第二話 生者と死者と
今時の病室の壁は白くない。
「じゃあね、また明日来るから。大丈夫よ、私の事は心配しないで」
汚れても目立たない様、最初から斑の施された象牙色の壁紙。その中に混じる微かにこびりついた得体の知れない痣を私は見なかった事にする。
六台のベッドがひしめき合う広いはずの大部屋をぐるりと見渡すと、初老の男性と目が合い、小さく会釈をもらうから
「私はお父さんの心配なんかしていないからね」
目を細めた父に笑いかけ、洗い物で膨らんだ紙袋を手に立ち上がった。
『順調ですよ』
そう言われ、ナースステーションの横の個室から移って来たのは昨日の事。でも娘の私にはよく分る。回復はあまり良くない。理由なんか簡単。従兄弟の佐伯おじさまが亡くなったから。
子供の頃から一緒に育ち、住む家も近く。最近までよく二人で釣りに行っていた。一ヶ月前、胃癌の見つかった父はおじさまと縁側で碁盤と差し向かいながら
「次は自分だ」
と背中を丸め、大好きだったうぐいす餅に手をつける事も無く、
「私の代わりに食べてくれないか?」
辛党のおじさまの横に朱塗りの皿を差し出した。その人は
「ああ、御馳走になるよ」
蚊の鳴くような声で答え、ゆっくりと菓子を食んだ。そう、ゆっくりと、ゆっくりと。
「あの、お茶を」
私はおじ様の好みに合わせ少し濃い目に出した煎茶を差し出す。父の横には湯冷ましのお白湯。
「済まないなぁ、俺ばっかり」
がっちりとしていたはずのその体が、病気に蝕まれた父同様、すっと縮んで見えた。
そのおじさまが亡くなった。交通事故であっさりと。
『ちょっとそこの本屋に行って来る』
そう言って出て行った帰り道での事らしかった。
手術直後の父に悲報を伝えるのは心から苦しかった。何よりも悩んだ、伝えるべきかどうかを。私は父が歳をとってからの子供で、こうして出戻った今、孫を抱く望みもない。その上大切なおじさまがいなくなってしまったことをこのタイミングで告げるなんて、父が生きていくための希望を摘み取る気がしてならなかったから。それでも私は心を鬼にした。人が死んで、お通夜、葬儀が有る。例え父や私が
『待ってくれ』
と叫んだ所で、声は届かない。それならば、と。
「今、父さんに言うべきじゃないって思ったけど。でもやっぱり言うね」
ほんの少しだけ起こしたベッドの上、酸素マスクの中で煙っている父の顔は妙に神妙で、
『覚悟している』
とでも言いたげ。
“腫瘍は転移している”
と、私から告知されると思ったのだろう。でも、違うから。
その瞬間、父の体は魂が抜けた様になった。大きく見開かれた目の所為で、加齢で濁り始めた水晶体(黒目の事)が私の目に映り、今まで気がつかずにいた父の老化をまた一つ知る事になる。
“即死”
という言葉は避け
「苦しまなかったそうだから」
の言葉を選んだ。
「どうして?」
戸惑う父に私は手を差し出し、その手を握った。ほっそりとした血の気の失せた手。乱れる呼吸とリズムを早めた心電図のモニター音に、父こそが危篤のようだと思った。それでも私は言葉を続けた。
「ねぇ、父さん。葬式には私が父さんの代わりに出るから。私は、お父さんの、代わり、だからね?」
父さんが後悔しない様に。私も後悔しない様に。父は死なない、絶対に死なない。だからむしろ、おじ様が亡くなったという事実を知る時、それが風化した過去ではあってはいけないと思った。
ひんやりとしていた手がするりと抜け、私の手を握り返したかと思うと、それは力を強めた。
「頼む、頼む」
と。
「私の代わりに、私が行けない代わりに、あいつにお別れを言って来てくれ、頼む、頼む」
私は
「分かっているから」
父さんの気持ちを受け取った。
「お父さんの気持ちをおじ様にきちんと伝えて来るからね。おじさまが父さんにとってどれほど大切な人なのか、しっかり伝えて来るからね」
あの父が、泣いていた。母が死んだ日も、癌の告知を受けた日も。何が有っても泣かないはずの父が泣いていた。
私の喪服には実家の山桜の家紋が染め抜いてある。嫁入りの荷解きをしている時、それに気づいた義母はあからさまに嫌な顔をした。(注)
『不祝儀の上にあなたの名前が有るみたいで嫌だわね』
そう、私の名前は
“桜子”
だから
『縁起でもない』
その人は形の良い眉を潜め、唇を結んだ。でも、それがどうしたというのだ。何も忌みごとが全てでは無いはず。
『私はこの家紋に誇りを持っていますから』
胸を張って口答えした私は、輿入れのその日からふさわしくない嫁と言われた。
