第十五話 誤算
その夜もさんざん嬲られた気がする。それは、いつも通り? いえ、違う。彼から伝わる律動は、あまりにも激しすぎ
「真ちゃん、許してっ!!」
いつかそう叫んでいて。
全く、この男は何で出来ているんだろう。全てが終わった後、
「メール送ったけど、見てないんだな」
なんて、まだ息の荒い私に話しかけ。
「知らないわ、そんなの」
きっと私は恨めしそうな顔をしていたに違いない。彼はむっとした表情を見せたかと思うと、
「そうか」
なんて子供の様に背を向けて、やがて静かな寝息をたてていた。
その次の日の朝
「起こしたか?」
まだ五時前だというのに起きだそうとした彼は、私の寝ている布団に向かって振り返った。薄らと目を開けた私を確認したその声は、昨夜から一転し、優しく
「ご免」
柔らかく笑ったかと思うと、
「そうだ。起こしたついでに」
たった今何かを思い出したとでも言うように呟くと、手早く服を纏い部屋を出て行ってしまった。しばらくして自動車のドアの締まる音が響き、戻ってきた彼は
「母が持っていけと」
鬱金色(赤みががかった黄色)の風呂敷に包まれたそれを私の目の前に無造作に置いた。
「これは?」
中身は多分、お着物だ。嫌な予感がする。でもなぜ彼のお母様から頂き物などするのだろう。布団で躯を被いながらおそるおそる手を近づける私の姿に
「見てみろよ」
彼はにっと笑ったかと思うと、躊躇する私の後ろに回り込み、両手を私の脇の下から前に通し、さらりと包みを解いてしまった。
「これは……」
思わず手に取る若草色のたおやかな肌触り。裾には作家ものらしく
“ 幸 ”
の落款(しるし。サインのようなもの)。
「茶席で一度着たっきり、宝の持ち腐れだって。桜子に着て欲しいから渡してくれって頼まれた」
盛装用の帯にはのっちりとした銀糸が織り込まれ、鈍い艶を放っていた。
「貰えない」
思わず声を上げた。これは宝石と同じ、財産だ。狼狽える私を彼はひしと抱きしめ、耳元で呟いた。
「お前の、汚したから」
その言葉にたじろいだ。初めての夜の事を言っているのだ。私は予期せず赤くなった。
「……そのつもり、だったから」
あの瞬間、快楽のためならば古い着物の一つぐらい、そう思ったのだったから。
「汚してかまわなかったの、安物だから」
でもこれは、母から娘に譲るもの。情事への支払いにしてはあまりにも高価で。
「これは、困る……」
彼が母親になんて言ってもらったのかは知らないけれど、簡単に手放せる様な品物じゃない。たじろぐ私の首筋に、彼の吐息が吹きかかる。
「桜子の所へ通っていると話したら、持っていけって言われたんだよ」
それは衝撃だった。
「もしかして、おば様に私達の事を話したの?」
振り向き慌てるその口を彼が覆う。押し付けられる広い胸、まさぐる指先。
「話しを!」
その声は彼の唇でかき消され……。逃げようとし倒れ、足首をつかまれ引き戻される。唖然とし見開いた目が、彼のそれと合い。指、彼の指に力が入り、じりっと引きずられ。擦れた背中にヒリリとした痛みが走る。
「桜子」
その名を呼ばれた。
「話は後だ」
つかまえている右手を持ち替えて、下から足首を持ち上げられ¬¬ーーー。下着さえ身に付けていな、私の女が口を開ける。彼は足首をひねる。外側に向かって。視線が這って戻り、彼の赤い舌がちらりと覗き……ぞわり、瞳を逸らす事なく土踏まずを舐めた。それから山蛭の様な生々しい感触で、ちゅいっ、ちゅいっ、ちゅいっ……跡を残しながら、唇が私の中央に向かってせり上がって来る。
視線を外せない。その口元から、目元から。しっかりと開かれた目は、私の膣を通り、子宮を貫き心臓へと矢を放つ。私は恋矢に貫かれ、その痛みに酔った。
小さく震える内腿をそっと開かれ、柔らかくも充血した薄い皮膚を曝し、自ら餌食になる期待と恍惚を。痛むほど吸いつかれ、彼の唇は私の底をすくいあげ、井戸の奥から光を仰ぎ見るその世界からこの地へと解き放つ。
「来年の桜の季節に着て欲しいそうだ」
彼はもどかしげにそう言うと、一度は着たはずの服を手早く脱ぐ捨て私に覆い被さった。
今更抵抗しようなんて考えられなかった。私は全てを忘れ、自分のオンナにしがみつき、狂い咲き、舞い上がる。
遠のく意識、でも感触は水飴の様な質感を持ち、滑る。この手に取ろうとし、ついと逃げ、そのくせどろりと肌に残りーーーそれは私にはあまりにも甘すぎた。
「もう、来ないで」
この時になってやっと、ヤバい男に手を出したって気がついて、明け方のまどろみの中にそう言っていた。本気なんか、なりたくない。男には聞こえたはずだ。だのに彼は私の長い髪をすき
「おやすみ」
とその先に口付けを残し襖を閉じた。
桜ノ宵ニ 十六話につづく