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第十二話 既製品

 その晩は彼女の

“ 夢 ” 

を見た。

 優しい夫。後妻とはいえ、大切にされ。芝生の庭、テーブル、温かい日差し、やわらかな笑い声。いつしか膨らみ始めた腹を、先妻の息子が愛おしげにそっと撫でる。

「僕、妹が欲しい」

やがて

“娘”

が産まれ、私は義母の腕に抱かれながら菩薩の様な彼女の顔を仰ぐ。そこにやって来たのは

「おばあ様!」

仔犬の様に弾む小さな子供。

「こら、孝ちゃん、駄目じゃない」

叱りつける若い母親と、その横で困った様に母親と嫁の顔を見比べる夫の姿。

「あらあら、良いですよ。子供は元気がなくっちゃね。私の子供達も、みんな小さな頃はやんちゃだったのよ、ね、桜子さん」

彼女は目尻を下げながら私に微笑む。その様子をもう一人の私の目が庭の木の上から眺めていた。

 どこで歯車が狂ったのか。せめてもと、義理の息子の嫁に夢を託したはずが、現実はこの私。絶望的だった。

 彼女の夢は、他人に評価してもらえる幸せだと私はずっと思ってた。

『あなたは幸せね、羨ましいわ』

でも真実は、心のままに生きたかったに違いない。

『子供のできない事がなぜそんなに悪い!』

『私だって幸せになりたい!』

『子供を産まなくても、私はオンナ! オンナなのだ!!』

激しく叫びたかったに違いない。今の私にはそれが分かる。それができなかったから、私に辛く当たったのだと。私達は似た者同士。そう、だから彼女も苦しんだ。私を助けてあげられない自分と、自分を許してあげる事のできない自分。行き場なく、散るも許されず立ち枯れる。あの人は自分の人生にそれを望んだ訳ではなかったのに。

 だから、惑わされるな。彼女はあの真紅の腰巻きにそう込めて、私に贈ったのだ。自分の様に他意に操られ、内に秘めたまま腐り堕ちるなと。


 今日のパートは昼番も有り、朝の11時の出勤に合わせ家を出た。玄関を閉めてすぐ携帯の呼び出し音が鳴り、慌ててバッグの底を探しているうちにそれは切れ。再び鳴った時にはメールに切り替わっていた。

『8時に会社を出れる』

たったそれだけ。だから何? そう言いそうになりながら、顔の一部は微笑んで、携帯を握りしめていた。本当は待っていたから。彼からの連絡も、また寄ってくれると言う約束も。私も今日は八時に仕事が上がる。だから今晩は真鯛の塩焼きにしよう。それから菜の花の辛子あえ。胃もたれしない様にさっぱりと。アサリの吸い口に、グリーンピース御飯を添えて。材料は昼休憩で買ってくれば良い。買って来た材料は板さんにお願いして冷蔵庫の隅に置かせてもらおう。そんな事を考えながら道を急いだ。

 この日、お店は昼から混んでいた。外人の接客でやって来る人も多く、何かと手間を取る事が多かった。それでも私は不思議なくらい心軽やか。見覚えのあるピンクのロレックスがやって来ても気にしない。忙しい分、時間の経つのが早く、嬉しいってそう思った。


 その晩、帰り道で一緒になり、彼は私の荷物を持ってくれた。

「貸せよ。重いだろう?」

「ん、大丈夫。こんなの平気」

そう言ったものの、顔をしかめた真ちゃんを見て

「じゃぁ、お願いね」

私は素直に食材の入ったエコバックを手渡した。

「ほら、重いじゃないか」

彼はしてやったりという表情で私を見下ろし、私はそんな彼の一面を笑った。

 彼は昔から箸使いの上手い男だった。

「お父さんの状態はどう?」

鯛の骨を丁寧に剥がし、程よい大きさのそれをぱくりと口に放り込む。

「食べれる様になったわ。まだお粥だけど」

そう返事をし、自分に酒を注ごうとすると、

「後にしておけよ」

彼は私の杯を取り上げた。

「鬱陶しい人ね」

言いながらもその言葉に従う。確かに、後が良い。さすがに私も歳だから、毎日酒浸りじゃ体が持たない。だからいざその直前に、温まった方が良さそうな気がした。

「もうすぐ退院か」

それはまるで聞かせようとしている独り言。

「俺もこの家に出入りしづらくなるな」

それも良し。私は薄ら笑いで応えていたに違いない。だって、そうでしょう? これは

“ 情事 ”

