8-1.顔を裂かれた死体
「こりゃ酷ぇな」
「眉間をナイフで突き刺して、そのまま力任せに喉まで切り裂いてる。顔が滅茶苦茶だ」
ミソギ・クレキは血まみれで事切れている男の顔を覗き込んで、そう言った。
床に仰向けになって倒れた男は、肌の状態から見て五十代か六十代と思われたが、顔が破損しているために、はっきりとしたことは言えない。
開いたままの両手に、顔から落ちたのか肉片がついていた。部屋の中には血の匂いが充満して、嗅覚を直接攻撃してくる。
「此処が展示会の商談スペースでよかったよ。こんなご面相のままで野山に打ち捨てられた日には、あっという間に野獣に食い荒らされてただろうからね」
職人街とも言われる中央区第二地区。
様々な分野の職人や専門店が立ち並ぶことで有名であるが、販売職や製造職以外の人間は、あまり近寄らない。
地区の中心には「自由市場」と呼ばれる三階建ての建物があり、そこの一階では店舗を持たぬ商売人たちが、絨毯一枚を商売スペースとしてしのぎを削る。
二階は四方の壁だけで形成された広い空間で、ある特定の商売をターゲットとして新商品の展示会を行ったり、また逆に異なる商売の交流会が開かれたりする。
商売人ばかりが集まる都合上、新しい取引が発生したり、あるいは新規顧客の獲得に向けた話し合いが行われることがある。その場合は三階にある商談スペースを利用することになっていたが、ミソギ達を案内した管理人曰く、今日のような展示会では滅多に使われないということだった。
「にしても沢山あるなぁ」
カレード・ラミオンは三階を見回して感嘆符を零す。
二階から三階には南側の階段のみが出入り口となっており、東側と西側にそれぞれ五部屋ずつ商談用の個室が並んでいる。
互いの距離は離れており、その間にもテーブルや椅子が置かれていた。
「そんなにショーダンってやるもんなのか?」
「え、何? ……あぁ、商談ね。流石に此処を全部使うことはないだろうけど、中途半端に使うよりは全部商談用にしたほうが、他へのハッタリも効くんじゃないの」
「よくわからん」
「お前には一生無縁だから考えなくていいよ」
二人がいるのは西側の一番奥にある商談用の個室であり、折り畳み式のテーブルが一脚、同じく折り畳み式の椅子が二脚置いてあった。倒れている男のすぐ傍にある椅子は返り血まみれであるが、もう一つは殆ど血がついていない。
椅子の下には被害者の物である精霊瓶も落ちている。血で汚れてしまって表面に書いてある筈の名前は読み取れない。汚れの隙間から、黄色い兎が不安そうに外を見ていた。
「テーブルの上で不自然に返り血が途切れている。商談用の契約書でも置いてあったのかな? 犯人が持ち去ったと考えるのが自然だね」
「犯人は商売人ってことか」
「問題はそれが誰かってことだけどね。何しろ此処は商人だらけだ」
見回りの最中に事件に巻き込まれた二人は、一通りの検分を終えていた。だが、軍として出来ることは現場の保持や人の出入りの制限ぐらいで、専門的な分野までは手を出せない。
そもそも魔法部隊であれば兎に角、魔法など一切使えない剣士、しかも片方が移民で片方が文字も読めないとなると、出来ることは限られていた。
「刑務部が来るまでに、身元だけ洗っておこうかな。えーっと」
ミソギは開け放たれたドアの外を見る。
怖いもの見たさで集まっている野次馬に向かって、声を張り上げた。
「この人、誰だかご存じの方は? 持ち物は金色のシガレットケース、青いリボンが巻かれた財布、あと首にはロケットペンダント。精霊瓶には黄色い兎が入っています」
特徴を言うと、何人かが反応を示した。
「『パルフェスト』さんじゃないか?」
「パルフェストという方ですか?」
「いや、店の名前さ。そこの店主だよ。いつも験担ぎに青いリボンを財布に巻き付けてるんだ」
日焼けした背の高い男の証言に続き、別の野次馬も口を開く。
「ちょっと血の気が多い人でね。今日は『ヒスカ』と何か言い争ってたよ」
「ヒスカ?」
ミソギはその店の名前に眉を寄せた。
「魔法具ショップの『ヒスカ』かい?」
「そうだよ。あの髪の色は珍しいから間違いないね」
「カレード、探してこい」
「え、誰?」
「魔法具ショップ『ヒスカ』。お前も俺もよく知ってる、双子ちゃんの父親の店だよ」