9-33.それぞれの決着
バドラスはあり得ない光景に、何度も瞼を上下した。
自分を冷たい牢獄から救い出してくれた「黒騎士」は、ロンギークを殺すことを指示した。その口から語られた計画は、五年前に出会った時と同様に、美しい音楽のようにバドラスを酔わせた。
あの薬を飲んでも愚かな破壊行動しか出来なかったバドラスに、黒騎士は目的を与えてくれた。十三人の命を捧げれば、黒騎士のようになれる。そう教えられたバドラスは言われた通りに刃を振るった。
何も間違ったことはしていない筈なのに捕らえられた。バドラスはそれを、ロンギークを殺しそこなったからだと信じていた。黒騎士はそれを咎めるどころか、二度目の機会を与えてくれた。
「なのにどうして……? おかしいよ、こんなの」
十人以上の敵を見回し、バドラスは焦った声を出す。最初に現れた二人の男女。そこから全てが狂いだした。黒騎士の計画に、こんなことは想定されていなかった。
「黒騎士様が間違えた? でもどうして?」
「おい」
混乱しているバドラスに、カレードが冷たい声をかける。
「何考えてるかは大体わかるけどな、そんなの決まってるだろ。あいつもお前も五年前と同じだからだよ」
「そう、同じだ。黒騎士様は変わらず、俺を」
「五年前と同じなら、要するに成長してねぇってことだろうが。お前が殺し損ねたガキは、お前に立ち向かおうとするほど成長してんのによ」
ロンギークはリコリーに護られながらも、その目を決して逸らしてはいなかった。母親に庇われて泣き叫んでいた幼い子供とはあまりに違っていた。
だがそれを認めたくない男は、焦ったように声を震わせる。
「俺は、間違っていないはずだ。だって、黒騎士様が……」
バドラスは右手の中にわずかに残った魔法陣の束から、一枚を抜き出す。
「こんなの間違ってる。この国の連中はいつも間違ってるんだ。カジノで勝った俺を嫉妬して叱りつけた上官も、シスターの素晴らしさを理解出来なかった同僚も、人を殺した程度で捕まえる刑務部も、皆間違ってるよ! それに気付くべきなんだ!」
左手でバドラスは魔法陣を掲げた。だがその顔が狂気から一転、情けなく歪む。その目の前を魔法陣の切れ端と血が舞い降りて行った。
「あれ? どうして?」
落ちていく魔法陣を取ろうとしたバドラスは、自分の左手に指がないことに気が付いた。それが体を巡る激痛の正体だとわかると、今度は大きな悲鳴を上げる。
「うーるせぇなぁ。俺は長い話聞くと眠くなるんだよ」
カレードは剣についた血を右手の一振りで払い落とす。そして構えなおさずに、一歩相手の間合いに踏み込んで告げた。
「まぁでも一つだけ言えるぜ。いくら此処でお前が間違ってないと叫んだとしてもな、俺はお前を捕らえる。後は牢獄で好きなだけ喋ってろ」
その言葉と共に、カレードは剣ではなく足を動かした。
「そんで二度と出てくるな!」
鉄骨入りの軍用ブーツの爪先が、泣き叫ぶバドラスの顎を蹴り上げる。渾身の攻撃に体は呆気なく吹き飛び、数メートル先に落ちた。
練習場に叩きつけられ、バドラスの意識が黒く塗りつぶされていく。
全ての感覚が遮断される中で、バドラスはどうして自分が負けたのか理解出来ないままだった。
「で、どうする? 殺し合いでもするかい、久しぶりに」
ミソギの言葉に我に返ったディードは、苦いものを顔に浮かべる。
「余裕ではないか」
「まぁ負けるつもりもないしね。でも此処でやりあうとさ、死者への冒涜だと思うんだよ。俺、かなり信心深い家の出身だし」
死者の墓標が二人を見守る中、ミソギは最小限の警戒だけを滲ませた口調で続ける。
「それに持ち駒を失った上に、五年前から何の成長もしていないお前に興味もないし」
「勝手な解釈だな。いいんだぞ、此処で証明してみせても」
「興味ないって言ってるだろ」
自己顕示欲の高いディードは、その言葉に戸惑った。かつての同胞、対等であった人間から向けられる無関心は、その自尊心を大きく傷つける。
「さっきの一撃で確信した。お前はシスターと頭に頼りすぎて、肝心の技巧が進歩してない。五年前の俺とお前は対等だったけど、今は確実に俺が勝つ。試したっていいよ」
余裕そのもののミソギに対して、ディードは迷っていた。自分の計画が妨げられたことによる精神的なダメージもそうだが、ミソギに指摘されたことは無意識ながらも自覚していたことだった。
「もう一つお前が知らないかもしれないことを教えてあげるよ。喫茶店で誰を吹き飛ばしたか知ってる?」
「従業員だろう」
「そう。でもただの従業員じゃない。七番目の娘だ」
ディードはそれを聞いて、瞬時に青ざめた。十三剣士の過去を持つ男は、それがどれだけ重要な単語か理解していた。
「調査書が一度も開かれた痕跡がないし、お前は一切目を通さなかったんだろうね。まぁ自分で見張って自分で爆破したんだから、調べるまでもないって思ったのかもしれないけど」
「……あの人の、娘」
「相当ご立腹でね。お前を殺したいそうだよ。俺じゃなくてあいつと戦ってみる?」
その言葉にディードは首を左右に振って、何度か喉を上下させた。
「無理だ。人間が適う相手じゃない」
「あぁ、それぐらいは判断出来るわけか。賢明だね」
実際には、ホースルはこの件から手を引いている。だが、ディードが知る筈もなかった。
「シスターの製造を一切辞めて、以後どんな薬物も作らないと誓えるなら見逃してやってもいいよ」
「あれは私の物だ」
「そうだよ。お前の物なんだから、自分の手で始末しろって言ってるだろ。それとも七番目に土地ごと消去してもらうかい?」
フィンで取り締まりが厳しくなっているとは言え、近隣国にはシスターの流通経路が多く残っている。ディードにとっては金を生む木でもあり、情報を得る餌でもある。それを潰さない限り、同じことが何度も起こることは目に見えている。
だが、外国のことにまで干渉する権限は、相手国が要請しない限り発生しない。シスターの流通経路を潰すには、元締めであるディードに潰させるしかない。
「自分でやるんだよ。そうすれば七番目の溜飲も下がる」
ミソギは相手の答えを待つ。だが聞くまでもなく結果は明らかだった。ディードの目に闘志は失せて、ただ絶望にも似たものが漂っているだけである。
暫くの沈黙の後、ディードは力なく口を開いた。それは二度目の敗北を意味していた。