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第十六話 女の周期

『二度と来ないで』

そう言ったのは私。そのくせ、心の中では彼からの連絡を待つ。数分毎に携帯の画面を気にする自分の姿を、一ヶ月前の私が馬鹿なだって笑っている気がした。着信なんか無いと言うのに……。時の流れが変わり、壊れたメトロノームみたいだと思った。

 彼はあれから言葉の意味を悟り、きっぱり別れを決めたのだろうか。私はそれが望みだったはずだと自分に言い聞かせようとしては、幾度となく失敗し、ため息をついていた。

 本当は忙しく働いて彼の事を忘れられれば良いものを、生憎と今日の仕事はお昼だけ。しかも残業をするほどお店は混んでいなかったから、定刻できちんと上がる事になり。

「お先に失礼します」

なんて少し閑散とした厨房に声をかけ、新人の子がぎこちない着物のいでたちで行き過ぎる姿に背を向けた。

 その帰り、道明寺を買って病院に寄った。昔から季節の甘物が好きだった父は、その可愛らしい菓子を目にしたとたん、さも嬉しそうに口元をほころばせたかと思うと、そっと悲しげに目を伏せた。

「先生がこれを食べても良いって許可してくれないと、さすがにまだその勇気はないな」

と。体調を気にしているのだ。

「大丈夫よ、お父さん」

私はひとひらの懐紙にその柔らかな固まりを取り、

「先生に手術の後でもこれぐらいなら食べられるって確認してきたの。だから買ってきたのよ、ね?」

うつむく父の手にそっと乗せた。

「ほら、父さんの大好きな銀吾堂の道明寺だよ」

すると

「ああ、そうだね」

父はどこで買ってきたのか分からないはずがないといった表情で、私を見つめ返した。

「ゆっくり食べれば大丈夫だから」

手元から立ち昇るのは、桜の葉っぱのほの苦く、若々しい塩の香り。

「ああ、美味そうだ」

父ののど仏がゆっくりと上下し、

「じゃあ、頂くとするか」

舌の先がひょろりと笑った。父もこの季節にこの菓子が食べたかったのだ。そして私は、来年のこの季節、またこうして父に食べて欲しいと願う。

 父が舐めるように恐る恐る食む姿をゆったりと眺めていた。それは遠い時代の小さな子供が、とても大事そうに菓子を頂く、そんな情景を私に抱かせてくれた。と、その時

「あっ!」

切り忘れていた携帯が静かな病室に鳴り響いた。

「ご免なさい!」

慌ててマナーモードに切り替えようとするけど、なかなか収まらず、結局着信のメールを開いて音を止める事になり。———嫌になる。電源を切りながら、思わずため息をついていた。それは彼からのメール。

『今晩行くから。できたら飯が食いたい』

と。

 結局この瞬間まで待っていた。約束は怖いと言いつつ、待っていた。この張りつめた緊張感を彼は知らない。本当は戸惑うべきはずの彼の方が図太くて、何事もないかのように振る舞っている。

“できたら飯が食べたい”

そう下手したてに出ているを装いながら、私が準備をしてしまう事を見透かしている。

「落ち着かないね」

父が心配そうに首を傾げた。

「何でも無いのよ。ただ、最近お客さんがしつこくて」

私はとっさに嘘をつく。すると父は表情を曇らせた。

「だから昼だけの仕事にしなさいって言っているじゃないか」

しまったと思い、

「ご免なさい。心配かけて……」

私は口ごもっていた。言い訳をするにしても、言って良い言い訳と悪い言い訳が有る。あんな事が有ってから、父は私の身の回りに敏感だ。その事を失念していたなんて。

 こんな私でも父にとっていい娘でありたい、そう思う。なにしろ男手ひとつで育ててくれたのだ。いろいろ苦労も有った事だろう。それに再婚の話しもあったのに受けなかったのは、私を気遣ってだという事位知っている。だから安心させたくて

