1-5.身元預かり
「本当か?」
「アタシの格好で、寒風吹きすさぶ甲板に何分もいられると思う?」
アリトラは両腕を広げて見せる。長手袋は黒のレース。ショールも薄手。ワンピースの裾はたっぷりと膨らんでいるが、それでも寒さがしのげるとは思えない。
「だから戻ろうとして背中を向けたの。そしたら急に苦しみだしたから、ビックリしちゃった。そうだよね、リコリー?」
「そうだよ、アリトラ。でも妙だね。あの人は直前まで僕達と普通に話していたはずだ。それなのにあの魚は何処からやってきたんだろう」
少し落ち着きを取り戻したらしいリコリーが、視線を少し彷徨わせながらも口数を増やす。
「あの魚はどうしたんですか?」
「生きていたから、一応別の場所で保管しているよ。念のために聞くが、君達の持ち物じゃないね?」
「魚を持ち歩く趣味はありません。大体、そんなもの持って入ったら目立ちます」
「それもそうだね。じゃあ被害者は持っていたかな?」
「断言は出来ませんが、少なくとも手には持っていませんでした。グラスの中身はよく見えませんでしたが、生きた魚が入っていなかったことは断言出来ます」
淀みない証言に合わせてアリトラが同意の意図を込めて首を振る。
「それにあの人、普通に話してた。魚を喉に詰まらせてた様子もなかった」
「では魚がどこから来たか、心当たりはないんだね?」
「海から飛び上がってきたのかも」
アリトラはそう言ったが、すぐにレグナードが否定を返した。
「それだけは有り得ない」
「まぁ、お魚さんが飛んでくるには甲板の位置が高いもんね」
「それだけじゃない。あれは淡水魚だ」
「淡水魚?」
二人が驚いたような表情で繰り返す。レグナードはその反応を確認してから話を続けた。
「あれは「マレロ」という川魚だ。海に出てくることは無い」
「あぁ、塩焼きにすると美味しいお魚。 東区で食べたことある」
「そうだ。まぁ何処にでもいる川魚だから入手は容易だろうが、何故そんなものが被害者の喉に詰まっていたのかわからない」
「パーティの料理には川魚はなかったはずだけど」
アリトラの言葉にレグナードは肩を竦める。
「悪いがそこまで見ていないね。俺達、見回りの軍人は規則により支給されたものしか口にしないことになってるから。それに見ただけで魚の種類が分かるほど料理に精通していない」
波が高くなったのか、微弱にだが船室が揺れる。立ったままだったレグナードは少しよろけたのを足踏み一つで留まった。
「まぁ、魚のことを置いておいても、被害者の一番傍にいた君達が疑わしいのは変わらない。悪いが、疑いが晴れるまでは此処にいて貰おうか」
その言葉に、アリトラが真っ先に不満を口にした。
「そんなぁ。まだ船の中回ってないのに。室内プールとか娯楽室とか」
「僕も……最新のエンジン見たかったんですが」
「気持ちはわかるが、此処は……。エンジン?」
妙な単語が出てきたのでレグナードは聞き返す。リコリーは両手を胸の前に固めて頷いた。
「招待状についていたパンフレットを見たところ、ヴィルセットの魔動力エンジンの駆動力は、従来より二割も上がってます。五年前にアカデミーとの共同開発で作ったエンジンを改良したものらしいんですが、何処を改良したらそんなに駆動力が出るのか興味があって。恐らく、最新とされる第六規格ではなく第五規格の魔法陣を組み合わせているのかも……」
「あー、わかったわかった」
レグナードは両手を押し出すようにして、その何処までも続きそうな話を遮った。
「思い出した。セルバドス准将の身内には、制御機関法務部の新人がいたな。それが君か」
「あ、そうです」
「大人しそうな顔をして、存外勢いが良いんだな。エンジンに興味津々なのはわかるが、君達の身柄を保証できない以上は……」
その時、客室の扉がノックされた。レグナードが返事をすると、扉が開いて一人の男が姿を現す。室内にいた三人はそれぞれ驚愕の眼差しでその男を見た。
「……お前、何で」
レグナードがそう呟くと、男はその薔薇の花弁のような口元に笑みを浮かべた。紫色の長い髪を一つに束ね、細いしなやかな体をスーツで強調し、首元を真っ白なスカーフタイで飾っている。
大きな瞳は髪と同じ紫色。長い睫毛に縁取られ、通った鼻筋は女性のように華奢でありながら、意思の強さを示すのも忘れない。まだ二十代前半であるが故の若々しさも相乗し、その美貌は凄まじいほどだった。
「これは先輩。お久しぶりです」
容貌に相応しい透き通った声で、青年は一礼をする。
「何やら騒がしいので気になって見に来てみたら、知った顔がいましてね。その二人ですが、俺が預かりましょうか?」
「ちょっと待て。なんでお前が此処にいるんだ? 今日は……」
「軍と政府関係者が主な招待客。勿論知っていますよ。そういう人たちの中にはね、俺の家名に興味がある人も多いんです。元侯爵家という、今では何の意味もない地位のおかげでね」
男は皮肉っぽく言った後に、リコリーとアリトラに視線を向ける。
「その二人とは知り合いなんですよ。此処に閉じ込めておくのも可哀想だし、俺が面倒を見ます。どうですか?」
「知り合い?」
レグナードが二人を見ると、どちらも大きく頷いた。正直なところ、一軍人に過ぎない身で、この二人をどこまで拘留して良い物か悩んでいたレグナードにとって、その申し出は有り難いものだった。
「じゃあリム……じゃない、ライラック殿。二人を預けてもいいか」
「喜んで」
リム・ライラックは笑顔で請け負うと、まだその身から抜け切れていない軍式の挨拶で返した。