2-2.アリトラの買い物
「このチーズある?」
アリトラがメモを差し出すと、ニーベルト商店の若き社長であるライツィ・ニーベルトは目を細めてその字を追った。決して近眼なわけではなく、純粋にカルナシオンの文字が読みにくいせいである。
「あぁ、あるある。そんなに量はねぇけどな」
「それでいいの。二百グラム頂戴」
「似たような別のチーズもあるけど」
「値段次第かな」
『マニ・エルカラム』の入っている建物から駅までをつなぐ商店街は、この界隈では一番栄えている場所でもあり、近隣住民の日常の一部でもあった。
ライツィは父親から受け継いだ食品店を若い女性向けのレイアウトに改装し、各種様々な食品を揃えることで売り上げを一気に向上させた実績を持つ。まだ二十歳の若さながら、既にリーダー格として周囲から期待をかけられていた。
「それとね、パスタも欲しいかな」
「何作るんだ?」
「グラタン」
「パスタ入れるのか?」
「美味しそうじゃない?」
「美味しそうだけど……」
ライツィは眉間に皺を寄せた。
「太るぞ、それ。炭水化物ばっかりじゃねぇか」
「でもそういう物のほうが美味しいのは世の常」
「確かにな。でもパスタより豆のペーストとかのほうが栄養素は良さそうだ」
「うわー、流石ライチ。食べ物の栄養には煩い」
「俺はどうでもいいんだけど、最近そういうのを客から聞かれることが多くなったからな」
「でも豆を使うのはいいアイデアかも。マスターに言ってみようかな」
「買うか?」
「今日はやめておく。パスタもキャンセル」
「ん、わかった」
ライツィは店の奥にある冷却装置の中からチーズを二つ取り出したが、それをアリトラに見せようと振り返った時に、驚いた声を出した。
「ん?」
「どうしたの?」
視線が店の外に向いているのに気が付いたアリトラが振り返ると、赤い髪の少年が歩いていくのが見えた。
「……あれ?今のって」
「ロンギークだよな?」
「あの赤毛はそうだと思うけど……。まだ学院は終業時間になってないよ」
「サボりか?」
「ライチじゃあるまいし。早退とかかな?」
アリトラは通りに出ると、通り過ぎたばかりの赤毛の少年を呼び止めた。
「ロン!」
少年は驚いたように立ち止まると、アリトラを振り返った。燃えるような真っ赤な髪は短く整えられ、意志の強そうな眉と子供っぽい輪郭がアンバランスな印象を与える。高い鼻梁と大きな口は如何にも雄弁そうに見えるが、アリトラはその少年が喋るのを最近聞いていなかった。
少し目を細める仕草をした後、少年は唖然とした様子で呟く。
「アリトラ姉ちゃん……」
「どうしたの?まだ学院は授業中のはずだけど」
「あ、えっと……」
この国に生まれた人間の大半は六歳から十七歳まで「国立学院」と呼ばれる教育機関に通うことになっている。そこで座学や武術、魔法などを習い、特に優秀な者は軍や制御機関などに推薦される。
ロンギーク・カンティネスは、カルナシオンの息子で十五歳。アリトラは小さい頃はよく遊んでいたが、ここ最近はあまり会っていない。
「具合でも悪いの?」
「えーっと、その……」
カルナシオンに似て体格の良いロンギークは、既にアリトラと身長が変わらなくなっていた。
それを見てアリトラは、自分の片割れであるリコリーのことを思い出す。男にしては背が低いリコリーが抜かされるのは時間の問題と思われた。
「何、もしかしてサボり?真面目なロンがライチ化?」
「失礼なこと言うなよ。俺はサボっていない。授業の存在を忘れていただけだ」
アリトラを追って外に出て来たライツィが言い訳をする。
「それはサボっていると言う」
「……俺、真面目じゃないよ。リコリー兄ちゃんとは違うし」
「リコリーは馬鹿真面目という別ジャンルだと思うけど。サボりだったらマスターにお灸を据えてもらおうかな」
「父さんには言わないで!」