9-23.お人好し達の妨害
誰もいない雪原をゆっくりと踏みしめながら、カルナシオンは先だけを見据えていた。重装備の人間でも凍てつくような寒さを、火魔法の応用で最小限の接触に抑える。
幸い降雪量は多くなく、視界は保たれている。いくらカルナシオンが魔法が得意だと言っても、目的地に着くまでに魔力を使い果たしては元も子もない。
古戦場までの道は両側を山に挟まれていて、空と地面の間に白い木々や崖がいくつもそびえ立つ。戦場であったことを伺わせる立地であり、もしカルナシオンが大昔の兵士であれば、此処で狙い撃ちをされてもおかしくなかった。
「もう一本吸って来ればよかったかなぁ」
煙草一本で出て来たことを後悔して呟いた、その時だった。雪景色の中で小さな火花が見えた。火薬の弾ける音に続けて、カルナシオンの左耳を弾丸が通り過ぎていく。
カルナシオンはその行く手を見ることはせず、その場で精霊瓶を握りしめて構えを取った。
「なんだよ。火が要るなら貸すぞ、カンティネス」
雪の中で軽い口調が響く。それを聞いたカルナシオンは目を見開いた。
右前方の崖の上に、軍服姿の男がライフルを構えている。目を守るための伊達眼鏡が雪の狭間から見えた。
「煙草は体に良くないが、暖を取るならいいだろう」
今度は左前方の木の上から低い声がした。足元に魔法陣が浮かび上がり、駆動を始める。慌てて後ろに飛びのいたカルナシオンは、それが誰か認識すると口元に苦々しい表情を滲ませた。
「ゼノさんにルノさん。どうして此処に?」
姿を現したのは、セルバドス家の四人兄妹のうち上の二人だった。どちらも軍属であるが、所属部隊も地位も大きく異なる。
「どうして此処に、はこっちの台詞だよ。ったく、「一般人」が紛れ込む場所じゃないぞ」
「非常時に軍人が何処にいようともおかしくないだろう?」
二人の言葉を聞いて、カルナシオンは信じられない気持ちで首を振る。
「シノが……シノが頼んだんですか? でも、どうやって? 公共機関は殆ど動かない。俺は制御機関が出動するより早く出た。軍もその時には行動指針を示していなかった」
「読みは鋭い。だが、お前より先に回り込むのは難しいことでも何でもない」
ゼノがその疑問に答えるために、木の陰から出る。右手に掴んだ精霊瓶は、いつでも魔法が発動出来るように準備されていた。
「早めに鉄道を使ったのは賢かったな。だがそのためにお前は線路に従うしかなかった。鉄道は中央区と北区を直線距離で結んでいるわけではない。余計な駅も通過する。だったら、我々は直線距離を使えば良いだけだ」
「いやー、雪中行軍用の戦車って恐ろしく煩いな。可能な限りの魔法装具のカスタマイズはしたけどさ、まだ耳がジーンとする」
「……戦車?」
カルナシオンは軍人二人の言葉に、瞬時に頭に血が昇るのを抑えられなかった。
「軍の備品を使って此処に来たんですか!? 二人とも高官の立場なのに、指示系統を放り出して!?」
「ふむ、気持ちはわかるが落ち着け。一つだけ訂正しよう。確かに軍の備品を持ち出してお前如きを追って来たなら大問題だ。だが、私物をどう使おうと、私の勝手だろう」
「……私、物?」
沸騰しかけた血が、今度は一気に引いていく。有り得ないことの連続に、脳の処理が追い付かなくなっていた。
「シノから話を聞いた時、戦車のことを言い出したのはルノだ。だが流石にこの非常時に戦車を独断で出すわけにはいかない。よって、誰にも文句を言わせないように戦車を買った」
「か、買ったって……いくらすると思ってるんですか」
「お陰で、先祖代々の土地がいくつか消えたが、まぁそんなことはどうでもいい。我が先祖は人格者揃い。土地如きで目くじら立てることはない。それよりお前はこの先に行くつもりか」
「俺達としてはさ、行かせたくないんだよ。わかるだろ?」
ルノがライフルを構えなおす。カルナシオンはそれを一瞥した後、吐き捨てるように答えた。
「あんた達には関係ないでしょう。俺はこの日のために制御機関も辞めたし、触れたくもない裏社会の情報にも手を付けた。止められる筋合いはない」
「別に止めはしないけどな。それ、俺達の役目じゃないし」
雪を踏みしめる音が後ろから聞こえて、カルナシオンは振り返る。似合わない防寒具に身を包んだ幼馴染が、いつものように凛と立っていた。
「シノ……」
「勝手にいなくなるから探したわ。とは言え、追いついてよかった」
「随分な裏技を使ったみたいだな」
「私は貴方を止めると決めていたの。そのためなら良い年して兄に泣きつくぐらい、何でもないわよ」
右手に持った魔導書を広げ、シノは一つの魔法陣に魔力を注ぎ込む。
「貴方、死ぬつもりなんだもの。行かせるわけにはいかないでしょ」
「俺と戦うつもりか? 勝ったことないくせに」
「それはお互い様でしょう。でも私は負けないわ」
白い世界に、巨大な魔法陣が浮かび上がる。氷で出来た槍がいくつも魔法陣の中から突き出して、一斉にその穂先をカルナシオンに向けた。
「貴方を止める」
「……やってみろ」
精霊瓶を固く握りしめたカルナシオンは、ただ一人の好敵手を睨み付ける。シノは決して途中で退くことはない。その膝を付かせるには、本気を出してもまだ足りないことをカルナシオンは嫌というほど知っていた。