第22話 銀の鼠、夜の終わり(黒羽)
「私ともあろうものが! グレドなどという輩に長年騙され! 御子を罠までお連れしてしまい! あげく、奴らの自滅の余波で崩壊してしまうとは! もう、このまま死んでしまおうかと思いましたよ! はああああっ……!」
琥珀色の透明な人形……地霊ルズラヴェルムは、やけにはきはきした口調で嘆いている。
「マーユ、大きくなりましたね! リーカは本当によくがんばりました! ですが少し栄養が足りていませんよ! ダニス・ドナテラ、もう少し身体を鍛えなさい。なんですその腹は! 大公コレリアル、このたびの差配ご苦労でしたね! 新都市ヴェルメドゥについても承知していますよ! 後日じっくり打ち合わせをいたしましょう! 私が岩人たちをきっちりまとめますからね!」
「う、うむ、お初にお目にかかる、地霊どの。復活まことにめでたい、お元気そうでなによりだな……」コレリアルが完全に気圧された口調で答える。
「ええ、ええ。マードゥ殿、長年わが主を守る封印を守護してくださったこと、あだやおろそかには致しません。これよりは親方様、御子殿につづき、貴方にも主筋としてお仕えいたしますよ! いまはこれでいったん失礼し、親方様とともにザグ=アインに恵みを届けに参りますゆえ後日また。あ、不埒者たちは連れてまいりますね!」
「い、いや、主筋などと……地霊殿? 何をしておるのじゃ?」マードゥがいぶかしげな声になる。
「犯罪者を捕まえておりますがなにか? 大丈夫、商会関係者は大公にお任せいたしますよ!」
「うおおおおおおおっ、なんだこれは!」
「グレアム様っ!」
ジラーとグレアムの側近の声がする。手の隙間からのぞくと、ジラー、グレアム、その側近の3人は、もう顔のあたりまで岩に閉じ込められていた。
「ではこの3人はもらって参りますよ。少々懲らしめねばなりませんので」
地霊がひょい、と手を上げると、三人の姿がしゅん! とぶれて消えた。どこかに収納したのだろう。まことにおそるべき力、おそるべき術だった。
「ちょ、ちょっと待った! 弟のジラーは置いていってくれないか!?」コレリアルが慌てた声を出す。
「結果人形だったとはいえ、岩人を拷問した男ですよ? ……はあ、まあしょうがないですね。先手は大公に譲りましょう」
ジラーがヒュッという音とともに元の場所に現れた。岩の拘束は消えているが、汗をだらだらとかいて荒い息をついている。
「ジラーよ、あとで地霊殿と岩人たちに誠心誠意謝るのだな。でなければどんな目に合うか……」
コレリアルの言葉にせわしなくうなずいているが、目の焦点は合っていなかった。
「さて、もう夜も更けたの。ヴェイリゥの力が山々を潤し、代行者たる地霊殿が復活するとなれば、ザグ=アインはようやく、再び平穏な時代を迎えられるじゃろう」赤毛の少年マードゥが、そう言いながら一同を見渡した。
「また今夜、この国とザグ=アインの様々な結び目がほどけ、いくつかの真実が露わにされた。それをおぬしらは、それぞれの立場で目にしたのじゃ。二大商会の者たちよ、おぬしらの罪は暴かれた。もはやマードゥ国はおぬしらを庇護せぬ。あとはゆるやかに滅びるか生まれ変わるか、おぬしら自身で決めるがよい」
ルビンティン、テイラー、ロレンツ、メリネ。彼らはまだ立ち上がれず、座ったままその言葉を聞いている。
「地霊殿とリーカは、大魔ヴェイリゥとともにザグ=アインに帰ることになろう。新しき街でまた会えることを楽しみにしておる」
ルズラヴェルムは深々とお辞儀をする。
「儂は数日後、新しい街を作るため西へ旅立つ。マトゥラスはコレリアルとルティスに任せるが、ガーサント、お前はついてくるがいい。やがておまえが管理に参加することになる場所じゃ」
