3-1.軍人の休日提案
夜から降り始めた雨は、昼近くになっても地面を濡らし続けていた。
拭いたばかりの窓から空を見上げたアリトラは、その赤い瞳に映る灰色の雲を見て溜息をつく。
「最近、天気が悪い」
「気圧が不安定らしいよ。暫くは雨模様だろうね」
そう言ったのは、カウンターに座る軍服姿の男だった。
艶のない黒髪は長く伸ばして束ねられ、切れ長の一重は黒曜石の輝きを秘めている。
アリトラの片割れであるリコリーも切れ長の目をしているが、この男の場合は顔の彫りが浅い分、その鋭さが増している。
平常時でも微笑んでいるかのような吊り上がった口角も、それに一躍買っていた。
「週末も?」
「週末は晴れるんじゃないかな?出かける予定でもあるのかい?」
「んー、お休みだから何処かに遊びに行こうかなって。ミソギさん、いいところ知らない?」
「そうだねぇ」
ミソギ・クレキは右手で顎を摩る仕草をして考え込んだ。
傍らに立てかけられた、遠く極東の国で用いられるという片刃剣。軍服の左腕についた腕章には、二つの剣が交差した紋様が銀糸で刺繍されている。
それは軍の誇る最強の剣士が集う、十三剣士隊を象徴するものだった。
「そういえば剣技演習があるけど」
「軍の?」
「うん。俺もカレードも出るよ。来るかい?来るなら席を用意してあげるよ」
ミソギの言葉にアリトラは顔を輝かせた。
「行きたい」
「誰かお友達とか連れてくる?二席までは作れるけど」
「うーん。周りに興味持ちそうなのいないし」
「リコリー君は?」
片割れである双子の兄の名前に、アリトラは首を振った。
「リコリーは駄目です。昔からそういうの興味なくて」
「彼は大人しそうだからね。まぁでも二席取っておくよ。気が向いたら誰か誘えばいい」
「ありがとうございます」
「でもおかしいな。カレードの奴から聞かなかったかい?この前来ただろう?」
「うーん、この前は何も言ってなかったです」
「忘れっぽい奴だなぁ」
呆れたような、しかしそれに慣れ切っていると言わんばかりの口調でミソギは呟いた。
「あいつ、自分で大事じゃないと思ったものはすぐに忘れちゃうんだよ。お陰でうちの隊長の怒鳴り声が週に一度は基地に響いてる状態だし」
「でもその怒鳴り声の原因って八割がカレードさんで二割がミソギさんだって聞きましたけど」
アリトラの指摘にミソギは肩を竦めた状態で固まる。
「だ、誰がそんなことを?」
「え?うちに軍の方がよく来るのと、後は身内にもいるので」
「………そ、そう。いや、俺の場合はカレードと違うんだよ。ヤツハ国での習慣が抜けなくて、それがちょっと誤解というか齟齬というか」
涼し気な風貌を歪めて釈明する様子を、アリトラは小首を傾げて見守る。
喫茶店の店員でしかないアリトラに言ってもどうにもならないのだが、ミソギとしては些細な誤解も解いておきたいという気持ちがある。
特に、軍の中でも馬鹿で有名なカレードと同列に扱われそうともなれば、その口調が熱心な物になるのも仕方なかった。
「それに二割は言い過ぎだよ。一割ぐらいじゃないかな。他の連中もそれなりに隊長を困らせてるし」
「ミソギさん?」
「いや、違うな。大体いつもカレードなんだよ。あの馬鹿の無鉄砲が色々やらかすから、俺はそれをフォローしてやっているだけなんだ。噴水を斬ったのだって、俺だけが悪いとは言えないんじゃないかな。そりゃあの時に手近な」
「ミソギさん、ミソギさん」
一人の世界で論説を始めてしまったミソギを、アリトラは慌てて呼び戻した。
肩を叩かれて我に返ったミソギは、首を何度か横に振ってから深く息を吐いた。
「ごめん、取り乱した」
「いえ、別にいいんですけど……。そろそろ昼休憩の時間になるからランチメニュー出しますけど、何か食べます?」
「いや、もう帰るよ。隊のミーティングがあるんでね。どこかでほっつき歩いてる馬鹿軍曹も回収しないといけないし」
代金をテーブルに置いて立ち上がったミソギに、カウンターの中から声がかけられる。
「今度ゆっくり食いに来てくれよ、中尉。軍人が出入りしているとなれば治安もいいしな」
「御冗談。治安の維持なんてあんただけで十分だろう?」
そう言い残してミソギが店を出て行った後、店のマスターはアリトラにだけ聞こえる声で「あいつら、俺のこと買いかぶりすぎだな」と言った。