2-1.ある日の『マニ・エルカラム』
国で一番美味しいホットサンドと、大陸で一番不味い珈琲を出すことで有名な『マニ・エルカラム』は昼の時間帯が最も忙しく、そのピークを過ぎると殆ど客も来なくなる。
店の人間の休憩時間は三時までで、その後はディナー用のメニューに切り替わる。実際に夕食代わりに店を訪れる客が来るのは六時を越えてからなので、それまでは実質準備中となる。
「アリトラ、チーズ買ってきてくれないか」
「え?まだ沢山あるよ」
「新メニュー考えたんだが、それにはいつものチーズじゃダメなんだ」
店のオーナー兼マスターであるカルナシオンの言葉に、従業員のアリトラはテーブルを拭いていた手を止めた。
「新メニューってホットサンド?」
「いや、グラタントーストだ」
「グラタントースト?」
何やら美味しそうな響きに、アリトラは彫りの深い二重瞼を見開く。赤い瞳には店のカウンターが映っていた。
「最近、少し堅い食パンが出回っているだろう?耳が香ばしいって話題の」
「うん、商店街でも売り出してる」
「うちじゃホットサンドを作るのに耳を切り落としちまうが、逆に耳を活用できないかと思ってな」
食器を洗う水音に混じって、カルナシオンの低い声が聞こえる。アリトラはテーブルを拭く作業を再開しながら、耳に神経を集中させた。
「まず、中をくりぬいた耳だけのパンを用意する。これはホットサンドを作る工程で沢山出来るからわかるだろう?」
「うん」
「それをフライパンに乗せて、ホワイトソースを中に垂らす。パンの耳を細かく切ったものを混ぜたほうがいいな」
「そうだね。ボリュームも出るし」
「その上にチーズとベーコンを乗せて焼けば出来上がりだ。どうだ?」
「美味しそうかも。でも何でホットサンド用のチーズじゃダメなの?」
同じ焼いてしまうなら、チーズに差異はないだろう、と思うアリトラに対して、カルナシオンは流暢に説明する。
「ホットサンドは中に挟むから、火の通りやすいチーズを使っているんだ。でもグラタントーストは直火に晒すことになるから、ホットサンド用のを使うと焦げ付いてしまって苦くなる。それにホットサンドは一緒に挟み込むのがベーコンやハム、トマトソースだからチーズの味が強くても問題ないんだが、グラタンの場合はホワイトソースが主を占めるから、焦げやすいチーズだと味が混じっちまうんだよ」
「なるほどね」
「だからお前には、火を通しにくい味のたんぱくなチーズを買ってきてほしいというわけだ。納得したなら行ってきてくれ」
カウンターの中から、紙幣とメモが差し出された。アリトラは仕事用のエプロンを外して、それを受け取った。
「あと何か使えそうなものがあったら買ってきてくれ」
「かしこまりー」
「変な返事をするなよ……」
そんな苦情は聞かなかったことにして、アリトラは店のドアを押し開いて外へと出て行った。