第二十二話 オニ様をお兄様とは認めません。
今回はそこそこ長いです。
前回はすいませんでしたー。
22
「御機嫌よう、月詠殿。」
「ぐ……。」
翌朝、月詠の部屋の前には件の少年が笑顔で待っていた。
「今日は大和と川に行こうという話なのだが、
良ければ其方も一緒に行かぬか?」
「ッ……。」
勢い良くドアを閉める。
一体何だというのだろう。
今日も胸がモヤモヤする。
窓から外を見るとあの少年が大和と走っているのが見える。
ふと目が合うと笑顔で手を振ってきた。
急に顔が熱くなっていき、慌ててカーテンを閉めてしまう。
自分でも何がしたいのか理解できず混乱する……。
……腹立たしい。
(知り合って間もないのに、
何故あの方はこんなに間合いを詰めてくるのでしょう……。)
今までこの様な形で月詠に近づいた人間は居なかった、
それ故、月詠はオニファスの行動に混乱してしまう。
少年は暫くこちらを眺めていたが、
再び大和と二人で森の方へ走っていった。
結局、月詠はこのモヤモヤした感情が何なのか解らず、
その日も一日部屋の中で過ごした。
……――――――
「やあ、月詠殿。今日もいい天気であるな。」
「……。」
次の日も次の日も、
オニファスは朝一番に月詠の部屋の前で挨拶をしてきた。
そして、決まって大和との遊びに誘ってくる。
その後は、毎度素気無く断られ、
しょんぼりと肩を落として出かけて行く。
今日はバレないようにカーテンの隙間からこっそり二人を眺めると、
オニファスがこちらに気が付き手を振っている。
なぜ見ているのがわかるのだろう?
暫く手を振ると、大和に急かされ森に入っていくのが見える。
「――そんなに外が面白いのでありましょうか?」
何となく何時も楽しそうに森で遊ぶ兄とオニファスに少し興味が湧き、
月詠は久しぶりに外に向かって自ら足を踏み出す気になったのだった。
――――
久しぶりの外出は想像以上に素晴らしかった。
森の木々は爽やかに揺れ、
飛んでいる鳥や虫、小動物なども月詠の興味を引いた。
嘗て森に入った時はこの様に気を引くものなどなかった気がするが、
今日は不思議と全てが面白い。
月詠は足取りも軽く、どんどん森の中へと突き進んだ。
もしかしたらあの二人にも会えるかも知れないと言う期待を持ちながら。
……しかし。
その気持はすぐに不安と後悔に変わっていく。
初めのうちは木々や動物に囲われ楽しく散策して居た月詠だったが、
子リスを見つけて追いかけている内に、
道を見失いどちらに進めば良いのかもわからなくなってしまった。
本来こう言う場合はあまり彷徨くべきでは無いのだが、
幼い月詠にそれが解るわけもなく。
「あに様……。」
心細さから次第に涙が溢れてくる。
「あに様!あに様ー!!」
泣きながら兄を呼ぶも返事はなく、
辺りは徐々に暗くなっていく。
先程までは、
美しく心躍る光景だった森は今は恐ろしい姿に変わってしまった。
伸びる枝葉は腕をもたげる魔女の姿に見える。
辺りで蠢く虫や小動物の音は、
今は月詠を狙う悪魔の声に聞こえる。
最早泣き過ぎて声も枯れ、それでも月詠は走った。
しかし、恐怖のあまり目も開かず森を走り抜けた少女は、
小崖に足を取られてしまいそのまま下まで落ちていく。
たった1Mほどの段差であったため怪我は殆どなかったが、
その落下の衝撃は幼い少女の心をへし折るには十分過ぎた。
「う、うぇ、だれかぁ……もう嫌じゃぁ……。」
ガサッ……
「ひっ!?」
最早動く気力も無くなった月詠の目の前で茂みが揺れる。
「あに……様?」
そんな都合のいいことなど無いと知りつつも、少女は希望に縋る。
――しかし、そんな少女の希望をあざ笑うようにゆっくりと絶望が姿を現した。
大型犬ほどの大きさに黒い毛皮、
そして赤く燃えるような瞳。
口は大きく裂け鋭い牙が見て取れる。
獰猛な唸り声をあげるそれは、
月詠をじっと見つめながらゆっくりと近づいてきた。
「イヤ、イヤァァァァッ!!」
ブラックウルフ。
この森の唯一にして最凶のプレデターである。
幼いながらも賢い月詠は即座に理解してしまった。
――間もなく自分は死ぬと。
(嗚呼、何故妾はこんなところに来てしまったのだろう。)
数秒後に訪れるであろう自分の死。
それを避けられないと悟った時、
彼女の脳裏に色々なものが浮かんでは消えていった。
父は私の死をどう思うだろうか。
母上はきっとショックを受けてしまうのであろうな。
兄様達は……大和は間違いなく泣いてくれる気がする。
家人はどうでありましょう……。
家令のジィは泣いてくれると嬉しいですねぇ……。
……。
その時、月詠の頭に一瞬、あのおかしな少年の顔が浮かぶ。
「あの御仁は、くふふ、何やら泣いてくれる気がしますね。」
これから死を迎えるというのに何かおかしい気持ちになり、
月詠の表情に笑みが浮かぶ。
そして覚悟を決めた。
死ぬまで抗おうと。
「妾は天津國 月詠、クティノス獣人国が姫!
