう?」
静かな縁側にズズッとお茶の音が響く。
「クティノスの皇には”あれ”こそが相応しい。いっそ”あれ”に皇位を譲って、私は詩でも吟じながら諸国を漫遊などしてみたいと思うのですよ。」
ズズ……。再び茶を啜り、茶菓子の米菓をクチに入れ、ボリボリと小気味の良い歯ごたえを楽しみつつ、夜藝の言葉も噛みしめる。
「それは何とも、夜藝殿下らしい夢ですねえ。」
「ふふふ、そうでしょうか?」
「そうでしょうとも、良い夢です。実に……良い。」
まるで時の流れが緩やかになったかのような空間。その昔、オニファスとクティノスの皇子が語った他愛のない夢の話。そんな懐かしい光景は徐々に白み、オニファスの覚醒と共に遠のいて行く。
「ああ、そのときは是非、予も共に行きたいものです……。」
――――――……
朝日が差し込み脳が一気に覚醒してゆく。しかし、オニキスは大きく欠伸をした後に伸びをすると、はだけた布団を手繰り寄せ、再びそのまぶたを閉じていく。その怠惰な姿は、普段の凛としたオニキスとはかけ離れており、もしこの姿を見られようものならオニキスのイメージは姫からポンコツに急暴落することは間違いなかった。
「オニキスちゃーん!何を当たり前に二度寝しようとしてるんですかー。」
しかし、そんな怠惰を許さない者が居た。
「うぅ……去れ……悪魔よ……私は……眠りゅのでしゅ……。」
無表情でオニキスの部屋に立つ少女、シャマ。彼女の朝は、この寝起きの悪い主君を起こすことから始まる。魔王の頃から自力で起きる事の出来ないオニキスは、学園入学初日にシャマに自分の部屋の合鍵を渡している。オニキスは緊急時の為にと言っていたが、これは暗に「朝は起こしに来てください」のサインであることをシャマは即座に察していた。
「オニキスちゃーん、カウントダウンしますからねー。」
「うぅ、シャマ~、5分、5分で良いのです、私は5分寝たらきっと生まれ変われるのです。」
「訳解んない事言ってもダメですー。行きます5,4,3,2……。」
「うぁぁ~、カウントが早い、助けて……。」
「てい!!」
カウント2で布団が引っ剥がされる。
「ぐぁぁぁ、ひどい!!まだ2だったのに!!鬼!悪魔!シャマ!!人でなし!!」
「途中になにか混じってる!?」
陸地に打ち上げられた魚のようにくねくねとしながらも一向に起きようとしないオニキス。しかし、夏の朝の陽気は布団を奪われたオニキスに何の痛痒も与えることが出来なかったらしく、暫くすると何事もなかったかのように規則正しい寝息が聞こえてきた。
「……いい度胸ですオニキスちゃん、10数える間に起きなかったら、約束のナポリタンは無しですよ。」
「ッッ!?」
「10、9,8,7、0……。」
「起きます、起きましたぁ!!」
「残念、もう0まで数えました、時間切れです。」
「7の後おかしかったですよ!?」
食欲が全てに勝るオニキスは、強敵、睡眠欲を打ち払い、遂に覚醒に成功する。実はこのやり取りは、わりと頻繁に行われていたりもする。
「全く、毎朝手間をかけさせないでください。それじゃあシャマはナポリタン作りますから、顔を洗ってきてくださいね。」
「は~い。」
口では面倒と言っているが、このやり取りは実はお気に入りであるため機嫌の良いシャマは、すばやくエプロンを着けるとキッチンに向かいナポリタンの準備を開始する。
「そう言えばシルエラはどうしたんですか?昨日は貴方の部屋に泊めたのですよね?」
「シルエラちゃんなら一緒に来てますよ。今おトイレに入ってます。」
噂をすればなんとやら、トイレの扉が開き、中から半分目をつぶったシルエラがフラフラと出てきた。
「……おとーさん、おぁよぉございます……。」
「お早うございますシルエラ。」
ペコリと挨拶をするシルエラ、そのままの体勢でフリーズする。妙に静かだと思えば、シルエラは一応状況把握はできているが、意識の半分が夢の世界に旅立っているような状態だった。
「取り敢えず直ぐにご飯できますから、シルエラちゃんの顔も洗って上げてくださいねー。」
「わかりました、シルエラこっちへ来てくださいね。」
「はぁい。」
フラフラと歩いてきたシルエラを抱きかかえると、水を張った洗面台に届くようにオニキスが抱きかかえる。すると彼女はその小さな手で水を掬い、くしくしと顔を洗い始めた。
「おお、自分で洗えるなんてシルエラはえらいですねー。」
「えへへ、シルエラいい子?」
オニキスに褒められるとへにゃと笑顔になるシルエラ。あまりの可愛さにタオルで水を拭くついでにそのままシルエラの頭を撫で付ける。両手でワシャワシャと撫で続けるとシルエラはキャーキャー騒ぎ始めたがその顔は満面の笑顔だった。
「はいはい、ふたりとも遊んでないで朝ごはんはこんでくださーい。」
「「はーい。」」
食卓にサラダやスープを運び、いよいよメインディッシュのナポリタンが運ばれた。シルエラはどうすれば良いのかよくわからないようで、初めはフォークを握ったままキョロキョロとオニキス達の事を眺めていたが、暫くすると二人の真似をしてフォークでナポリタンを巻き、それを口に運ぶ。
直後、その目は大きく見開かれ、シルエラから歓声が上がる。
「ふぁぁぁぁ~。おいしぃぃ。」
「ふふふ!そうでしょうそうでしょう!」
シャマの特製ナポリタンは、レストランなどにあるデミグラスソースなどを加えたリッチな味のそれではない。しかし単純なケチャップ味と言う訳ではなく、隠し味的に中濃ソースと砂糖と粉チーズを少量加え、表面が少しカリッとなるまで炒める、具材は玉ねぎと薄くきったソーセージと輪切りのピーマンのみ。非常にシンプルな味付けである。が、家庭的な材料のみで作られたそれは仄かに甘みがあり、子供の心を鷲掴みにする優しい味がするのだ。
シルエラは口の周りをケチャップで真っ赤にしながら無心でナポリタンをかっ込む。シャマはその食べっぷりに満足しつつ、シルエラの口を時々拭いていたが、暫くすると真面目な表情でシルエラに負けないほどの幸せそうな表情でナポリタンを食べているオニキスの方を向く。
「……オニキスちゃん、取り敢えずこの娘、マリア=トライセンには報告する必要があるかとおもうのです。彼女に関しては色々不安要素もありますが、この学園の責任者は彼女ですし、事が事なので内緒にするわけには行かないかと……。」
「そうですね、もしかしたら彼女ならあの砦の遺跡についても何か知っているかも知れませんし。私も報告には賛成です。」
「んぅっ?」
口の周りを赤く染めながらコテンと首を傾げるシルエラ。その姿は愛らしく、自然とオニキスも笑顔が浮かぶ。
「まぁ、何かあってもおとーさんが護ってあげますから、シルエラは何も心配しなくて大丈夫ですよ。」
「んー?わかんないけどありがとぉ、おとーさん。」
ニコニコ笑うこの娘が何であれ自分が護って行こうと決心しつつ、二人は学園長の元へ向かうことにした。
エイプリルフールは書いてからおもったけど、嘘でも何でも無い回でした。
リーベは本当にどうしてああなってしまったのか……。
ナポリはないけどナポリタンはある世界……。




