6-1.中央区学院の日常
フィン民主国は中央と東西南北の五区に分かれている。それぞれの区には国立学院が存在し、各区に暮らす子供達は六歳から十七歳までの間、学院に通うことが義務付けられている。
中央区学院は、第五地区の半分を占めるほどの巨大な敷地を持ち、その門に通じる道路は、朝と夕方で大渋滞を起こすほとだった。
魔法使いが大部分を占めるこの国では、子供達は当初は机を並べて魔法について勉強するが、大きくなるとそれぞれの特性に従ってクラスが分かれていく。
中央区には、国の中心機関が多く集まっている影響もあって、魔法学に関するレベルは非常に高く、地方に比べると品行方正な生徒が多い。
だが、勿論素行の悪い生徒も存在する。
「今、俺のこと睨んだだろ」
広い敷地の中にいくつも存在する校舎のうちの一つ、その影で通りすがりの生徒に因縁をつけたのも、まさにその素行の悪い生徒の一人だった。
「に、睨んでないです」
怯えながらも否定する少年は、平均より小柄な体に学院指定のローブを羽織っている。それは不良生徒も同じであるが、袖口の刺繍が互いに異なる。
不良の方は赤と緑の二本ライン。十七歳の体術専攻クラスの証である。
一方の小柄な少年は青と白と黄色の三本ライン。十五歳の魔法専攻特科クラスを示している。特科クラスには魔法が得意なことは無論のこと、学業が優秀な者しか入れない。その証拠として、少年のローブのフードには、成績優秀者に与えられる刺繍がいくつも縫い込まれていた。
「じゃあなんでこっち見たんだよ」
「な、なんとなく……。曲がり角にいたから」
「いたら悪いのか!?」
「ひぃっ!」
体術専攻で体の大きい上級生相手に、少年は怯えて視線を泳がせる。
しかし校舎の裏側に近い場所で、かつ昼休みともあって周囲に人はいない。秋も終盤となった裏庭にあるのは、大量の枯葉ばかりである。
防御するかのように体の前で抱き込んだ分厚い学術書は、しかし相手に肩を思い切り小突かれた時に、あっさり手から離れた。
地面に倒れ込んだ少年を、不良は馬鹿にしたように鼻で笑う。
「人の事を睨んだりするからだ」
「だから、目つきが悪いのは生まれつきで……」
「言い訳するんじゃねぇ!」
不良が拳を振り上げる。
少年が咄嗟に顔を庇おうとした時、それは起きた。一直線に二人に向かって来る足音。軽やかだが迷いはなく速い。
「暴力……反っ対ぃぃいいいっ!」
そんな宣言が聞こえたかと思うと、不良は真横に吹き飛んだ。中途半端に拳を握っていたために、受け身を取る暇もない。
顔に飛び蹴りを食らったのだと、不良自身が理解したのは、地面に倒れて数秒後のことだった。
「暴力は駄目ー!」
新たに現れたのは、この国では珍しい青い髪を、ショートヘアにした少女だった。
袖口の刺繍は青と白。フードには剣の刺繍が一つだけ入っている。
パンの入った紙袋を体の前で抱えており、それが蹴りの遠因となっていた。
「アリトラのも暴力じゃないかな……」
「違う。アタシのはただの抗議」
リコリー・セルバドスは、双子の妹であるアリトラの行動に疑問を感じたものの、すぐに否定されてしまった。
不良は、自分を蹴り飛ばしたのが女であることがわかると、蹴られた顔を摩りながら立ち上がり、低い声を出す。
「なんだてめぇ」
「暴力を止めた善良な生徒」
「関係ない奴は引っ込んでろ!」
「関係は大アリだし、怒鳴るか殴るかしか能のない阿呆の言うことを聞く趣味はない」
怖いもの知らずのアリトラは、眉一つ動かさずに言い放つ。
傍で聞いているリコリーは気が気ではなかった。
「女だからって調子に乗ってると痛い目にあうぞ」
「へぇ、予言出来るんだ。すっごーい」
これ以上ない平坦な口調に、不良は青筋を額に浮かばせた。
リコリーを殴ろうとした時と同じフォームで、アリトラの間合いに入り、容赦なく顔面を狙う。
だがアリトラは、左に跳躍して拳を避けると、相手の右足の脛を力一杯蹴り上げた。
鈍い声を上げて、不良がその場に蹲る。アリトラはそれを冷たい目で見下ろしてから、呆れたように言った。
「アタシの片割れ苛めないでよね。いちいち面倒くさいんだから」
そして、リコリーの方を向き直る。
「リコリーが遅いから、チキンサンド買ってきちゃったよ。早く行こう」
「あ、うん」
リコリーは警戒するように不良を何度か振り返りながら、アリトラに続いてその場を離れた。
十分に距離が出来たところで、大きく溜息をつく。
「あんまり危険なことしないでよ」
「だってリコリー、あのままだったら殴られてた。流石に顔面を殴られるのは可哀想だし、母ちゃんが心配する」
「だからって、お前が助ける必要はないんだけど……」
「じゃあ自分で魔法を使ってどうにかしたら?」
リコリーはその言葉に首を横に振った。
「嫌だ。万一問題が起きた場合に、魔法を使って喧嘩したなんて露見したら将来が危うい」
「そういうところはしっかりしてるよね」
「ところで、今日は何処でご飯食べる?」
「第七演習場は?」
「いいね」