5-2.怪盗Ⅴ
「怪盗Ⅴ?」
「うん。元々ハリ共和国で活動していた泥棒なんだって」
大展示室の前に置かれた赤いソファーで、リコリーは相手に説明をする。
革張りのそのソファーは二人が座っても必要以上に沈むこともなく腰を支えてくれた。
「ある犯罪組織のナンバー五だったから、そういうコードネームを名乗っていたらしい。僕たちが生まれる前にその犯罪組織は無くなったようだけど」
「じゃあその怪盗は十八年以上も泥棒やってるの?」
「それがよくわからないんだよね。その組織が無くなったのは二十年前で、組織には十人の幹部がいた。十三剣士隊によって幹部とその側近は全員殺されたらしい。それ以降、怪盗Ⅴは活動をしていない」
「死んじゃったってこと?」
「そう思われていたんだけど、一昨日急に犯行予告が美術館に届けられたんだよ。館長も最初は悪戯だと思って、軍の警邏隊に簡単に報告しただけだったんだ」
「でもそうじゃなかった?」
「うん。昨日、実はこの美術館の物が一つ盗まれたんだよ」
「え、何なに?」
興味津々で身を乗り出したアリトラを、リコリーは両手で制した。
「あまり大きな声出さないで。まだお前のこと疑ってる人もいるんだからさ」
「ごめん」
「盗まれたのはね、「ズスカの矢羽」っていう古代人の彫刻。一階のホールに飾られているんだけど、それが無くなっていたらしい。それで代わりに犯行予告が置かれていた」
「犯行予告が?ということはその彫刻は狙っていたものじゃなかったってこと?」
「うん。あくまで警告として盗まれたものだったらしい。怪盗の犯行予告には「錦の祝杯」をもらうって書いてあった」
「それ、此処にあるの?」
大展示室を指さしたアリトラにリコリーは呆れた表情を見せる。
「ここ何度か来たことあるじゃないか」
「興味ないから覚えていない」
「あぁ…昔からそうだよね。大展示室の一番奥にある、王政時代に代々の国王が使用していた…まぁ王様の証みたいなものだよ。片手で持てるぐらいの虹色のガラス製の杯」
「それを盗みに来るの?今日?」
「らしいよ。犯行予告には今晩十一時って書いてあったし。あと一時間ぐらいだね」
アリトラはリコリーの腕時計を覗き込んで時間を確認すると「うーん」と首を傾げた。
「それでなんでリコリーがいるの?刑務部とかならわかるけど」
「盗難防止に急遽、美術館に魔法陣をいくつか仕掛けたんだ。それが法に反していないか確認するために僕が派遣された」
「新人なのに?」
「新人だからね」
誰も好んで夜勤などしたくない。
法務部にその話が来た時に、リコリーは自分には関係ないと思っていたが、上司や先輩が次々と辞退した結果、白羽の矢が巡ってきた。
元々気性が穏やかでのんびりしているリコリーは、他の同僚のように先に逃げる術を持っておらず、もはや誰にもその仕事を押し付けられなくなっていた。
「そっちこそ、どうしたの?遅くても九時にはいつも帰るのに」
「こっちも急に宅配の依頼が来たの。マスターにお小遣いもらっちゃったから断れなくて」
「マスターは?」
「帰っちゃった」
双子は互いの身の上に同情して溜息をつく。
「僕、早く帰って晩御飯食べたい」
「アタシも。……お腹空いてるなら、サンドイッチ食べてくれば?」
「……さっき、「妹から目を離すな」って言われたじゃない」
「うん」
「念のため、展示室にも入れないようにって言われた。でもサンドイッチは展示室の中にある」
「わぁ、超難題」
これがアリトラであれば、そんなことは気にせずにサンドイッチを確保しに行くが、真面目なリコリーには誰かの言いつけを破るということが出来ない。
落ち込んでいる片割れが哀れになったアリトラは、自分の腰に下げていた精霊瓶を取り出した。中には小さな金平糖がいくつか入っている。
「食べる?」
「だからその瓶に飴とか入れちゃダメだってば」
「餌入れておけば精霊来るかもしれない」
「そういう理屈では来ないから。でも頂戴」
二人で金平糖を分け合って食べていると、先ほどの軍人がやってきた。
「魔法陣の確認をお願いしたいのだが。……何をしているんだ?」
「おなかが空いたんです」
「中に食事が……あぁ、そうか。そういうことか」
軍人はリコリーの苦悩の原因に気付いて頭を抱える。
十八歳の男女が、腹を空かせて金平糖を齧っている姿というのは、双子の想像以上に見る者にダメージを与えていた。
「ちょっと待っていろ」
中に引き返した軍人は、二つサンドイッチを持ってくるとリコリーとアリトラに渡した。二人は途端に顔を輝かせる。
「ありがとうございます」
「ありがとーございます」
「それを食べたら、魔法陣の確認をお願いする。その間、彼女は私が見てるから」
「はい」
二人はそれぞれの具が違うのを確認すると、黙って半分に分けて交換した。
「美味しい」
「そっちのキュウリのはアタシが作った」
一つ分のサンドイッチを平らげると、リコリーは展示室の中へ向かう。
残されたアリトラは、まだ少し残っているパンの部分を口に運んだ。