なんだから。

 彼は例えるなら、プレタポルテ。デパートの一角に展示されたトップブランドの高級既製服。だから一着いくらの量販店のレディメイドとは訳が違う。吊るしのスーツでも高級品は高級品である事に変わりなく、易々と手には入らない。惚れ込んじゃいけない、深入りしちゃ、駄目。私にはその価値が無い。結局は夫を一人前の男に仕立てる事もできず、尻尾を巻いて逃げ出した女だ。だから

「敷居、高くなるわね」

って距離を置く。

「ま、その時はその時か」

この人は私の言葉なんか届いていない風体で、

「お代わり」

茶碗を差し出し

「三つ葉多めに」

子供じみた事をリクエストした。


「もう、満開か」

縁側で二人もたれ、母の桜を眺めた。月が蒼く、重なる枝振りに影を作る。

「なんて綺麗なんだろう」

男の口から言われる言葉じゃない気がした。

「桜子はそう思わないのか」

ごろりと横になり、天を見上げ、太ももの上から私を見上げた。

「お前も綺麗だ」

思わず顔に血が上ったのが分かった。

「なっ・・・!」

言葉に詰まり口元を被う私を、くすくす笑う音が追いかける。

「それって、何よ」

馬鹿にされている気がした。いたたまれなかった。

 ねぇ、気づいている? 私たちは躯だけの関係なのよ。好きだとか、愛しているだとか、これは感情のない関係。だから、恋人同士の様な会話は嫌い。

「何怒ってるんだよ」

むくりと起き上がり、音も立てず首筋を摘まれた、唇で。私は慌て、膝が崩れ、横にぐ。

 何かがせり上がってくる。足の指先から、付け根に向かって、じん、じんと。

「お酒」

思わずそう言って逃れ、瓶に手を伸ばす。

「止めろよ」

意外なほど強い力でその手首をつかまれて

「酔わないと、駄目なのか?」

そう聞いた。頷く訳にもいかず、その手を緩め。……私は自分の腰巻きを古いタンスに閉まってなんて置きたくなかった。

「気のせいよ」

彼の首筋に巻き付けた。

“ 素面 (しらふ)”

“ 怖い ”

を悟られぬ様。

 服を着たまま押し倒された。引き抜かれ、たくし上げられたブラウスの中に男の頭が揺れていて。

 庭先の塀の向こうは竹林。

「声、出しても良いよ」

柔らかく彼は命じた。

 言いなりにはなりたくなくて。噛みしめた下唇を彼の指が解きほぐした。それはぬるりと口の中に滑り込み、ゆっくりと歯列をなぞる。思わず吐息が漏れ、開き、向かい入れ舌を丸めてすすり上げた。彼の指先は彼の味がする。少し、塩辛い。 

 それを見つめる視線を感じるから。舌だけを残し、頭を引いた。太かった糸が細くなり、途切れ。彼の指と私の顎を汚した。もう一度、音を立てて、しゃぶる。見せつける。ちゃぷちゃぷって音が、麻薬みたいに頭の奥に響いていて。いつの間にか両の指を彼に添え、必死になって吸い付いた。頬がかくんと痩けて、いやらしく。

 彼のどこが好いかと問われたら、迷わず答える。指、と。太くごつごつしていてしなやかで。だから、これは、彼だ。

 吊るしでもかまわない。フィットする、肌に馴染む、何よりも、好い。いくら高級で手が出せないと知っていても、私には、合う、のだ。彼が欲しい、彼が欲しい。例え一瞬の快楽だと分かっていってさえーーー夢中だった。


         第十三話へ 続く



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