あの時一緒に誂えた帯の地紋(織りの模様)は流水に菊。私の大好きな花。伸びやかで気高く、香りも冴え冴えと、誉れとばかり咲き誇り。私とはまるで対照的な花。その一輪を愛でられ、株分けしようと人々が目の色を変える。
婚儀の時に持たされたその一式は、いつかあの人を送る時に着るものだとばかり思っていた。それまで私は平穏に暮らすのだと。今となっては、それは幻と消えたけど。
現実として、順当にいけば義母だと気づいた時、期せずして私は自分の本心を知る事になる。
醜い。そう思いながら、思わせた義母も憎ければ、止めもしない夫を家族だとは思えなくなり。
“男”
と縁の切れたこの一年を幸せだと思っていた。彼に会うまでは。
彼は伯父さまの次男に当たる。でも不意の事だから海外に住む長男は帰国が間に合わず、心臓の悪いおば様に代わり、あいにくの喪主。霙まじりの空模様に
「本日はお足下の悪い所を」
そう挨拶をする声は低く擦れ、遥か遠くの空で轟く雷鳴の様にひっそりと私の心に届いた。不謹慎と言われるかもしれない。私はその響きに雄の匂いを嗅いだのだ。
うつむく彼の整い過ぎていない無精髭が好い。シャープな顎のラインも、ゆっくりと移動する喉仏も、好い。うなじにかかる少し巻いた黒髪に触れ、そっと後ろに撫で付けたい。彼が言葉を発する、その度に漏れだす慟哭が、私をじわり、
“オンナ”
に変えようとした。
伏せられがちの彼の瞳。くっきりとした睫毛がスローモーションの様に上下する。ひび割れた唇を舐める様に噛む仕草の後、彼は
「亡き父も、皆様のご厚情に感謝していると思います」
そう言った。
感謝、感謝、感謝。それは本心では有るけれど、本当は今は言えないはずの苦肉の言葉。感謝、感謝、感謝。それどころか、
“死んだ”
なんて、そう簡単に受け入れられるはずがないじゃない?
「本日お集まり頂いた皆様に、亡き父に代わりお礼を申し上げますと共に、どうかこれからも未熟な私どもをご支援、ご指導頂きたくよろしくお願い申し上げます。本日はお忙しい中をお越し頂きありがとうございました」
なんて月並みで、なんて耳障りの良い言葉だろう。本来悲しむべきはずのこの場に立ち、私は皮肉にもそんな事を思った。彼は
“立派に”
乗り切る役目を背負い、それを遂行するために何かどす黒いものを胸に抱えてる、そんな気がしたのだ。
だからなのかもしれない。そのまぶたの奥の感情を押し隠そうとしている瞳と、私の視線が合った瞬間、彼の捌け口の無い鬱積した感情が私の中に流れ込んで来た、そんな気がした。
夫しか知らない。義務感だけの10年。
何がそう思わせたかは分からないけれど、今女にならないのならこのまま枯れていくだけの野草だと思った。踏みつけられ、誰にも顧みられる事の無い。種子を残す事も叶わず、それ以前に花を咲かせる事すらも望めないなんて……嫌だと。私の本心は、花として咲き、愛でられたい。美しく咲き誇ってみたいと秘めていた。その本能を彼は呼び覚ましてくれた。
かといって行動を起こす事も出来ず。私は黒い割烹着に身を包み、丸めた背中でそんな自分の臍を噛みながら振る舞いのお銚子を運んだ。
その夜独り庭に出た。
母が植えたというそのソメイヨシノは亡くなった今も健在で、大きく広げた枝の下に僅かに膨らんだ蕾を忍ばせている。享年38歳。その年私は8つ。女の何も教わらず、ただ飯を食い、生き。今になり何も知らされていなかった事を悔やむ。自分が女である真価を。恨む。なんで私に何も残さず母は死んでしまったのかと。
『お雛様ってね、女の子のお祭りなんだよ』
記憶の中、手の込んだ編み込みの髪が揺れ、誰かが笑う。
『貝合わせつてね、本当はいやらしい意味なの』
多分、友達。
私は女雛で、夫は主。全ては成り行き。店の隅に捨て置かれた埃被った私を、買得かと思った客がいて。見合いだった。写真の中の彼は正に男雛さながらで、決して男らしくはないその姿に私はむしろほっとして心を決めたものだった。これで、壊されずにすむ、と。それは半分は正解で、半分は誤算。私はただ、操られるだけ。着飾り、座って、迎えて、眼を見開いたまま微笑無事が、全て。ひんやりと、血も通わず。壊されもしないが、生かされもしなかった。
注:嫁入り支度の一品として、喪服を仕立てる古い習慣が有ります。
実家の家紋を入れるか、嫁ぎ先にするかは、その土地や習わしに依って異なります。ほとんどの場合実家が負担する為、実家に選ぶ決定権がある様です。