「は、はい!」ガーサントは嬉しそうな声ではきはきと返事をした。
「ドナテラ親子も、儂とともに来てはどうじゃ。途中でレドナドルに寄る予定にしておるしの」
「そうですね、そうさせてください。マーユ、一度レドナドルに帰ろう」とダニスが答える。
「私はすぐには行けぬが、近日中に魔術研をやめてヴェルメドゥに移るつもりだ! 歴史が生まれる場所で研究ができる、それはなにものにもかえがたいことだからね! マードゥ公とも改めてじっくり話をしよう!」ミダフスがうきうきした口調で宣言した。
「……お嬢? どうした?」ジュールが黙っているマーユに気づき、その顔をのぞきこむ。
「……私がどうするか、そんな話は……今はいい」マーユは、きっと顔をあげ一同を見渡した。
「コボネは? コボネはどこ? 私がここにいるのも、春からいろんなことしてきたのも、全部、コボネに会うためだよ。ルズラさん、始原樹さん、リーカ、コボネのこと知ってるんでしょ。コボネに会わせて!」
マーユの叫びのあと、場は静まり返った。
(よく言った、偉いよ、そーだそーだ……!)と、アイララがひそかに小声で同調している。
「……正直に言おうかの。マーユ、モルタがこの場に出てこられぬのは……ここに出てくる身体を持たぬからじゃ。ザグ=アインで粉々になったというあやつは、いま、身体なき存在なのじゃ」
「えっ……?」想像もしなかった答えなのだろう、マーユが言葉につまる。
「いえ、御子殿ほどの存在、身体を作り宿ろうとすれば、それは可能なはずなのです。ですが……ご本人が、それを拒否されているのですよ」ルズラヴェルムが、歯切れの悪い声を出した。
「ど、どうして……?」
言ったのはマーユではなく、アイララだった。心底衝撃を受けた様子で、泣きそうな声を出す。
「マーユだけじゃないよ。ボクだって、君に会うためここまで来て走り回ってたんだ。ねえ君、出てきてくれよ……。あの一晩だけだなんて、ひどいじゃないか……!」
「御子。私モ。御子が戻ってくルと思うかラ、頑張っタ。このまま溶けていなくならないデ。お願い、お願イ……!」リーカも大声を出す。
「モルタよ。こやつらの願いを無下にするか? おぬしはそのようなことができる性格ではあるまいよ。さあ、角でも尻尾でも手でも足でもよい、なにかしら作って外に出せ」マードゥが、足元の地面に向かって笑いながら言った。
ぴょこん、と何かが地面から飛び出てきた。角だろうか尻尾だろうか、どちらか判然としない細長い石の突起物。
「もうちょっとじゃ。もうちょっと長く出せ」マードゥが注文をつける。湾曲する石の細い突起は、ゆっくりとマーユの膝ぐらいまで伸びた。
「そら! モルタの帰還を願うものたちよ、尻尾を掴んで引っ張り出せ!」
マードゥが叫んだ。
「わかった!」マーユが叫び、尻尾に飛びつく。続いてアイララとリーカも駆け寄り、ジュールも「よっしゃ!」といいつつ参加する。
ルズラヴェルムは尻尾の真上に移動し「みんな、全力ですよ!」「御子、どうか抵抗なさらず!」と声をかけている。その光景をミダフスはらんらんとした目で、マードゥは愉快そうに、そのほかの者たちは呆れながら見ていた。
ずるり、ずるり、と少しずつ尻尾が引き上げられお尻が地上に出てくる。それは銀色の石のような肌を持つ、中型犬ぐらいの身体だった。丸々とした尻、短い足。ばたばたとその短い足で空中を掻きながら、ずる、ずる、と引っ張りだされていく。
やがて前足が見え、小さな目と尖った鼻が見え……現れたのは、逆さ吊りにされた超大型の鼠だった。
