8-6.行方不明
ホースルはアリトラが帰ってくると、それを出迎えながらリコリーのことを尋ねた。いつもなら帰っているはずの時間を大幅に過ぎていた。
「西区に行くって言ってた。あの古書店で本を読むのに没頭してるんじゃない?」
「困ったな……。お夕飯作っちゃったのに」
「流石に終電では帰ると思うけど。前も図書館が閉まる時間まで本を読んでて、守衛さんに追い出されてたし」
「全く、シノさんもそうだけど一度集中すると何も聞こえなくなっちゃうんだから」
「母ちゃんは?」
「帰ってるよ。三人で夕食にしようか。リコリーの分は取っておいて」
「はーい」
靴の泥を落として家の中に入ったアリトラは、父親の後について行きながら不意に思い出したことを口にした。
「父ちゃん、ハリにいたことあるんでしょ?」
「随分前だけどね」
「瑠璃の刃って知ってる?」
「あの犯罪組織?あの頃のハリの治安は最悪だったね」
「そんなに?」
「麻薬、売春、違法魔法具、裏カジノ運営に、他の組織との抗争。ハリも持て余して、色んな国に手助けを求める有様。十三剣士隊が連中を壊滅させた後も、残党がいるかもしれないって理由で、移民するのも難しくてね」
「じゃあどうやって父ちゃん、こっちに来たの?」
娘の純粋な疑問に、ホースルは僅かに言葉を止めた。
「父ちゃん?」
「……うーん、時効だからいいかなぁ。あのね、世の中には何でも「特例」っていうのがあるんだよ。父ちゃんはそれを使ったってわけ」
「特例?」
「お前が知るようなことじゃないよ。……シノさん、リコリーは遅くなるみたいだから先に食べよう」
だがその深夜も、その次の朝になっても、リコリーは家に帰ってこなかった。
法務部に問い合わせても、西区に行って用事を済ませたことまではわかったが、それ以外は全くわからなかった。
元々真面目なリコリーは親に無断で外泊することもないし、やむを得ずそのような事態になっても翌日の朝には連絡を入れていた。それが一切ないことでアリトラ達は不安を覚えていた。
それはセルバドス家と親しい仲でもあるカルナシオンも同様だった。
「もしかして事故にでもあったかと思って、西区の病院とかにも問い合わせてみたんだが、リコリーらしき人間は来ていないそうだ」
「ありがとう、マスター」
普段、明朗活発なアリトラが少し沈んだ声で言う。小さい頃からずっと一緒に育った片割れの身を、ある意味両親よりも案じていた。
「お前、今日はもう帰ったほうがいい。リコリーが心配なのはわかるが、そんなんじゃ仕事にならないだろう」
「でも制御機関に何か知らせが来るかもしれないし」
「そんな状態で仕事をして、うっかり怪我でもしたら悲しむのはシノやホースルなんだぞ」
「そうですよ、先輩」
アリトラの後輩であるファルラが口を挟んだ。
「今日は俺が一人でやりますから」
「でも、まだファルラは入って日が浅いし……」
「大丈夫です。任せてください。俺、先輩がそんな顔しているのを見るのはつらいです」
「ほら、ファルラもそう言ってるんだし、お前は家でリコリーを待ってろ。まぁ案外、ひょっこり帰ってくるかもしれないしな」
「………うん」
二人に説得されて、アリトラは漸く首を縦に振った。
落ち込んだ様子のまま店を出て行ったアリトラを見送り、カルナシオンは溜息をつく。
「見てられないな」
「先輩、落ち込んでましたね」
「あの双子は赤ん坊の頃から知っているけど、喧嘩なんかしたこともない仲のいい二人だからな。まだアリトラのほうがこういう時でも気丈だが、これがリコリーだったら取り乱してるだろうよ」
カルナシオンは開店前の一服をしようと煙草を手に取り、しかし店の扉が開いたのに気付くと視線をそちらに向けた。
