1 入学式
「・・・て」「・・く・・きて」
「さっさと起きろ!」
最近薄掛けに変えた布団を取り上げられて朝になったことを自覚した。
リビングで待ってると伝えられた僕は了承の意を示してから制服に着替える。
今日から2年目になるとは言っても、実際には1年の内半分も着ていないうえ、クリーニングにも出しているため綺麗なブレザーにはこれまでの1年間の空虚さが浮かんでいるように思えた。
服装を整えて1Fのリビングに降りると、去年までとは違った制服に身を包み、肩口までサイドテールを流した紗夜が、テーブルであの頃より上手くなった朝食を並べていた。
「早く食べて!さっさと私を学校に送る!」
今日から同じ高校に通うことになっている紗夜は、相も変わらず僕に送って行かせるつもりらしい。
中学に送ってから高校まで行くよりはマシ、とも言い切れない。なにせ中学まで行くには少し遠回りにはなるが下り坂になっている。しかし、高校に行くには登り坂を攻略しなければならないからだ。
しかし、紗夜は朝は起こしてくれるうえに、家事全般もやってもらっているため、文句も言えない。
気持ち程度に抗議を籠めた視線を無視され、おとなしく席につくと「どう?おいしい?」とでも言いたげな視線を受ける。いくらか手をつけていつも通りの好評を伝える。
このやり取りも初めてから長くなるが、毎朝必ずやっているのは、ただ紗夜が好評を受けるのが好きだからに他ならない。
準備を整えた僕たちは高校へ向かうための道を自転車で進む。いつもより多少早く家を出たが、今日は紗夜が後ろに捕まったまま登り坂という未知の領域に挑むことになるので結局着く時間に大きな差はないだろう。
入学式の会場は例年通り体育館だが、基本的に集合場所は教室である。紗夜も理解しているようで早速クラス分けの掲示を見に行っている。1年生の教室は校舎1Fにあるためまず迷うことはないと判断して、僕は本来の目的地、生徒会室へ向かう。
校舎から少し離れた場所にある、古ぼけたアパートのような建物、部室棟の2Fへ登る階段を軋ませ、「生徒会室」と書かれた扉を開ける。
「お、本当に来たんだねぇ?いやー、悪いね!休みの日にわざわざ!」
来るタイミングが分かっていたかのように手書きのプリントを見せつけてきた(階段の音で実際わかるのだろう)彼女を前に[帰る]の選択肢を選ばなかった僕を褒めて欲しい。
"今日の"入学式用の原稿を綴ったプリントを持ってドヤ顔をキメている生徒会長、神薙 由紀は、謎の自信に満ちた笑顔で僕に式次を伝える。
メールでは日時と集合場所しか書いていなかったが、どちらにしろ紗夜を送るために学校には来る予定だったので気楽に了承してしまったのだが、話によると今日の入学式の司会を務める予定だった生徒会役員が昨日から体調を崩してその代理役が帰宅部の僕に回ってきたらしい。想定以上の役回りに密かな緊張が襲ってくる。
彼女の人脈からすれば適任者は他にいるはずだが、僕に白羽の矢が立ったのに紗夜が関係してないということはないだろう。
「今度の日曜にでもボクがデートでもしてあげよう。それで1つ、どうだい?」
さらに1日捕まってしまったようだ。
入学式は多少のトラブルこそあったものの、練習なしぶっつけ本番にしては滞りなく終わった。
神薙の挨拶は彼女をそのまま象徴したような、これからの学校生活に楽しみを見出すことのできそうな、そんな存外"上手い"スピーチだった。
入学式の後は片付けを手伝え、など言われると思っていたが意外なことにすぐに解放された。想定外の暇を手に入れた僕は紗夜を待つ間どうしようかと校内をうろついていると、見覚えのあるサイドテールが携帯を眺めているのが見えた。グラウンドと校舎の間のラウンジの椅子にかけているようだ。
まだ1年生は教室で来週からの授業の説明中だと思っていた僕は記憶違いだったかと、彼女の方へ向かう。
しかし、先ほど確かにいたはずの影はそこには見当たらなかった。
気のせいと断じた僕はせっかくだしと、そこからグラウンドで試合(紅白戦だろうか、両チームに知り合いがいる)をしている野球部を観戦して時間をつぶすことにした。
しばらく経っただろうか、横沢が左中間を破るタイムリーツーベースを打ったところで紗夜から「終わったよ〜♪ 駐輪場で、待ってるね!」とメールが届き、ラウンジを後にする。
簡素な入学祝いを兼ねて昼食を近場のレストランでとった後、帰ってから紗夜に入学式の後ラウンジにいなかったか尋ねてみたが、入学式の日にいきなりバックレる訳ないじゃん!と、ある種当然のことを言われ、改めて気のせいだったと記憶から追い出した。