容易く貴様の様な犬の糧になるとは思うでないぞ!」
たとえ死すとも誇りを持って、最後の最後まで足掻いてやろう。
あの少年の顔を浮かべた時そんな気持ちになった。
自分のことながら何故そのような事を思ったのかはわからない。
しかし、月詠の心は先程までとは違い晴れ晴れとした物となっていた。
「さあ、来ませい!!」
力強い気迫に一瞬だけブラックウルフはたじろぐが、
大きく唸り声を上げ一気に月詠に向かって間合いを詰めて来た。
思わず目を瞑り腕を交差して顔の前に構える。
そのまま来たる衝撃に備え体に力を入れてて待ち構えた。
――……。
「え?」
暫く体を強ばらせ待っていたが、ブラックウルフの攻撃が来ない。
訝しみつつ恐る恐る目を開くとそこには、
ブラックウルフを踏みつけている少年の姿があった。
ブラックウルフは必死に藻掻いているが、
全く抜け出すことが出来ないようだ。
「予の”妹に”手を出すには些か躾がなっておらんな、居ぬが良い。
……月詠殿、お怪我は無いか?」
「オ、オニファス殿下ぁ。」
朗らかに微笑むオニファスの顔を見ているうちに、自然と涙が流れた。
オニファスはブラックウルフを蹴り飛ばすと、
月詠のもとに近づき優しくその体を抱きしめる。
「うむ、うむ、恐ろしかったであろう。
この”兄”が来たからにはもう大丈夫であるぞ。」」
安堵から月詠は、
涙と鼻水でぐちゃぐちゃになりながらオニファスに縋り付き顔を埋めた。
オニファスはそんな月詠の頭を優しく撫で、
懐から出したハンカチで顔を拭いてやる。
「そんな顔をしていては折角の可愛い顔が台無しであるな。
さあ、この”兄”と共に夜の森の散歩と洒落込もうではないか。」
やたらと兄を主張しているオニファスが可笑しくて、
思わず月詠の顔に笑みが戻る。
この方は何故そんなに妹が欲しいのだろうか?
「くふふ、それでは”オニ様”。
妾をエスコートしてくだされ。」
「!!」
”オニ様”と言う呼び名を聞いて、
これ以上無いほどにオニファスの表情が輝く。
しかし、すぐに違和感に気が付くと、
見る見るションボリとした表情に変わって行く。
「それは”おにいさま”でも”あにさま”でも無いのだな。」
「はい、オニ様がお兄様では困ってしまいます故。」
「それほど嫌であるか……いや、兄への義理立てか。
兄らを愛しておるのだなぁ……。
……それでは予が其方を妹して扱うのは……?」
「くふふ、オニ様がそう思うのは御自由で御座いますが、
妾は承服致しませぬ。」
「うぅ~、月詠に兄として認めてもらうのは大変なのであるなぁ……。」
月詠としては、たとえオニファスがどれだけ求めていたとしても、
決して彼を兄と認めるわけには行かなくなっていた。
先程助けてもらった時に気がついてしまったから。
――自分の気持に。
月詠はこの先何が起きたとしてもオニファスの”妹”にはなれない、
いや、なる訳にはいかないのだ。
「くふふ、オニ様そんな悲しそうな顔をしないで下さいませ。」
そう言うとオニファスの手を握り、二人で夜の森を歩く。
手を伝って感じる暖かさに月詠の心も暖かくなるような気がした。
先程まであれほど禍々しく感じていた森は、
いつの間にか月夜に照らされ幻想的な雰囲気となり、
先程まで恐ろしく聞こえていた虫や動物たちの声は、
まるで二人の散歩を楽しいものに変えてくれる演奏のように聞こえた。
見上げれば少し悲しそうなオニファスの横顔が見える。
一見少女の様なその横顔は、
今は月詠にとってこの世の何よりも頼もしいものに見える。
月詠は意を決して、オニファスに自分の気持を伝える覚悟をした。
「……オニ様、オニ様さえ宜しければ、
何時か妾の事を……妻『おぅ、みぃつけたぜぇ!!』ッ……!?」
茂みから現れたのは兄であった。
暗がりの茂みから現れたその姿は、
王子というより本物の山賊のようだったが、
今の月詠にとってそんな事はどうでも良い。
「おお、大和ではないか、遅かったな!
