8-3.古書店への道
「では、確かにお届けしました」
「助かりました。ありがとうございます」
「いえ、こちらのミスなので。それでは失礼します」
書類を渡して店を出たリコリーは、安堵の溜息をついた。
根が真面目なリコリーは、貴重品などを持つと異様に緊張する癖がある。それをここまでの道中、ずっと抱いていたため、まだ夕方にも間があるのに既に空腹すら感じていた。
「早く行かないと、ゆっくり見れないし……。でもお腹空いたな」
悩みながら辺りを見回したリコリーは、カラフルな看板を出した小さな店に目を止める。近づくと、看板には食べ物の絵が描かれていた。
サンドイッチやアイスを売っている、何処にでもある軽食スタンドであり、周りには買ったものを食べるためのテーブルとイスが数セット置かれている。
「オススメは「ローゼス」です」
スタンドの中から、店員らしき若い男が声をかけた。昼の時間帯を過ぎてやってきたリコリーを、絶好の客だと思ったのか、満面の笑みを浮かべている。
「ローゼス?」
「今、西区で流行中のハニートーストですよ。甘いのが好きなら是非」
「んー……」
リコリーは甘いものはあまり得意ではないが、食べられないわけでもない。
「中央区では見たことないですけど、西区だけなんですか?」
「今のところは西区でしか売っていません」
「……じゃあそれにしようかな」
「ミルクかチョコレートの二種類が選べます」
「え?」
ハニートーストと合致しない選択肢にリコリーが首を傾げると、店員はすぐにそれを悟って補足した。
「上にアイスが乗ってるんですよ。ミルクアイスかチョコレートアイス」
「あ、そういうことか…。じゃあミルクで」
代金を支払って、席に腰を下ろして待っていると、数分してから店員が品物を運んできた。
テーブルに置かれた途端に、蜂蜜の甘い匂いが鼻孔をくすぐる。正方形の紙のトレイの上に、薄切りのパンがトーストされた状態で何枚も重ねられている。一枚ずつは小さく、それが少しずつ位置を変えながら重なっているので、上から見ると花のように見える。その中央に置かれたミルクアイスはトーストの熱で少し溶けていて、それが一層食欲を刺激した。
「薔薇みたいだから、ローゼスなんですか?」
「はい。あまり時間かけるとトレイが破れてしまうので、お早めにどうぞ」
店員がいなくなると、リコリーはトレイに添えられていたフォークを手に取った。トーストを突き刺して、溶けたアイスと一緒に口に入れる。甘いがしつこくはない味が舌の上に広がった。
「……美味しい」
トーストが薄く、そして固めに焼かれているのでアイスが絡めやすい。だが適度な弾力も保っており、そこに染み込んだ蜂蜜が咀嚼する度に香る。縁のあたりは香ばしさもあるので、アイスを絡める位置によって食感も味も変わっていく。
「アリトラに教えてあげようかな」
甘いものが好きなアリトラなら喜ぶだろうと思いながら、リコリーはそれを食べきった。ゴミを片付けてから其処を後にし、本来の目的である古書店を目指す。
西区にはあまり訪れることがないので、少々迷ったものの五分ほどで店を探し当てた。
赤茶けたレンガ作りの店は、まるで何年も前からそこにあったかのように落ち着いた雰囲気を出して、住宅街の端で佇んでいた。入口にはアンティーク調の椅子が置かれて、その上には陶器製の本の形をしたオブジェと、営業時間が描かれた小さな黒板が添えられていた。
リコリーは閉められている扉を開くと、ゆっくり中に踏み込んだ。入った途端に本屋独特の紙の匂いが鼻をつく。
「………わぁ」
中はまさに、リコリーが理想とするところの「古書店」だった。本を護るために窓には鎧戸が下ろされ、床から天井までの高さがある本棚には大小さまざまな本が並んでいる。間口は狭かったが、本の壁が奥まで続いているところから見て、長方形の店舗だとわかる。
「いらっしゃいませ」
奥の方から声がして、一人の女性が姿を現した。細身の長身で、肌の色が白いうえに髪も蜂蜜色に近い金髪のため、どこか幽かなものを感じさせる。
身体の線を強調する裾の長いワンピースを着ているが、それが白から紺に移るグラデーションになっているので、足元あたりは殆ど床と同化しているように見えた。
「何かお探しですか?」
「え、いえ。ちょっと話に聞いて、気になっていたので来てみたんです」
「そうですか。ありがとうございます」
少し低めの声で女は言った。
「どうぞご自由にご覧くださいね。上にある本は、脚立を使って……」
その時、女は不意に驚いた表情を浮かべた。深い緑色の目に、天井から吊るされた照明の色が混じる。その目の中にはリコリーが映っていた。
「あの……?」
「あ、いえ。失礼しました。脚立は少し重いので気を付けてくださいね」
「はい」
リコリーは本棚を見回すと、気になった魔導書を手に取る。古いが立派な装丁で、中は攻撃用の魔法陣が多く載せられていた。少し古臭いものもあるが、今では見なくなった技法のものもあり、あっという間にリコリーはその世界に没頭する。
魔導書と一口に言っても様々な種類があるが、フィンでは基本的に「複雑な魔法陣を扱うためのもの」とされている。魔法陣を描いたページを開いて、そこに決められた簡単な魔法を使うことにより、より複雑緻密な魔法陣が発動する。
その解説を併記しているものが多く存在するため、魔法の勉強をするのには魔導書が一番だとも言われていた。
双子の母親であるシノは、自分で特注した魔導書を持っている。それを使う姿は子供の目から見ても格好よく、特に魔法使いとしての才能が高いリコリーは、いつか魔導書を扱うことを夢見ていた。
「………攻撃魔法は少し難しいから…、防御魔法のとかないかな…」
思わずそう呟いた時に、至近距離で「ありますよ」と囁かれた。
「うわっ!?」
リコリーはいつの間にか真横にいた女に驚いて、本を床に落としてしまった。
「ご、ごめんなさい」
「いいえ。声をかけたのだけど、あまりに集中していたから。その魔導書は攻撃魔法と防御魔法が別になっているんですよ」
「そう、なんですか」
「えーっと確か……」
女は隣の棚から、同じ装丁の本を迷いもなく取り出した。受け取ったリコリーが中を見ると、それは今まで読んでいたものと同じ作りで、だが中の魔法陣だけが違っていた。
「覚えてるんですか、何がどこにあるか」
「あまりお客さんがくる店でもないから」
女の目はリコリーの顔をずっと見ていた。居心地が悪くなって、リコリーは目を逸らす。
「……貴方のお父さんは、貴方に似ている?」
「え?」
「私が知っている人とそっくりだから、気になって」
「僕は父には似ていません。父は此処に仕事で来たことがあると言っていました。中央区で魔法具ショップを開いているんですけど」
「………あぁ、あの青い髪の」
女の口元に、妙な笑みが浮かんだ。そしてその唇がゆっくりと動く。
「彼は貴方のお父さんではないと思うわ」
「…………は?」
「私、貴方の本当の父親を知っているもの」