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第一話 幸い

 男に犯される夢を見た。顔は見えない、ただ、強い力。逃げる私と、押さえる腕。抗い、嫌を叫びながら組み伏され。逆光に鬼の様な髪が浮き上がり、見上げる虚空に黒い欲望が輪郭を現す。それはまるで桐箪笥を収めていたうすのろで大きな段ボール箱が倒れ、私を被い尽くしているかのようだった。私の四肢は足掻き、バタバタと身悶え、地を蹴り、爪を立てる。

 男に体臭はない。だって、夢だから。有るのは、

『重い』

そう思う気持ち。

「犯されている」

と言いながら、男そのものの肉感は無く。

『犯されている』

という感覚だけが肌の奥へと滑り込む。でも本当じゃない。現実じゃない。

「これは、夢」

頭の一部では分かっているから、朝焼けの光に向かって助けを求める。

「覚めろ!」

しかしその思いとは裏腹に、私は深淵へと引きずり込まれた。

 覚め損なった夢はまるで輪廻の様に繰り返し、男は私を縛り、多分だけれど、貫いた。


 何がそんな夢を見させたのだろう。ぼんやりとした頭のまま布団の上に体を起こし、柔らかな羽を広げる肌掛布団の端を両手で握りしめながら、嫌悪感と同時に訪れる、安堵とも違うその感情を、私は持て余す。

 それは、男だったら誰でも良いから、私を

“オンナ”

として求めてくれえる存在が有る事への安心感、という事なのだろうか。虚しいと、理解はしているつもりではあるけれど、33歳という年齢は私に微妙な揺さぶりをかけていた。

 当然と言えば当然だが、身に付けていたパジャマにボタン一つの乱れもない。その就寝時と変わらぬ装いは、いつもの朝と変わらぬ穏やかさを告げていた。その上、下着の中の

“女の躯”

は露程も濡れてはおらず、その現実を私は複雑な思いで噛みしめた。

 夢の男に種子は無い。求められても、実がならない。だったらいっその事、望んで全てを任せるべきだったのかもしれない、と。


石女うまずめ

それは私の称号なのかもしれない。大学を卒業した年に結婚し、10年。一度も子を孕まなかった女だから。

『ウ・マ・ズ・メ』

義母は正確にそう発音した。

『あなたは役立たずの石女ね』

でも私は知っている。みんなも隠している。彼女の息子で私の夫だった男は、あなたがお腹を痛めて産んだ子供じゃない。でも、言わない、心に秘している。

 それで楽になるとしても、言わない。彼女に突きつける現実は、新しい火種をおこす事に他ならず、その時に私を守ってくれる人なんか居やしない。分かっていた。夫なんて、名前ばかりだ。

 私が玉の輿に乗ってくぐった門は、先先代が建てた瓦屋根を持つ総檜作りで、あの門を越えた瞬間、私は嫁いだ家の所有する所となった。土台に高い石垣を持つ塀は外敵から身を守る鎧さながらにそびえ立ち、夫と義母と三人きりの日々の暮らしの中、戦国時代という言葉を私に連想させてくれたものだった。

 夫だった男の肌はまるで身ぎれいなトカゲの様に乾いていた。二人のしとねは冷たく、そこに有るのはただ平坦な幾何学文様の羅列。石畳の中に押し込められた、それは感情ではなく、ただ生きているという惰性。

 義務とはいえ、あの人に抱かれていて一度も感じた事なんか無い。産婦人科の待ち合いで手に取った女性週刊誌に掲げられた

“イケない女40%”

その数字は私だって思った。

“愛の無い”

“思いやりの無い”

“男性本意の”

セックス。そして

“イケない理由”

“オンナの躯の未開発”

全てが私に当てはまり。名前を呼ばれた瞬間、両の手がそれを握り潰していた事に気がついた。だから

「別れて欲しい。」

いつもの様に食後のお茶を運んだ私に、最後まで

『ありがとう』

の一言を言う事も無く彼に告げられた言葉、

「僕の子供を産んでくれる人がいる。彼女は君と違って僕を愛してくれているんだ」

を耳にした瞬間、私の心に湧き上がったのは

『どうして?』

という疑問よりも、

『これでこの牢獄から逃げられる』

という奇妙な安心感だった。

 かといってあからさまに喜ぶ事は出来ず、無表情を装い顔を強張らせた。すると彼は眼鏡の上から薄い眼差しを私にくれ

「思った通りの反応だね」

呟いた。

 むずがれば良かったのか。

『別れたくない』

『10年も一緒だったのに』

『そんな女のどこが良いの?』

と。でもそれは、嘘だから。

 やがて私は彼が何を言ったのか、言葉の本当の意味を理解した。この人で燃えるなんて、なんて幸せなひとなのだろうと。むなしさの様な、哀れみの様な、それでいての飲み込む事の出来ない口惜しさが口元まで迫り上がり、それでも私は

「子供が出来たんでしょう? だったら仕方がないわね」

穏やかな声で頷いていた。

 彼の表情は、安堵? それとも未練のかけらも見せない妻への不満? 少しは嫉妬して欲しかったの? 笑っちゃうわ。

 そんな、可愛くない女で有る事が、これまで得る事のできていたはずの幸せを拒む原因になったのか。でも私はそれを良しとする。私はこの男を愛せない。

 

 最後の会話は

「桜の花言葉は

“淡白”

なんだってね。最初に知っておくべきだった」

良く覚えている。それはタクシーに乗り込もうとした私の背中に浴びせられた言葉。

諦めるというより、呆れ

『あなたじゃ、駄目だったのよ』

その言葉を飲み込んだ。言った所で、この男には響きゃしない。

「そうだわね」

私はシートに浅く腰をかけ、下げたウインドウ越しに微笑んだ。今にも泣き出しそうな空のもと、窓から流れ込む散り初めの桜の花びらが私の左手の薬指をかすめ、足下に落ちる。

「でも今度は、大丈夫、でしょう?」

もうすぐ彼の奥さんのなる女性は

“加代子さん”

「幸せになってね」

大人らしい社交辞令の上にほんの少しの真心を乗せそう言った。

 幸せ。その漢字。由来は手枷。囚人を手枷でつなぎ、人々は安息を得る。私は

“結婚”

と言う名の枷を外され、喜んだ。


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