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第三話 男と女

 月のものを怯えて迎えた。10歳だった私は独りトイレに閉じこもり、自分ではどうしようも無い、まるで疫病の様に広がった下着の黒い染みを見て、

『きっと何か悪い事をしたから、天罰が下ったんだ』

自分を責めた。このまま腐って逝くのかと思った。 

 西に面した半畳にも満たない箱の中は冷え冷えとし、窓から差し込む日差しとは裏腹に空気が凍っているかの様に思えた。

 何とかここから抜け出さないといけない、その一心でショーツの中にたくし込んだトイレットペーパーがまるで巨人の手の様にごわごわしていた事を今でも覚えている。

「父さん、私、死んでしまうかもしれない」

トイレを後にした私の姿はがに股で、腰の曲がった老女の様によたよたと歩いた。

 書斎で本を片付けていた父は私を見ていぶかしげな顔をした。

「なにがあったんだ?」

と。そして打ち明けた私の言葉に浮かんだ表情は、あえて言うなら

“戸惑い”

だった。それは予想していた事とはあまりにも違った反応で、私がこんなにも悩んでいるのに、父は何も聞いていなかったのかとさえ思う程だった。多分その時の私は、顔に怒りを登らせていたのだと思う。父は悲しそうな顔で

「学校では教えてもらわなかったか」

そう言った。

『何も習っていない』

即答が頭に浮かび、同時に何かが頭をかすめ

「あっ!」

息を飲んだ。小学校三年生の西日の強い午後だった。女の子と男の子が別々の部屋に分けられ、

“保健体育”

の授業を受けた。正面には女性の体と妊婦のイラスト。ざわめく教室と一括する教師。

『皆さんの体』

先生は言い、解剖図を指差した。あの時教えてもらった

“月経”

というのが、これなのか、と。

 うつむいた私に父はすぐさま母の姉を呼んだ。上品ぶったその人は

「お手当しなければ」

と両方の手をきちんと前で組みながら話した。でも、どうやって? 尋ねる私にその人はため息の後に答えをくれた。床から拾い上げられ手渡されたのは、藁半紙の袋に入ったナプキンのパッケージ。

「汚物はそれに含ませるのよ」

トイレに行く様に命じられ、裏に書いている事を良く読む様にと言われた。二人だけのリビングにいて、たったそれだけ。いや、違う。

「だから男手一つで子供を育てるのは反対だったて、あれ程言ったのに」

の声を聞いた気がした。

 その晩、叔母が赤飯を買って来てくれた。その意味が分からなかった。しくしくと痛むお腹を抱え、父の悪口を言われ。誰一人笑ってなんかいない食卓で、何が喜ばしいのか、と。

『これって、どうして?』

『何で男の子には無いの?』

尋ねる度に困った様にひそめられる母の姉の眉を見ていた。あまり母とは似ていない、世間体と義理だけで面倒をみてくれたその人は、子供はそんな事知らなくていいと、場を濁し。

 それは恥ずかしい事なの? それなのにどうしてお赤飯を炊いてまで喜ぶの? 戸惑う私はなおも繰り返したものだ。

“オンナって、どう言う事なの?”

 それを知ったのは18の夏の夜。中学からの女子校で、不必要に箱入りだった。生物学的な男と女の違いを知ってはいたものの、それの現実は分からずに。

「道を教えて欲しいんだけど」

その男は私が子供の頃からよく遊んでいた近所の公園の傍で声をかけて来た。

「初めての場所なのに、この通り暗くなってしまって困っているんだよね」

と頭を垂れながら、さも申し訳無さそうに黒い帽子のつばを撫で。私は親切心から公園の中を通る近道を教え

「もしよかったら案内してくれないかな?」

の言葉に騙された。

 その瞬間、見慣れているはずの景色が歪んだ。天地がひっくり返り、何が起こっているのか分からず、でも、殺されると思った。叫び、有らん限りの力で押し退けた。必死だった。気がついたら走っていて、目の前には馴染みの公園が広がっているというのに、網膜にこびりついた三日月が私を笑い、アリスの国を彷徨っている気分だった。

 もしかしたらたった今起こった事は

“思い過ごしかもしれない!”

そう思い込もうとさえした。しかしひりひりと痛む腕の傷、引きずり込まれた生け垣のひいらぎの葉の痛みはまぎれも無い現実で。

『鬼がやって来る!』

私は人に助けを求める事さえ忘れ全速で走り、やがて息を切らし、それでも一秒でも早く逃げなければいけないと脚を動かした。

 そして倒れそうになる寸前の私を抱きとめてくれたのは、大学帰りの彼だった。

「おい、大丈夫か?」

一瞬、あの男かと身構え叫び声をあげそうになり

「おい、桜子」

聞き覚えのある声に救われる。

 彼はここに来て泣き出し、それを止める事が出来なくなった私を守ってくれた。

「大丈夫。」

そう言って一晩中。

 父よりも頼もしかったその腕を、私は今でも覚えている。幼馴染のお兄ちゃんは、私の知らない所で大人になっていた。


 以来、周りの嘲笑が聞こえた。不用心に女一人で夜道を歩くなんて、襲ってくれと言っているようなものだ、と。挙げ句に

『イタズラされただけで、何を大仰な』

そんな声がどこからともなく。

 その時から男が嫌いになった。襲われた事だけじゃない。男を正当化するその声の響きを憎んだのだ。いったい私が何をしたと言うの? 誘いをかけたとでも? 露出しながら歩いていたとでも言いたいの? 女っていうだけで、誘蛾灯とだとでも言いたいの? 女という存在である事事体が駄目なのだと?

 痴漢という行為が、体を触るって事だけじゃないって。レイプという恐怖が死に直結した現実だなんて、誰も教えてくれやしなかったのに。

 何よりも、男というものは、それら全てを自分の都合のいいように無視して、ねじ曲げる。

「今度俺も相手してくれない。」

知らない男から声をかけられた。

「楽しんだんでしょ?」

なんて。

 鬼畜だと。男の本質は鬼畜で、女の本質は脆弱ぜいじゃくだと。

 引きずる私を救ってくれたのは彼の母親だった、そう記憶している。その人は

“オンナ”

の意味を

「大地と一緒」

と説いてくれた。

「放っておくとただの荒れ地。天候や成り行きに左右されたり、力だけが頼りの害獣に荒らされる事もある。でも大事にしてあげれば大事にしてあげるほど、豊かになって、より大きな恵みをもたらしてくれる。だから自分を愛しなさい。本当の男というものは、大地に種をまき豊穣を望むものだから、その人に出会うまで自分を大切に育てなさい」

それは、人にも依ると後で知る事になるのだけれど。でもその時の私は、私を心から大切にしてくれる

“本当の男”

に巡り合える日はきっと来るのだと儚くも信じた。


         第四話へ続く


 

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