3-3.英雄の孫
道場を後にして現場に戻った二人が見たのは、想像以上の野次馬だった。十字路のすべての道を塞ぐように人々が現場を覗き込んでいる。その表情は半分は好奇心だったが、もう半分は得体のしれない通り魔に対する恐怖が浮かんでいた。
「なんだよ。まだ遺体運んでねぇのか」
カレードが眉を寄せて呟く。人一倍長身の男は人混みの頭越しに現場を見ることが出来た。
「え、まだあるの?」
「おう。なんか刑務部か魔法使いが集まってる」
「刑務部は全員魔法使いだよ」
ロープで仕切られた現場の中へ入ったミソギは、遺体の傍にいる一人の女軍人に気が付いた。背は低いが肩幅は広く、鍛えられた体をしている。短く切った茶髪と童顔のせいでどこか少年兵のようにも見えた。
その軍人は二人に気づくと素早く敬礼をしたが、腕章には北区常駐軍の紋章が描かれていた。
「ご苦労様です。北区常駐軍、第一部隊に所属しているメーラル・アルコ二等兵であります」
甲高い声と凛々しい発音で告げられた名前にミソギは数回瞬きをした。先程、ロゼッタが言っていたことが真実だとわかったためであるが、一瞥しただけでは、やはり彼女が此処にいる理由はわからない。
「北区の軍人がどうして此処に?」
「一か月前から交換演習で中央区に来ております。寝泊りをしているアパルトメントがこの近くで、被害者が知人であるため参上いたしました」
「あぁ、交換演習か。俺のところは関係ないから忘れてた」
各地の優秀な新人を一定期間別の地区に「演習」として短期配属させる「交換演習」。国の有事の際に各地の状況を知っておくべきとする観点から生まれたもので、長いこと続けられている。十三剣士は普通の軍系統にないため、それらの慣習には縁がない。
「……アルコ将軍のお孫さん、だよね? さっき、ロゼッタという子に話を聞いたよ」
「オードラには昨日の朝に会いました。祖父をご存知ですか」
「ご存知もなにも、国の英雄だからね。一度その指揮下に入ったことがあるけど、優れた将軍だよ」
「ありがとうございます。祖父も、かのクレキ中尉に言われたと聞けば喜ぶでしょう」
メーラルはミソギ達のことを既に知っているようだった。剣を教わる者なら、十三剣士のことは嫌でも意識するので当然と言えば当然かもしれなかった。
「ところで、この遺体はどういうわけかな? 普通なら既に運び去られていると思うんだけど」
「遺体を拝見したところ、一つ不可解な点がありました。触れたのはお二人しかいないということなので、お待ちしていた次第です」
「俺は何もしてねぇぞ」
カレードがそう言ったが、ミソギはその脇腹を肘で小突いて黙らせる。
「何かあったかな? 右手に握られていたものは取ったけど」
「いえ、手ではありません。遺体が最初に倒れていた場所から数十センチずれています」
ミソギはその言葉に反射的に遺体を見る。相変わらず仰向けに倒れたままの遺体に、その死臭を嗅ぎつけたらしい蠅が止まっていた。
「具体的に説明をお願い出来るかな」
「はい。ネイル氏の靴底に血が付着しているのですが、靴の周りの道路に血は落ちていませんでした。これは何者かが彼の遺体を動かしたことを示すと思います」
「靴裏に血痕、ねぇ」
遺体の靴裏には両方とも血液が乾いた状態で付着していたが、踵のついた地面に血痕はない。被害者が襲われたときに血を踏んで倒れたにしても、地面に痕跡がないのは確かに不自然だった。
「心臓の傷から考えて、被害者はほぼ即死だったと思われます。血が乾いてから動いて、そこで力尽きた線は消して良いと考えます」
「まぁそうだね。でも後から動かしたとなると、本来の足跡が何処かにあって然るべきだ。この靴裏と一致する血痕がね」
「しかし、周囲に血がかなり流れ出てしまっていますから、それに紛れてしまったのかもしれません」
メーラルはそう言ったが、ミソギは即座に否定を返した。
「いや、それは考えにくいよ。もしそんなことをしたのであれば、傷から出た血も乾いてしまって、遺体をずらした痕跡が如実になるはずだ。俺たちは君の指摘を聞くまで、遺体の状況に違和感を覚えていなかった。となると足跡は」
「後から消された。そういうことですか」
「その可能性が高いかな。でもどうしてそんなことをしたんだろう」
「犯人の手がかりが残っていたのではないでしょうか」
「でも被害者は左手に……あ、そうだ」
先ほどのことを思い出したミソギは、メーラルにストラップのことを尋ねた。特に隠すわけでもなく、メーラルは自分が特別賞を受けたことを認めた。
「でもストラップは実家にありますので、こちらには持ってきていません。それに私が持っているものは、ストラップの部分が切れてしまっています」
「切っちゃったの?」
「えぇ。頂いた時に剣でうっかり。お疑いなら実家に確認しますか? 祖父なら場所がわかりますから」
その提案にミソギは慌てて首を振る。
国の英雄とされる将軍に、身内に対する殺人罪の疑惑など容易に口にするわけにはいかない。
「今は遠慮するよ。君達五人は面識は当然あるんだよね?」
「そうですね。仲も良好でした。女子剣術部は人も少ないですし、他校の生徒と触れ合う機会は限られていましたから。剣術以外の接点がないので互いの連絡先は知りません。でもバセルーは今、中央区にいるはずですよ」
「なんで知っているんだい?」
「数日前にマズナルク駅で遭遇しました。親戚の家が引越するので、その手伝いに来ていると言っていました」
「場所は?」
さぁ、とメーラルは苦笑した。
「中央区の地理には疎いので。ですが、制御機関の近くだったと思いますよ」