7-8.靴屋の娘の証言
「えーっと……」
リコリーはその子供を見て首を傾げた。
「幻獣を見たフレアって、君のこと?」
「ゲンジューじゃないよ、ワンちゃん!」
幼い女児は頬を膨らませて抗議する。大人はわかっていない、と言いたげだった。
「その子は靴屋の子だな」
「駅前広場の手前にある店ですか?」
リコリーが確認すると、イザングルが頷いた。
「ちょっと生意気だが、嘘を吐く子じゃないから、話を聞いてやれ。悪いが俺は店に戻る」
「はい。マスターによろしくお伝えください」
老人が去るのを見送ったリコリーは、質問役をアリトラに委ねることにして、一歩引いた場所に立つ。
一方のアリトラは、その子の口の周りをナプキンで丁寧に拭ってやると、手近にあったゼリーを一つ与えて、極めて優しく尋ねた。
「ワンちゃんの話を聞かせて?」
「いいよ。でも嘘って言わない? パパとママとジョルシュは嘘だって言うの」
「言わない、言わない。もし約束を破ったら、このお兄ちゃんが、何でも好きなものを買ってあげる」
「なんで僕?」
「アタシよりお金あるから。で、フレアちゃんは何処でワンちゃん見たの?」
アリトラが信用に足る人間だと判断したのか、女児は得意げになって話し始めた。
「昨日の夜にね、おトイレに行きたくて目が覚めたの。フレア、一人で行けるんだよ。すごいでしょ」
「凄いねぇ。その時、お外見たの?」
「うん! 雪はまだ降ってなくてね、そこを白いワンちゃんが歩いてたの。足音が聞こえたから気付いたんだ。フレアね、とっても耳がいいんだよ。ピアノだって上手なんだから」
「ピアノが弾けるなんて、頭がいいんだね。じゃあ、どっちに向かって歩いてたか覚えてる?」
「駅の方だよ。ワンちゃん、途中で立ち止まったと思ったら、おでこのところがピカッて光ったの。そしたら雪が降ってきたんだよ!」
興奮して話す女児に、アリトラは優しい口調で質問を重ねる。
「その時に飾りが落ちたのかな?」
「知らない。フレア、おトイレ行ってる間にワンちゃんいなくなっちゃったから」
「飾りが落ちたかは見てないの?」
女児が小さく頷く。アリトラの後ろで黙って聞いていたリコリーが、ふと口を挟んだ。
「じゃあどうして犬の仕業だと思ったの?」
聞かれた途端に女児が泣きそうな顔をしたのを見て、リコリーは少し狼狽えた。リコリーは動物には好かれるが、人間の子供には怖がられる。
単純に言えば目つきが悪すぎて睨んでいるように見えてしまうせいだが、子供好きな本人としては一番の悩みでもあった。
「ア、アリトラ」
「仕方ないなぁ。ねぇねぇ、どうしてワンちゃんが灯篭を落としたと思ったの? アタシに教えてよ」
質問者がアリトラに戻ると、女児はすぐに表情を戻した。
「だって、あんなに大きなワンちゃんいたら、怖くて誰も外に出れないもん。だからワンちゃんがやったんだよ」
その時、女児の母親らしき女性が名前を呼んだので、女児はそのまま走っていなくなってしまった。
アリトラは「ふぅん」と小さく呻きながら首を傾げる。
「どう思う、リコリー?」
「……大体、時間は絞り込めたけど、何を意味するかはわからない」
「そうだね。まずイールは二時までは雪は降っていなかったし、飾りも落ちていなかったと言った。カンティネスのおじい様は四時には雪が降っていたと言った」
「あの子は幻獣が雪を降らせたと言ったから、二時から四時の間ということになる。でも、そうするとおかしいね」
リコリーはまだ残っている鶏肉をフォークで突き刺し、一口で半分ほどを噛み切った。十分に咀嚼してから飲み込んでから、言葉を続ける。
「あの子は幻獣は駅の方に向かって歩いていたと言った。でもその後に幻獣を見たおじい様も、駅の方に歩いて行ったと証言している。つまり幻獣は駅の方に向かっていたのに、一度制御機関の方に引き返したことになるね」
「往復しないといけない理由があったか、それともあの子の見間違いか」
「アリトラ、違うよ。この場合に見間違いである可能性は捨てて良い」
「どうして?」
「靴屋は商店街の入り口にある。あの年頃の子で、右と左を間違えることはあるかもしれないけど、商店街に入っていくのか、駅に行くのかは間違えないだろう。ましてあの子ははっきりと「駅の方に歩いていた」と言ったんだし」
アリトラは「そっか」と言いながら、オレンジジュースの入ったグラスを手に取る。
子供達は既に食べるのに飽きてしまって、道路で大騒ぎをしていた。
「となると気になるのは、雪を降らせた……という証言。幻獣であれば不可能ではないと思うけど、どうしてそんなことをしたのか」
「そうだね。雪が降らない日であればまだしも、昨日は雪の予報が出ていたんだし、わざわざ降らせることはなかったはずだ」
「……リコリー、アタシもう一つ気になることがある」
「何?」
「おじい様の「風が強かった」という証言」
イーリィは物音一つしない静かな夜だと言っていた。フレアは「ワンちゃん」の足音が聞こえたと言っていたので、外が静かであったことがわかる。
「それに四時ごろなら、まだ雪はあまり積もっていなかったはず。風が強く吹いていたなら、屋根に雪が積もっていた、というのは少し変」
「じゃあ、おじい様の聞いた風の音っていうのは?」
アリトラは少し考え込む。そして一分ほどの沈黙の後で、再び口を開いた。
「やっぱり、飾りを落としたのは幻獣さんなのかもね」