8-5.剣士と元犯罪者
「被害者は床に倒れていて、カーペットは血まみれだった。被害者側の椅子とテーブルには返り血が飛んでいたが、テーブルの上には不自然に血痕が途切れた跡が確認された」
ミソギの説明をホースルは腕組みをして聞いていたが、ふと首を右に傾けた。
「椅子の返り血は、途切れた痕跡はなかったのか?」
「なかったね。というか途切れた血痕はテーブルの上しか確認されていない」
「となると犯行時に犯人と被害者は椅子に座っていなかったことになる」
「それに正面から刺したわけじゃなさそうだ。正面から刺したなら、当然返り血が犯人にかかって、血痕が途切れるからね」
「後ろから抱え込むようにして額を刺した。……引っかかるな」
「何がだい?」
ホースルはシガレットケースを取り出すと、煙草を一本口に咥えた。だが火はつけないまま、話を続ける。
「お前相手に刃物の使い方を説明するのは馬鹿らしい話だが、人間の頭蓋骨というものは人体の中でもかなり固い部分にあたる。そして他の部位と異なり骨のみで曲線を描いているため、刃物を突き立てるのは至難の業だ」
「あぁ、そうだね。でも思い切り振り下ろせば不可能じゃない」
「問題はどうしてそんな殺し方をしたかだ。後ろを取れたのなら、首を切り裂いたほうが楽だろう。私なら間違いなくそうする。お前だってそうするだろう」
「……まぁ、確かに」
「あと返り血を浴びたくないなら、縊死のほうが都合が良いだろう。取引をする時に殺害したいのだったら、水を勧めて毒殺という手段もある。なぜわざわざ頭蓋骨を断つという方法を選んだのかがわからない」
ミソギはそれに同意を返した。
頭蓋骨を突き刺す手段は、確実性があるとはお世辞にも言えない。戦争中に敵を殺すのとはわけが違う。
睡眠薬などで眠らしてから犯行に及べば、少しは容易かもしれないが、それこそ首を絞めたほうが手間もかからない。
「三階から誰の目にもつかずに外に出る方法はないのかい?」
「窓から飛び降りて目にも止まらぬ速さで駆け抜けない限りは不可能だ。出入り口は二階に繋がる階段のみ。しかも一階では多くの商人が露店を広げている。そもそも背面から殺害したとしても、手などに血は浴びるだろうな」
「手袋をしていた、とか」
「……手袋をして商談に臨む者を信用するのは無理だ。軍人ではないのだから」
「あぁ、それもそうだね」
帽子や手袋をして客人に応対することは失礼に当たる。
親しい人間や路上で会ったのなら兎に角、これから何かしらの商談をしようとする相手には適さない。高級な壺や骨董品を扱うのなら話は別だが、今日はそのような物を持ち込むような場でもない。
「わからないな。殺されるほど相手を憎んでいたとしても、そんな殺し方をする理由がない。例えば何らかの儀式とか宗教上の理由とかならわかるけど……。あ、そうだ」
ミソギは気になっていたことをホースルに尋ねた。
「被害者の財布の青いリボンのことなんだけど」
「青いリボン。あぁ、彼の験担ぎか」
「そうそう。どういう意味なんだい?初めて聞いたよ、そんなお呪い」
「商売というのはギャンブルと一緒だ。だから本人たちにしかわからない験担ぎをする者も多い。契約をする時には「金を出す」だろう。これぞという契約があるまでは、あのリボンを財布から外さないようにしていたんだ」
「それ、皆知ってるのかい?」
「彼と話をしたことがある者なら知っているだろうな。自分が納得出来る取引であると判断した時だけリボンを外していたから」
ホースルはそこで思い出したように尋ね返した。
「彼は財布を何処に入れていた?」
「床に転がってたよ。でも鞄とかは持っていなかったし、上着のポケットとかに入れていたのが、倒れた拍子に落ちたんじゃないかな」
「シガレットケースと財布と精霊瓶。……他には何も持っていなかったか?」
「何も。床に何か落ちていないか、大剣と二人で探してみたけど何も見つからなかったよ」