7-5.食パンは何も付けずに
「パンもらっちゃった」
「お帰り」
店に戻ってきたアリトラを出迎えたのは、床に散乱したものを片付け終わったリコリーだった。
「どうしたの、そのパン」
「パン屋さんがくれたよー。なんかこの騒ぎでお客さん来そうにないからって」
一斤パンを抱えた片割れを見ても、リコリーは呆れることも馬鹿にすることもしなかった。ただパンに顔を近づけて、その香ばしい匂いを嗅ぐと、嬉しそうな顔をした。
「半分こ」
「半分こ。ジャムとかあればいいんだけど」
「リコリー、これだけバターとミルクの風味が効いたあったかいパンに、それは邪道」
「確かに」
二つに千切って分けたパンをお互いに抱えるように食べながら、アリトラは魔法制御機関の刑務部を呼ぶまでの一部始終を説明した。半分はミソギからの伝聞も入っているが、店に戻る前に念のため仕立て屋の中も見せてもらったので、その描写は細かい。
この国では犯罪に関しての調査、またその逮捕は軍と制御機関が共同で行っている。今回は制御機関に近い場所で発生したことと、カルナシオンの名前を見たミソギがそっちの方が良いと判断して刑務部を呼ぶ判断を下した。
「それで刑務部の人が来たから戻ってきた」
「マスターのことは?」
「ちゃんと伝えたよ。来たのが結構年配の人だったから、マスターのこと知ってたし」
「だって元刑務官だもんね」
魔法制御機関の一階にある『マニ・エルカラム』の店長、カルナシオン。今でこそ、大陸一不味い珈琲を豆だけで生み出す魔の錬金術師と名高いが、元々は制御機関の人間だった。
五年前にある事情で制御機関を辞めるまでは、刑務部に所属する魔法使いであり、次期刑務官長とも目されるほどだったらしい。とはいえ五年前だと双子は十三歳で、そのあたりの細かいことは知らなかった。
「ねぇ、アリトラ。爆発音のことなんだけど」
綺麗な焼き目のついたパン生地を摘まみ取り、リコリーは口を開いた。食べるためではなく発言するためだったので、パンは指先に収まったまま白い肌を晒している。
千切られた断面は柔らかさを保っており、真っ白というよりは少し黄色を帯びたそれは口どけの甘さを約束しているかのようだった。
「仕立て屋さんの窓とか別に割れてなかったんだよね?」
「うん。砂糖屋さんのプレートが少し外れたぐらい?他の店とかも見たけど、大体似たようなものだった」
「ふーん……。じゃあそれ多分音響魔法だね」
「音響魔法って…小さい頃に遊んだアレ?」
「そう。風船の中に魔力を入れて、簡単な魔法を使って、風船が割れると大きな音がするやつ。軍では音響爆弾として使われることもあるみたい」
「なんでわかるの?」
「普通の爆発なら、威力は爆心地から遠ざかるにつれて小さくなる。この店の硝子があれだけ揺れたんだから、仕立て屋さんが爆心地だったらガラスなんか粉々になってるよ。ということは広範囲に同威力の衝撃が加わったと考えるのが妥当だね」
「うーん…でもどうしてそんなことしたのかな?」
「犯人は一番最後に仕立て屋さんに来たからだよ」
パンを口に入れたリコリーはじっくり味わってから嚥下する。
バターとミルクの甘さは絶妙で、冷えてもトースターで焼けば十分な柔らかさと美味しさが復活することが伺えた。家でも父親とアリトラがパンを焼くことはあるが、ここまでのバランスは一般家庭のオーブンでは出せない。
「殺したのが計画的か衝動的かは兎に角として、仕立て台を見れば自分が今日の最後の客であることはわかったはずだ。他に控えがないんだからね」
「うん」
「そうすると自分が逃げた後に、客が全く来ない可能性も考えられる」
「そんなに仕立て屋さんって暇だっけ?」
「暇か忙しいかは問題じゃないんだよ。恐らく犯人は、あの時間までに死体を見つけて欲しかったんだ。商店街であんな大きな音がしたら、皆何事かと思って出てくる。仕立て屋さんだけ出てこなかったら、周りが不思議に思って中を覗くでしょ」
「それなら、注文票を持って帰ったほうが早いと思うけど。そうすれば、その人がそこに来た証拠がなくなる」
パンを直接齧っていたアリトラが反論すると、リコリーは肩を竦めた。
「その食べ方は上品じゃないよ」
「贅沢したい気分なの。リコリーも死体見てくれば」
「遠慮しておく。注文票だけ持っていけば安全というのは言い切れないと思うよ。例えば喫茶店にお客さんが来たとするよね。珈琲を出して、その時に伝票をテーブルに置く」
「うん」
「お客さんがその注文票を破り捨てて「自分は珈琲なんて頼んでないからお金は払わない」なんて言ったらどうする?」
「顔面を蹴る」
「蹴っちゃダメ」
「んー……。そんなこと言ってもカウンターにも控えはあるし、飲んだマグカップだって残ってるよね」
アリトラはそこまで自分で言ってから、片割れの言いたいことがわかって、明るい声を出す。
「そっか。そこの人間じゃない限りは、何を消したら証拠隠滅になるかなんてわからない」
「そういうこと」
「でもそれなら、ほったらかしにしたほうがいいんじゃないかな?午後に見つかっても、「自分が帰った後に誰かが来た可能性がある」とか言い張ればいいじゃない」
「それだと駄目なんだ」
珈琲で喉を潤したリコリーは饒舌に続ける。元々内気なところのあるリコリーがこれほど淀みなく話すのは家族や親しい者の前だけだった。