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anithing+ /双子は推理する  作者: 淡島かりす
+GrimReaper[死神]
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9-17.虐殺事件の夜

 男はどこまでも果てしなく続くような雪原を眺めながら、数年前の流行歌を口ずさむ。

 腰を下ろした石には朽ち果てた布の残骸がまとわりついている。元は花嫁衣裳だったそれは、この石が墓標であることを示す唯一の印だった。


 雪深いことで知られるワナ高原には、一箇所だけ雪の殆ど積もらない場所がある。

 自然魔力と地形が奇跡的に組み合わさって出来たその場所を、遊牧民達は聖地として尊重し、そこに自分達の墓を建てた。

 男の今いるこの墓地こそが、その聖地だった。


「誰も彼も永遠を間違えたまま進んでいる」


 歌詞の一部を呟いて、男は愉快そうに笑う。

 黒い髪は烏の羽のように艶があり、肩につかないほどの位置で切り揃えている。ウェーブのかかった毛先がそれぞれ好きな方を向いて、男が動くたび微妙に位置を変える。

 男は髪の色から服まで、全てを黒で統一していた。白い雪原の中で、その姿はまさしく男の二つ名であるところの「死神」のようだった。


「折角、スイでもわかるような地図にしてあげたのから、早いところ来て欲しいものだね」


 男は自分の顔の左半分を覆う革のマスクに手を触れる。その下には五年前につけられた傷が疼いていた。


 ディード・パーシアスにとって生まれて初めての敗北の象徴は、実際にはさほど深い傷ではなかった。だがディードはそれを忘れないために、何度もその傷に爪を立てて深く抉り、わざとそこに残した。

 いつか同じ傷を、同じ場所に返すために。

 ディードは精悍な顔立ちを歪めて笑うと、墓石から腰を上げた。


「自分で殺した連中の墓の傍で戦うなんて、早々出来ることじゃない。感謝して欲しいぐらいだ」


 定住者もおらず、冬になれば国境軍の人間以外は訪れない雪原。その真っ白な世界に血が流れる様を想像して、ディードは喉を鳴らした。


「精々、必死になって探しに来たまえよ。私がお前を殺しやすいように。そしてその絶望が見やすいように」


 仮面の上から指先に力を入れて、傷の上をなぞる。その脳裏には五年前の光景が蘇っていた。




 金髪碧眼の若い男が呆然と立っている。遊牧民が作った小さな集落はたった十分程度で血に染まった。遊牧民の婚礼衣装は赤く濡れて、月の下で鮮やかに映える。

 いたるところから上がる悲鳴は弱弱しく、言葉にもならない。ただ苦しさを和らげようとするかのように、喉奥から空気を絞り出している。


「さて、これで君が軍を辞める必要はなくなったね」

「……なんで」

「君の才能は素晴らしい。遊牧民になり羊を追い回すのと、十三剣士となり華々しく活躍するのと、どちらが幸せかなんて一目瞭然だ。なのに断るだなんて意味がわからない」


 ディードは心底不思議で堪らなかった。天賦の才を捨てるばかりでなく、旧王族の名残すら感じさせる身で遊牧民と結婚しようとする心情が。

 恐らく若いので、様々な分別がついていないのだろう。そう考えたディードは、青年の代わりに人生の取捨選択を行った。言わばこれはディードの親切心によるものであり、悪意など一切なかった。


「だからって、何でこんなことするんだよ」


 魂が抜けたような平坦な口調で、スイが問う。

 ほんの数十分前まで、婚礼の儀式で皆が酒を飲み交わし、口々に花嫁と花婿を讃えていた。老いも若きも肩を組み、二人の未来を祝福して伝統的な角笛を吹き鳴らしていた。

 ディードはそんな彼らに剣を持って襲い掛かった。剣術の心得もなく酒を飲んでいる者ばかりで、碌に抵抗も出来ないまま彼らは凶刃の餌食となった。ディードはスイ以外の人間を、老人も子供も全て斬り臥せた。


「君のため、というと少々嘘っぽいかな。この薬の実験でもある」


 ディードは小さな瓶に入った粉末をスイに見せた。


「国境軍ではまだ流通していないのかな。『シスター』という薬物でね。うん、私が付けたわけじゃないよ。勝手に名前が付いてたのさ」


 瓶の蓋を外し、ディードは足元に転がっている老人の傍に屈みこむ。白髪を掴んで顔を引き上げると、鈍い声があがった。だが呻き声ばかりで抵抗する様子はない。

 抵抗しようにも、その両手足は無残に切り離されていた。


「これを飲むと攻撃性が上がり、理性の制御が緩くなる。これで色々な連中を操ってきたんだけどね、あまりに簡単に皆がこの薬の虜になるから、気になったのだよ」


 手足のない老人は虚ろな目でディードを見る。その目を指で貫き、あっさりと眼窩から抉り取った。


「それで実際に飲んでみた。これは確かに気分がいいな。どんなに非人道的なことを行っても、罪悪感や躊躇いが起こらない」


 地面で苦しむ人間は、全員同じ状態だった。人数分の四肢が転がっているが、誰が誰の物かもわからない。人里離れたこの場所から彼ら全員を病院に運ぶ術も、時間もない。万一助けたとしても、手足を失った遊牧民に未来があるとも思えなかった。


「さぁ、スイ・ディオスカ。君が彼らに引導を渡すと良い。このまま彼らが衰弱して死ぬまで放置するより、君の手で殺されたほうが幸運だろう。十三剣士になるための礎となれるのだから」


 携えていた予備の剣を、ディードはスイの足元に放り投げた。そこにあった誰かの足に衝突したが、ディードはそれを見ても全く心を動かされなかった。


「感謝は不要だよ。私はただ君の未来のために動いただけだ。同じ優れた才能を持つ者を失うのは惜しいからね」


 それまで呆然とディードを捕らえていた紺碧が動いて、足元の剣を見た。ゆっくりとした動きで剣を手に取り、鞘から刃を抜く。返り血塗れの顔は殆ど無表情だった。


「そんなことのために、皆を斬ったのか」

「若さゆえの過ち。君にとって何が良い選択だったかいずれわかる」

「そんな下らないことで、俺のマーナを斬ったのか」

「くだらないこと?」


 思わぬ批判にディードは眉を寄せた。感謝されこそすれ、罵倒されるなど想像すらしていないが故の反応だった。だがその行動が一瞬の隙を生んだ。

 剣を構えたスイが、地面を蹴って間合いへと飛び込む。血気迫る表情で、研ぎ澄まされた殺気を向ける様は、ディードが愛読する聖典の挿絵にある戦神のようだった。

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