「慣れたらシフトを昼だけにしてもらおうと考えてもいるの」

不可能と分かっているけれど、そう言って様子を伺う。そんな私に突然父は

「恋人とか、いないのか?」

と言い出した。

「いたら紹介しろよ」

「嫌だ、父さん」

年甲斐もなく、そう言われるかもしれない。あの人の情熱を思い出し、顔に血が昇りしどろもどろになりながら答えていた

「馬鹿な事、言わないで」

と。ああ、ばてれしまう、そう思い必死で誤魔化す言葉を探し

「それよりも」

父が気にしているはずの事を口にした。

「佐伯の伯父さまのお墓だけど、妙法寺に決まったそうなの」

すると父はすぐに話を切り替えた。

「おお、そうか。で、場所はどこに? いや、まだそこまでは決まっていないか。でも上手くいけば、親族の墓の近くに場所を墓を建てさせてもらえるかもしれないな」

辛い出来事なのに、父の目元には安堵の表情が伺えた。

「そうすればあいつも寂しくなくて済むからな」

そこは私達に縁の深い寺だった。父の両親の墓が有り、私の母が眠っている場所。でもとても人気があるから、墓を譲り受けるのにも順番待ちとの噂があったのだ。

「退院して落ち着いたら、みんなに連れて行ってもらおうか」

穏やかな笑顔に

「そうしましょう」

そう言いながらやせ細った父の手を握った。

「みんなで行きましょう。それにもう少ししたらおじさまが大好きだった花菖蒲が見頃よ」

墓に続く緑の下の日陰の道、湧き水のせせらぎ、紫色の可憐な花。あそこは墓と言いながら清らかで、これからの季節は蝶が舞う。まるで生者と死者をつなぐ小道の様な風情を思い出しながら、小さかった事、真ちゃんに手をひかれ歩いた日を思い出し、かといってあの様な事は二度と無いのだと自分に言い聞かせる。

 この日はまだ夕暮れにも早い時間に父に送られ病院を後にした。あと2週間で父は家に帰れる。

「しばらく粥しか食っていないから、もう少し旨いものが食いたいなぁ」

と言われ、

「とびっきり贅沢なお粥を用意して待ってるから」

と返し、手を振った。

 退院祝いに、蒸しケーキを作ろう。春の花霞のようにフワフワとした優しい色に八重桜の塩漬けを乗せて。

 その足で高校時代の友人と飲みに行った。彼女は卒業と同時に結婚し、私と同じ年だというのに今や三人の子供のママで、忙しくしているらしい。会うのはかれこれ二年ぶりだった。

「さくらんは変わっていないねぇ」

久々に会う瞳は少しふっくらしていてた。あのころ彼女はモデルの様なほっそりとした体に長い髪で大人のフリをしながら、15歳も年の違う人に恋をしていた。危なっかしくも純粋で、

「好きな人、いるから」

そう言って告白して来る男の子達をなぎ倒していた。結局その彼をものにし、今日に至るのだけど。 

 お互いどんな風に暮らしているか、彼女は子供の話をし、私は離婚の事を話し。彼女は頷きながらも

「で、今は恋してる? 何だか雰囲気変わったよ?」

不意に頬杖をついて私の顔を覗き込んだ。

「分かるんだから。隠しても無駄」

その声には確信が有って、女の直感って侮れないなって思う。

「恋愛って周期があるんだってよ。つき合い始めて6ヶ月が別れ時とか、反対に別れて6ヶ月がつき合い時、とか。離婚して丁度一年じゃん。今がそれじゃない?」

「そんな、だって、出会いが無いでしょう?」

はぐらかそうとするも

「まぁ、さくらんはこういう事にアグレッシブじゃないから、もしかして、初恋の彼? じゃない? ばったり再会したとか」

その言葉にかっと頬が赤くなった。

「嫌だ、何言ってんのよ」

「恥ずかしがらないでよ」

友人には隠せないらしい。だから

「すこし、ね」

と打ち明けた。

「将来は分からないけど」

そう言いながら、本音が出る。

「だってほら、私、子供産めないから」

子宝に恵まれた瞳。だからこの時も、今までのみんなと同じ様な反応が返って来ると思っていた。

『そっか』

って、沈黙。さりげなくそらされる話題。

 でも彼女は違っていて

「だからって諦める理由なんか無いんじゃない? それに絶対駄目って限らないんじゃない? 相手が変われば、色々違うしさ」

明るく、でもしたたかに微笑んだ。

「私はね

“若さゆえ”

っての有りだとおもうけど、あの頃そんな事全く考えてなかったよ。ただ彼が好きなだけ。好きで好きで、大好きなの。子供が出来る出来ないじゃなくて、彼が欲しかったの。正直言っちゃうけど、私あんまり子供好きじゃなかったし、産まれなかったらそれまでかなって。将来の事なんか考えなかったよ」

そう言って、あの当時どうやって自分の

“おじさん”

を口説き落としたか、今までは一度も教えてくれなかった衝撃の真実を聞かせてくれた。

 久々に驚いて、久々に笑った。信頼できる友達って良いって思う。

 でもきっちり28日の周期が3日遅れている。その事は、話せなかった。


   桜ノ宵ニ 続く

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