”我らが妹”月詠はこの”兄”である予がきちんと見つけ出したぞ!!」
「お、おぉ~、お前ぇまたそれ言ってやがるのかぁ?
結構難儀な脳みそしてやがんなぁ?
……っと、月詠?
お前ぇは何でぇそんな殺し屋みてぇな目でこっち見てやがるんだぁ?」
「こ……の……野暮天がぁ!!」
「!?」
直後、般若のような顔をした月詠から鋭い突きが放たれた。
年齢の割に小柄な彼女の正拳突きは、
年齢の割に大柄な大和とは大分身長差があり、
本来水月を貫くはずだったそれは、
貫くべき対象を大分下方に変化させた。
……所謂金的である。
「ひえ!」
「ォッアッ……――…………――ッ!!」
オニファスは内股になり、大和は泡を吹く。
「わ、妾もう知らぬ!!」
顔を真赤にしながら全力で走って行く月詠、
逆に真っ青な顔で痙攣する大和。
「す、すまぬ、月詠を一人には出来ぬ故、予は月詠を追う。
其方は大丈夫であろう?
……だ、大丈夫であるよな?」
痙攣する友が心配ではあったが可愛い妹に何かがあってはいけない。
大和も今の状態で魔物に襲われれば危ないかもしれないが……
いや、こいつなら手足の二、三本失っても、
笑いながら戦ってそうなのできっと大丈夫だろう。
「あに様の馬ぁ鹿ぁぁぁぁっ!!」
静かな夜の森に、月詠の絶叫が響き渡った……。
――――
こうして彼らの仲は親密となり、
この後は大和と月詠との3人で色々な所へ冒険に行くことになる。
翌年には従者であるシャマが付いてきたために
また一悶着あったのだが、それはまた別の話。
――――
あれから10年ほどが経った。
月詠は今もあの頃と変わらない気持ちをオニファスに抱いている。
いや、心も体も成長した今、
月詠のオニファスへの想いはあの頃とは比べ物にはならないほど大きい。
オニファスが怪我をすればすぐに治せるように治癒術を修めた、
彼に良からぬことが起きぬよう占星術を学んだ、
更に彼に取り憑くお邪魔虫をすり潰す為に風水術、
それも戦闘に特化したものを修めた。
炊事洗濯裁縫全て一般水準以上の腕をもち、
密かに夜の営みのことも猛勉強している。
……猛勉強である。
全てはオニファスの為、
月詠の人生は全てオニファスのためだけに存在していた。
これは最早崇拝に近く、
月詠の心の中を覗けるのであれば、
その愛の重さに殆どの男は尻込みをするだろう……。
(今は女学生オニキスとしてこの学園に潜入されて居られるようですが、
あぁ、女性の服をお召になってもお美しい。)
暗い洞窟を二人並んで歩くとあの日の森の夜道を思い出す。
月詠にとって初めての恋心が芽生えた記憶。
月詠にとって人生の転換の日。
まるで何もすることがなく、日々をただただ生きていた。
世界には色すらなかったあの頃。
それを壊してくださった優しい魔王様。
あの頃の事を思い出せば、今でも心が暖かくなる、
たとえ背中には首なしの死体を背負っているとしてもだ……。
前方ではディアマンテとヴィゴーレが
転移魔法陣の中に入っているところだった。
何故か二人はまだ手を繋いでいる……。
「お先に行かせてもらうよ。また後でねぇ。」
「……。」
ディアマンテとヴィゴーレが光に包まれ、
その姿が溶けていく。
やがてその光が収束し、部屋の中の魔法陣は光を失っていった。
どうやら無事に地上に着いたらしい。
一度作動した魔法陣は再起動までに3分ほどかかる、
なので月詠は一旦背中の遺体を降ろそうとオニキスの方を見た。
その時視界の端にミルコが見えた。
その体勢に違和感を感じる。
何をしているのかとそちらを見るとそこには、
オニキスに向けて吹き矢を構えるミルコの姿が見えた。
オニキスはまだ気がついていない。
角を出していない状態の彼は、
周囲を探る力が大きく低下しているのだ。
「……ッ!?オニ様!!」
今から伝えても間に合わない、
既にミルコは攻撃モーションに入っている。
と、なれば月詠の取る行動は一つだった。
「……ッ!!」
「月詠!!」
結果、ミルコから放たれた悪意はオニキスには届かなかった。
その悪意は月詠の左掌に突き刺さっていたからだ。
「な、お姫さんの方に当たっちまったッスか!!