「ハハハハ、やはりその姿で現れたか! 懐かしいのう、<鼠のモルタ>!」マードゥが叫ぶ。
「みんなよくやりましたよ! さあ、手を放して!」ルズラヴェルムが手を叩きながら号令をかけた。
尻尾や後ろ足を掴んでいた手がいっせいに離れ、鼠はべちゃ、と地面に落ちた。待望されていたのに酷い扱いである。
鼠はのっそり起き上がると、ぷるぷる、と頭を振り、ぱちりと目を開くときょとんと小首をかしげた。
「コボネえ!」マーユはその首すじに、飛び込むようにして抱きついてゆく。リーカは珍しい満面の笑顔で、しゃがみこんで鼠の頭を撫でた。ルズラヴェルムはその頭上で「ははははは!」となぜか笑っている。
そして……アイララは、私を全力で押さえつけていた。
元骨の子、コボネ、モルタ、御子……いまだ名前定まらぬあの鼠の目が開いた瞬間、そしてこちらをちらりと目に映した瞬間、私の記憶は爆発的に蘇った。
私は思い出したのだ。ほぼ全てを。
最初の七のひとり、大精霊長こと<誇大のグレド>。彼の能力は、本来存在しない設定や知識を周囲に刷り込むことだった。私もルズラも彼に騙されて使役され、そして、彼が自滅し刷り込まれた知識が消え去るときに、その周辺の記憶もまとめて消されてしまったのだ。
いまようやく、私は思い出した。ザグ=アインの山頂、巨大な鍋に浮かぶ、骨の子の薄笑いを。
……怖い。
あれが本当に邪悪な笑いであったかどうか、いまの私にはもうわからない。いや、おそらく違うのだろう。
……だが、それでも私は、あの存在が怖い。彼が隠している、絶望と呪詛の深さが怖い。
鼠の姿で現れてくれてよかった。もし、あの骸骨の姿であれば、私はもっと激しく暴れて逃げ去っていただろう。
そして、私の記憶のもっとも奥に、かすれながら存在している原初の記憶。
それを私は、おそらく何百年かぶりに取り戻した。
私を産んだものの記憶を。
「うん、そうだよ。君は、ボクと同族……。水の眷属なんだ。だから、こうして記憶を読み取れるのさ」
アイララがささやく。
「ボクらのお母さんは、ホルウォートの大魔。<水の獣>なのさ……」
アイララは、上空をゆうゆうと泳ぐヴェイリゥを仰ぎ見る。そうだ、私たちを産んだのは、あれと同等の存在なのだ。
私がグレドに騙される前、ホルウォートをさまよう旅に出たのも、私たちの母のためだった。
「そうだね……。それは、ボクの旅の理由でもある。行方知れずなんだ、ボクらのお母さんは」
アイララは、マーユに抱きつかれて身動きもできずじっと座っている、銀色の鼠を見て微笑んだ。
「でもほら、あそこにいるよ。ボクたちの願いを叶えてくれるかもしれない子が。ボクらの希望が」
このようにして、マトゥラス大公宮の長い夜は終わった。
名前いまだ定まらぬ元骨の子は、6年の空白ののち、ふたたびホルウォートに現れたのだ。
この章の終わり方はえらく難しくて、ご都合主義が過ぎたり駆け足だったり、いろいろ不備があるなーと思いつつ、とりあえず4章完結しました。読んでいただいてありがとうございました。
第5章「地に溶けるもの(仮)」は、主人公サイドから見た6年間を描く予定で、わりと短い章になるかと思います。が、まだ書き溜めゼロなので投稿予定は未定です。
また、初期構想とは違い主人公があんまり煮込まれないうえ、身体チェンジまでしてしまったので、作品タイトルも変える予定です。タイトルセンスがなくてまだ何も思いつけてませんが……。
最後に、区切りなので一応。感想、評価、ブクマ、なんでもいいのでなにかしら読んだ足跡をつけていっていただけると、たいへんうれしいです。どマイナーなので反応ひとつひとつが宝石のように貴重でして……。なにとぞよろしくお願いいたします。