6-8.婦人の証言
三人が食堂に戻ると、そこにはピンク色のフォーマルドレスを身に着けた太った女がステーキを頬張っていた。目撃者の女性だと気付いた二人は丁寧に会釈をする。真っ赤な口紅を歪ませるようにして肉を噛んでいた女は、少し考えた後で表情を明るくした。
「あらあらあら、先ほどはありがとうございました。びっくりしてしまってね、お礼も言えなかったものだから」
「いえ、えーっと、お元気そうで何よりです」
大きなステーキ肉が半分無くなっているのを確認したリコリーがそう言うと、女性は大仰に首を左右に振った。両の頬についた分厚い肉が揺れる。健康そうな肌艶のために若く見えるが、年齢は五十前後のようだった。
「何とかね、持ち直しましたわ。亡くなった母にはよく言われていたものです。お前は神経が細いのだから、気を付けなきゃいけないって。でも目の前で飛び降りなんて見てしまったら、そうなると思いませんこと?」
「神経が、細い?」
あまり気が利かないリコリーは純粋な疑問符を浮かべてしまったが、横からすかさずアリトラが口を挟んだ。
「心中お察し致します。奥様はお一人でこの列車に?」
「この列車の料理が好きで、よく乗っていますのよ。亡くなった夫がコックで、よく狭いテーブルに沢山の料理を並べてくれましたの。此処に来ると、それを思い出してしまって」
「落ちた人とお会いになったことは?」
「まぁ、まぁ。驚きましたよ。ベルセ家の方とはこの列車でよくお会いしますけどね、まさかこんなことになるなんて。私はこちらでスコーンと紅茶を頂いた後にサロンに行き、のんびりと外を見るのが習慣でね。今日は辞めておくべきでしたわ」
女は傍に置いてあった大きなワイングラスを手に取り、中に注がれた炭酸水を飲み込んだ。
「普段はね、あの扉は閉まっているんですよ。寒いから当然なんですけどね。風が吹き込むと思っていたら扉が開いていて。近づいてみたら誰かが柵を飛び越えたんですから、腰を抜かしてしまいましたわ」
「誰か?」
その表現にアリトラは首を傾げた。サロンでも女は「人が落ちた」としか言わなかった。
「落ちた人の顔は見なかったんですか?」
「何しろ一瞬のことでしたからね。私が見た時には既に柵の外でしたわ。左足が揺れながら落ちて行ったのを覚えていますもの」
女性は再びナイフとフォークを手に取って、ステーキ肉を切り始めた。
「私がもう少し早く着いていたら助けられたかもしれないのに。……あぁ、でもどうかしら。扉が半分閉まってしましたものねぇ。両方開いていないと、通りにくくて」
「サロンには奥様と、ベルセ老人しかいなかったのですか?」
リコリーが尋ねる。女は一口大に切ったステーキをフォークに指したまま、大きく頷いた。
「えぇ、勿論。仮に誰かいたとしてもね、私が悲鳴を上げてすぐに貴方達が入ってきたのだもの。身を隠す場所などないでしょう?」
それ以上、女性から聞き出せることはなさそうだったため、双子は礼を述べてから自分たちのテーブルへと戻った。先に二人を座らせたギルは、ウェイターを呼んで、紅茶とケーキの準備をするように依頼する。
それが届くまでの間、二人は再度「事故」について考え始めた。
「発想を転換させるべきだと思う」
まず最初に口を開いたのはアリトラだった。
「事件が起こったのはサロン。でも実際にはその中の「バルコニー」が問題」
「そうだね。サロンはあくまで目撃者がいた場所に過ぎない」
「そして現在わかっていることは、「バルコニーから誰かが落ちた」。これだけの筈」
アリトラは少し首を回して、ステーキを貪っている女性の後姿を一瞥する。
「バルコニーから誰かが落ちて、そこに車椅子と金時計が残されていた。だから落ちたのはベルセ老人だと考えられたし、それにより生死不明になったと誰もが推測した」
「そうだね。「生きているベルセ老人がバルコニーから転落した」なんて誰も見てないし、断言も出来ない。もしかしたら、既に亡くなっていた可能性もある。生きている人間を落とすより、死んだ人間を落とすほうが簡単だ」
でも、とリコリーは首を傾げる。
「それでも魔法陣や装置を使わずに、離れた場所から死体をバルコニーの外に放り投げる方法がわからない」
「それなんだけどね、リコリー」
アリトラが何か言おうとした時に注文した品が運ばれてきた。スミレの花を使った青紫色のケーキ、レモンの蜂蜜漬けを使った黄色いタルトがそれぞれテーブルに置かれる。鮮やかな色彩に双子が揃って感嘆符を出した。
「綺麗。こんなに色がはっきりと抽出されるなんて、流石は一流」
「レモンも厚さが均一だから、ゴテゴテとした印象はないね。タイルみたいに綺麗だよ」
二人はフォークを手に取って、まずは一口分を切り取った。先に口に入れたアリトラが、途端に表情を明るくする。
「スミレの花の砂糖漬けって甘さ控えめだからケーキに向かないと思ってたけど、スポンジの間に挟んだクリームが卵たっぷりだから十分に甘くて美味しい。それにクリームとスポンジの結合部にチョコレートが塗ってあるから、味の変化がついてる」
続いてリコリーがタルトを飲み込んで何度か頷いた。
「こっちは甘さ控えめだね。レモンを蜂蜜漬けにした後に粉糖をまぶしている。その食感が先に来るから、蜂蜜の甘さが軽減されてレモンの酸味が強いんだ。クリームは水分が多いけど、タルト生地を固く焼き上げている。食べているうちにタルトが柔らかくなるように計算されているんだね」
二人は互いの寸評を聞き終えると、ケーキとタルトを半分に切って交換した。自然に行われた動作を見て、テーブルの向かいで見ていたギルが嘆く。
「そういう場合は給仕に頼んでやってもらうものだぞ」
「ごめんなさい、お祖父様」
「ごめんなさい」
二人が悲しそうな顔で謝罪をすると、ギルは言葉を詰まらせる。政治家仲間の間でも礼儀作法に厳しいと揶揄される老人でも、可愛い孫にはとことん甘かった。
「……まぁ、他所の人の前ではやるんじゃないぞ」
「わかりました」
「はーい」
再び笑顔になった二人は、食べるのを再開する。少なくとも二人は食べるのだけは非常に上品だった。