そこには管理部の新人が落ち着かない様子で立っていた。
「すまないな、まだ開店前なんだ」
「……セルバドス管理官がお呼びです」
「シノが?」
「はい、一緒に来ていただけますか?」
少し悩んだ後、カルナシオンは店の鍵をファルラに渡した。
「何かあったら呼べ。それまで掃除を頼む」
「了解しました」
新人に連れられて制御機関内部に続くエレベータに乗る。カルナシオン自身がそれに乗るのは五年ぶりだった。特に技術的に発達したところもなく、緩やかに音もなく目的地へと上昇する。
管理部のある三階の下りて、周りの視線を浴びながら向かった先は、幹部に与えられる個室だった。
「カンティネス氏をお連れしました」
「ご苦労様」
その言葉を聞くと、新人はその場を離れる。残されたカルナシオンが扉を開けると、中では双子の母親であるシノが待っていた。
「悪いわね、呼び出して」
「構わないさ。お前の頼みを断るという選択肢はない」
「アリトラには言っていないのだけど、今朝こんなものが届いたの」
シノは一枚の封筒を差し出した。宛名はなく、真っ白な封筒は皺一つない。手に取ったカルナシオンは中から一枚のカードを引き抜いた。
「これは?」
「それが何を意味しているか、明確にはわからない。けど嫌な予感がする」
カードには黒いインクで「十分の三」と書かれていた。
「どういう意味だと思う?」
「……わからん。だが封筒に宛名が書かれていない点からして、直接投函されたものだな」
「魔法によって指紋、その他の痕跡は消されているわ」
「リコリーに何かあって、この封筒の差出人が関係しているかもしれない。お前はそう考えているんだな?」
「えぇ。証拠はないけど」
シノは絞り出すような声で呟いて黙り込んだ。身体の前で組んだ手には普段より力が入っている。
「ホースルは?」
「あの人は西区のほうの取引相手や商売仲間にリコリーのことを問い合わせているみたい。この言葉についても心当たりがある人がいないか聞いてみるって」
「そうか。……リコリーがもう少し幼かったらな。強引に事件に出来たんだが。十八歳の男が一日帰ってこない程度で刑務部は動かない。軍の方には?」
「さっき、兄に連絡は入れたけど…。動いてくれるとは思わないわね」
シノの兄は三人いて、そのうち二人は軍に所属している。
自分たちの身内がいなくなったとなれば、西区の警邏部隊に何かしら連絡はするだろうが、それ以上の行動は望めそうにない。
「まぁお前も、お前の実家もそれなりの地位がある。下手に騒いだ後に勘違いでした、じゃ済まないしな」
「私の立場なんてどうでもいいのよ」
「よくはないさ。お前にはこのまま出世してもらわなきゃ困る」
カルナシオンは赤い髪を乱暴に掻いてから、何でもない調子で続けた。
「俺だって店を閉めるわけにはいかない。うちは制御機関の連中で売り上げを保ってるんだ。他人の子供のために臨時休業なんかしたら、信用に関わる」
「そうね。その通りよ」
「だが、刑務部の顔なじみを呼び出して、「雑談」するぐらいは可能だ」
シノはそれを聞いて驚いた表情を浮かべた。
「刑務部の中には、まだ事件を起こしていない犯罪組織や、過去にあった事件を後年のために調べている連中も多い。そいつらに、このカードに書かれた言葉について聞いたら何かわかるかもしれないからな」
「カルナシオン」
「そのぐらいならしてやるよ。リコリーのことは赤ん坊の時から知ってるし、それに俺の最大の好敵手が、そんなしみったれた顔してるのは気持ちが悪いからな」
悪戯っぽく笑ったカルナシオンに、シノは漸く微笑を浮かべた。
「私の好敵手は、昔から貴方だけだわ」
「奇遇だな。俺もだよ」