3-9.正解と不正解
「被害者の靴の裏には血痕が付着していた。ということは、刺されて流れ落ちた血の上を踏んだ」
「そんなん当たり前だろ」
椅子の上に胡坐をかいたリッタが口を挟む。
「心臓を刺されて即死に近かったとしても、その場で何歩かよろめくこともあんだろ?」
「その通り。でも、だとしたら血の足跡が一切無いのはどうして?」
「足跡ぉ?」
怪訝そうに呻いたリッタと対照的に、メーラルがその答えを口にする。
「被害者が数歩よろめいたなら、血の足跡が残っているはず。そう言いたいんですね?」
「そういうこと。でも被害者の足跡なんて消したところで意味はない。もしそうなら靴裏の血痕をどうにかするはず。アタシなら靴を持っていくかな? そうすれば血の有無なんて確認出来ないもんね」
「被害者でないとしたら、犯人。犯人は自分の足跡を消そうとしたんですね」
「その通り。犯人は被害者を殺害する時に、誤って血の上に足を着いてしまった。それで足跡を残すとまずいって思ったんだろうね。咄嗟に乾燥魔法を使って、血痕を乾かした」
アリトラは自分の足元を示すと、そこに血があることを仮定した上で足を下ろす。
「被害者の足裏には血がついていたのに足跡はなかった。ということは足をついてすぐに乾燥魔法が使われたことになる。この事実から犯人が何処にいたか導き出せる」
「何処にいたか……」
ミソギはアリトラが先程、剣を使ったことを思い出して口を開く。
「すぐ傍だね?」
「そうです。血を踏んだタイミングは被害者とほぼ同じじゃないと理屈に合わない。どっちも凄く近い場所にいたってこと。でも猟犬の獲物はロングソードだから、それは不自然」
「何でだ?」
リッタが身を乗り出して聞くが、アリトラは少し考え込んだ後で手招きをした。
「口で説明するの難しい。ちょっと被害者役を手伝って」
「おう、任せろ」
椅子から降りたリッタがアリトラの前に立つ。先ほどと同じように軍刀を突き付けて、アリトラは説明を再開した。
「ロングソードの場合、被害者と犯人の間には距離が生じる。被害者と同じタイミングで血を踏むことは出来ない」
「もっと踏み込めばあり得んじゃねぇの?」
「被害者の傷は貫通していなかった。肉薄するほど近くに踏み込んだなら、貫通しちゃう」
アリトラは一歩踏み込み、刃の先をリッタの脇の下を潜らせて、貫通したように見せかけた。
「傷は浅くて、でも血を踏むほど近かったということは獲物は……」
「短剣ってことか」
リッタが少し大きな声で言うと、アリトラは頷いた。
「短剣だったと仮定すると、犯人が立っていた位置は此処」
剣を下ろしたアリトラは、リッタの傍らに立ち、同じ方向を向く。
「逆手で短刀を持ち、それを被害者の心臓に突き立てた」
「正面からじゃねぇのか?」
「それだと返り血を浴びるから駄目。犯人はなるべく血を浴びないようにする必要があった」
「何でだ?」
「犯人は中央区の地理に詳しくないから」
アリトラは笑顔を浮かべて、リッタから離れる。そして全員の顔が見える位置まで移動すると、説明を再開した。
「犯人は自分が現場から上手に立ち去れるか自信がなかった。道に迷う可能性や、思わぬ場所で人に目撃されることを恐れていたんだと思う。返り血を浴びたまま歩き回れば、誰かに見られた時に言い逃れが出来ない」
「そこまで考えて魔法を使ったんだとしたら、そいつはキース師範を計画的に殺したってことになるな」
「バセルー、正解。これは計画的殺人で、通り魔とは違う」
「じゃあ猟犬の振りをして、誰かがキース師範を殺したってことかよ」
「それは不正解」
アリトラは首を振って否定をする。
「猟犬の犯行の証である切り絵。それは他人が用意出来るものじゃない。じゃあどうして現場に落ちていたのか。思い出してほしいのは被害者の左手」
「血が殆ど付着しておらず、ストラップを握りしめていた手だね」
直接それを目にしたミソギが捕捉する。
「死に際にストラップを握りこんだから血が付かなかったんじゃないかと思ったんだけど、違うのかい?」
「乾燥魔法の用途から考えて、犯人は計画的かつ慎重に犯行に及んだことが考えられる。そんな犯人がストラップを取られたのを、そのままにしておくとは考えられない」
自分の痕跡を残さないことに注力していた犯人。確かにその行動とストラップの残留は結び付かなかった。ミソギがそう考えたのを読み取ったように、アリトラは小さく頷く。
「もし別の物が握られていたとしたらどうですか? 例えば……ロングソードとか」
「……ロングソード?」
「被害者は犯人の後ろからロングソードを持って近付いた。そしてそれを振り下ろす前に、犯人によって短刀で刺殺された。人は刺されたところに咄嗟に手を当てる癖がある。空いていた右手で傷口に触れたから、そちらには血がついたけど、剣を握った左手はそれをする間も無かった」
その言葉が意味することを悟ったミソギは目を見開いた。
「キース・ネイルが「猟犬」か!」
「現場に残っていた切り絵は彼の持ち物だった。要するに、新たな獲物を探していた「猟犬」が返り討ちにされた結果ってことです」
「なら犯人は捜査撹乱のために剣を持ち去ってストラップを?」
「犯人はそんなことしてない。だって犯人が一連の細工を行ったとしたら、不可解な点がある」
「……遺体を動かした」
どこかゆっくりとした口調で、何かを確認するかのように呟いたのはメーラルだった。
「そのまま遺体が朝まで放置されれば、足元の血に乾燥魔法が使われたことなんてわからなくなる。誰かがそのあとで動かしたせいで、不審点が生まれてしまった。つまり遺体を動かしたのは犯人ではない」
「そう。犯人が現場を立ち去った後に、誰かが遺体を動かしてしまった。その人は手に握りこまれたままの剣を持ち去って、代わりにストラップを握らせた。意味のあるものを持たせれば、それがすり替わった物なんて誰も思わない。剣も隠してしまえば、猟犬に殺された人が犯人の持ち物を握りしめて死んだように見える」
アリトラは視線を一度床に落とす。まるでそこに何かあるように凝視して黙り込んだ。他の人間もそれにつられたように口を閉ざす。数秒が数分にも感じられるような静寂の後、アリトラは持っていた剣の先で床を軽く突いた。
「何でそんなことしたの?」