……うーん、まあ、それはそれで!」
針の刺さった月詠の掌がみるみる変色していく。
「これは!?まさか魔力侵食毒か、
いけない!月詠、すぐに魔力を消して!!」
――魔力侵食毒
その名の通り魔力に反応し体を侵食する毒素。
これを投与された人物は魔力を発動する度に、
激痛を伴いながら毒に侵食される。
細胞を破壊する効力をもつこの毒の厄介なところは
回復魔法では癒せないところにある。
治癒術師の扱う回復魔法も魔力には変わりないので、
癒やす速度よりも侵食の方が早いのだ。
また、この毒は周囲の魔力も集めてしまう性質を持つため、
この毒に侵された仲間がいる場合、
その他のメンバーも大きな魔法を使うことは出来なくなる。
この毒の解毒方法は薬物に依る解毒以外にはなく、
治療の殆どを回復魔法に頼るこの世界において、
この毒の存在は非常に厄介なものであった。
激痛で即座に意識を失ってしまった為、
月詠の掌の侵食は取り敢えずすぐに収まった。
この程度ならすぐに治療すれば問題ないはずだ。
オニキスは胸をなでおろす、
が、そちらに気を取られている間にミルコは次の行動に出ていた。
即座に間合いを詰め月詠に蹴りを放つ、
オニキスは即座に魔力循環を発動しつつミルコの蹴りを受け止める。
受け止めた衝撃でミルコの足が軋み、少しミルコの表情が歪む。
魔力循環であれば外に魔力が漏れにくい為、
魔力侵食毒は発動しにくい。
……それでもオニキスの膨大な魔力を
全力で循環させればその限りではないのだが。
とにかくオニキスにとっては、
肉弾戦に於いて魔力循環が使えるかどうかはかなり重要になる。
これさえ使えるのなら、
オニキスの近接戦闘能力は剣士科Sクラスの生徒にも勝るのだ。
しかし……。
「甘いッスよ!!」
ミルコの本命は蹴りではなかった、
その手からワイヤーのようなものが伸び、
意識のない月詠に絡みつく。
そのままワイヤーに引かれた月詠は体勢を崩し奈落の方へ倒れていった。
「月詠!!」
慌てて支えるも体勢が悪く落下を止められない。
「くそっ!!」
オニキスは即座に覚悟を決め、
月詠を強く抱きしめそのまま奈落へ落下していった。
……――。
「いやー、お姫ちゃんやってくれたッスねえ。
魔力侵食毒はオニキスちゃんに打ち込んで、
ここで一気に二人共殺っちゃいたかったッスよ。
ターゲットはお姫ちゃんッスけど、
オニキスちゃんの魔力が自由なのは正直ヤベーッスからねえ。」
ミルコはヘラヘラと笑いながら服に着いた土を払う。
「流石にあの状態で奈落から出てくるとは思えねえッスけど、
オニキスちゃんだともしかしてって気もするッスねえ。
そもそもお姫ちゃんが途中で死んじゃったら、
間違いなく出て来ちゃうッスよねえ。」
深くため息を吐くと真面目な表情になる。
「そうなるとお姫ちゃんって枷がある内に仕掛けたいッスねえ、
はぁ……こう言う直接対決みたいなのって嫌いなんスけどねえ……。」
そう呟くとミルコは迷わず奈落へ身を投げる。
その表情は満面の笑みだった。
「まあ対決にはならない気もするッスけどねえ……。」
月詠は可愛くて従順で素直で優しい
”ヤンデレ”
です。




