6-5.リム・ライラック
「遂に怪我人まで出してしまうとは……。これでは暫く活動が出来ないな」
ナズハルトが深い溜息をつきながら言った台詞に、リコリーは少し眉をひそめた。まるでアリトラの怪我よりも、部活動の存続のほうが大事であるかのような言葉が気に障ったためだった。
しかし、アリトラ本人は部活動のほうが重要らしく、不満そうな声を出す。
「大丈夫ですよ。右手だけだし、大した傷じゃないし」
「しかし、セルバドス君が怪我をしたなんて、ご家族に知られたら」
「黙ってればわからないって」
「それは、無理ですね」
ナズハルトの後ろから、鈴を揺らすような声が割り込んだ。
振り向いたナズハルトに釣られるように、双子も首を伸ばして発言者を見やる。
紫色の髪と瞳をした軍服姿の若い男が、演習場の扉を背にして立っていた。年の頃はまだ二十歳か、あるいはそれを一、二年越した程度に見えた。
「隊長に報告しないわけにはいきません。ナズハルト少尉だって、隠したなんて思われたくないでしょう」
「調査は終わったのか?」
「えぇ、一通り。硝子を除去するのに剣を退かしたいのですが、指示を頂けますか」
「わかった」
ナズハルトは短く返事をして、建物の中へ入る。若い男は双子を見ると、口元に微かな笑みを浮かべた。
「セルバドス家って、何処にでもいるんだね。地位は低かったくせにさ」
どこか嫌味っぽい口調に、しかし双子は反応しそこねていた。二対の目は、男の顔を凝視していた。
卵型の小さな輪郭に、アーモンド型の大きな目。長い睫毛は柔らかで、それが顔に淡い影を落としているせいで、余計に目の大きさを強調している。通った鼻筋の下にある口元は、男に対して適用すべき言葉としては相応しくないかもしれないが、「可憐」そのものだった。
幻想的な絵画から抜け出してきたと言われたほうが、まだ受け入れられるほどに、その男の風貌は際立っていた。
「どうしたの、きょとんとして。……あ、そっか。自己紹介してなかったね。フィン国軍は銃器隊に所属する、リム・ライラック。どうぞ、よろしく」
「ライラック?」
リコリーはその名前に我に返る。
「もしかして、元侯爵の……」
「ふぅん。ちゃんとそのあたりの教養はあるのか。感心だね。まぁ俺自身はただの軍人だ。従って軍人として質問をしたいことがあるんだけど、良いかな?」
双子は揃って頷いた。
フィンでは事件が起きた場合は、三大機関である「軍隊」「制御機関」「研究機関」が共同で調査を行うことになっている。今回は、事件の起こった剣術部の顧問が軍人だったことで、軍が調査権を持っていた。
「剣術部は最近嫌がらせを受けていたという話だけど、人に危害が加えられたのは今回が初めてという認識で良いかな?」
「そうです。それまでは、朝来たら変な貼紙があったり、鳥の死体が置いてあったりしただけでした」
アリトラが答えると、リムは何度か頷いた。
「怪我をしたのは君だけなんだよね。えーっと……」
「アリトラ」
「アリトラちゃんだけ、と。他の部員は?」
馴れ馴れしい呼び方だったが、絶世の美貌に言われれば悪い気はしない。アリトラは男顔負けの剣術の才能はあるが、中身は正統に「女の子」だった。
「嫌がらせのこともあって、今日から暫く活動中止になって。だから、家で自主練しようと思って剣を取りに来たんです」
「それを知っていたのは?」
「ナズハルト教官だけだと思う」
「此処にはお兄さんと来たのかな?」
「一緒に帰るつもりだったから。アタシが中にいる時、リコリーは外にいた」
リムはそれを聞いて、今度はリコリーに質問を向ける。リコリーは自分が見たことを説明してから、アリトラが言っていた不自然な硝子の状態のことを付け加えた。
「なので、硝子の割れ方が不自然じゃないかと、アリトラが言っていまして」
「それは俺も気付いたよ。銃器隊なんていると、窓硝子を割る訓練とかもするからね。あそこまで粉々になった硝子が、殆ど飛び散らないなんて不自然だ」
「ライラック軍曹はどう思われますか?」
「……アリトラちゃんの証言を聞く限り、窓枠の内側に硝子があったことは間違いない。そしてそれが音を立てて割れた……ように見えたのであれば、考えられるのは」
「崩れ落ちた」
アリトラが口を挟む。リムは驚いたような顔をしたが、すぐに笑みを浮かべ直した。




