第20話 その夜全てが明かされる(下)(黒羽)
「ううっ……」
この場にいる者の半数以上(愛娘含む)から失望の反応とともに迎えられてしまったダニスは、詰まったような声をあげた。
だがすぐに、泣き笑いの表情になってマーユのほうへ早足で歩み寄っていく。
「マーユ」
「パパ……!」マーユも、一瞬前にがっかりしていたことを忘れたかのように駆け寄った。
「すまなかった、マーユ。危ない目にあって……私が愚かだったばかりに……」
「ううん……。私が、コボネを探したくて無茶したの。私こそごめんなさい」
親子は手を取り合って少し涙ぐんでいる。
「私は……何もわかってなかった。ただ、おまえにおとなしく穏やかな生活をさせれば、物事はぜんぶ丸くおさまるだろうと……。馬鹿だった、浅はかだったよ」
「パパ……どうしてマトゥラスに?」
「3日ほど前、コボネくんが……例の石板で教えにきてくれたんだ。おまえが拉致され、救出されたと。すぐに馬車でマトゥラスに来て、真相と始祖様の意志を知り、今夜を待ってたんだよ」
「うむ」コレリアルがうなずき、話を引き取る。ダニスはマーユの隣に立ち、一同に軽く頭を下げた。一方テイラーはロレンツの側近の手によってようやく起こされ、よろよろと立ち上がろうとしている。
「ドナテラ氏がここにいるのは、むろん、二大商会の最大の被害者のひとりである彼には、この場に立ち会いことの成り行きを知る権利があると考えてのことだ。だがそれだけではないのだ。モルタ殿と始祖様の、新たな計画の要となる人物だからでもある」
「計画……? このタイミングで?」誰かは判然としないが、つぶやく声がした。
<<そうじゃあ。目覚めて間もないが、儂はすでに決意しておる。必ず、この計画を実現させるつもりじゃ。>>
一同はみな、じっと続きの言葉を待っている。
<<儂は新たな街を作る。ザグ=アインと、マードゥ混成国のちょうどあいだになあ! 儂もそこへ移るつもりじゃあ!>>
「な、なんだと……! つまり、遷都するというのか!」グレアムが驚愕の声をあげた。
<<レドナドルのさらに西、ザグ=アインの麓のその街は、ヴェルメドゥと呼ばれ、岩人とマードゥの民の共存する街となるじゃろう! そして<円環>も、新たな形でそこに移されるのじゃあ。>>
「で、ですが岩人たちは、大精霊長と地霊の消滅以降、大混乱におちいっていると……。おそれながら、無理があるのでは?」ルビンティンが言う。
<<心配ない。今夜、全てが解決するからじゃあ。もう少しじゃ、その時を待つがよい。>>
「うむ。そしてここに来てもらったダニス氏には、新しい街、いや、新しい首都ヴェルメドゥの、商業長官をお願いする予定だ」
「な、なんですとっ!」テイラーが大声を出した。
「大きな転機ゆえ、悩んでいたようだがな。……決心がついたのではないかな、ダニス?」
「はい、非才の身ながら力を尽くします。我が愛するマードゥと我が街、我が家族が、にどと二大商会に食い荒らされないように」
ダニスは、テイラーとロレンツのほうを、錐のような視線で睨みつけた。ロレンツにもテイラーにも、もはや以前のような平然とした仮面は残っていなかった。口をへの字に曲げて、斜め下に目をそらす。
「言うまでもありませんが私が管轄している限り、二大商会の人もモノも金も、新しい街にはいっさい入れさせない。たとえ二次取引であろうと、完全に閉め出すつもりです。遠からず、レドナドルもそれにならうでしょう。すぐ近くに首都ができ、そこに始祖様がいらして、マトゥラスと縁を断つというご意思を明らかにするのですからね。数十年のうちにレドナドルは自然に、ヴェルメドゥの衛星都市となっていくでしょう」
「そ、そんな……! それではマトゥラスは……!」ルビンティンが悲鳴のような声をあげる。
<<始原樹の加護も消えるゆえ、人も資源も西側に流出してゆく。西側に入れぬおまえたち二大商会は、自然に衰退してゆくじゃろう。これが、もっとも根源的な腐敗の取り除き方じゃ。むろん、それだけでは済まぬ。コレリアルの裁きを、身を低くして待つのじゃな!>>
容赦ない言葉に、ルビンティンの顔から完全に表情が抜け落ちた。
「始祖様が言うように、我が引き続き、マトゥラス公としてこの都市を管轄することになる。おまえたち、そして我ら自身の罪を数え上げる、長く膨大な仕事が始まるのだ。温情はいっさい期待するな。妻……おほん、我が最愛の美しき妻ルティスが、補助をしてくれるであろうが、我より正しく美しく厳格ゆえ覚悟せよ」
よほど恐妻家なのか、コレリアルは美辞麗句を並べながら妻のほうをちらりと見る。ルティスはまあいいでしょう、というふうに小さくうなずいた。
<<コレリアル、お前には苦労をかけるのう。数十年して落ち着いたら、たっぷり報いてやるでなあ。>>
「有り難いお言葉ですが、その頃には我はもう死にかけな気がしますがね。まあ、楽しみにしていましょう」
小さく笑うと、コレリアルはルビンティンを鋭く見た。
「ルビンティン・トー。おまえが比較的良心的な人物であることは知っている。多くの裁判と処罰に耐え、ダンデロン商会の膿を取り除き、生まれ変わらせてみせろ。そうすれば遠い将来、始祖様とふたたび話ができ、マードゥの表舞台に返り咲ける日が来るかもしれぬぞ」
「はい……」
親友とされているコレリアルの妻は、身を縮めるルビンティンを痛ましげに見つめたが、何も声はかけなかった。
「より望みがないのはルグランジュだ。テイラーは今年の末を待たず解任され追放され、そして収監されるだろうが、後任はどうせ同じような奴だ。誰がなるかは知らぬがな」
「うふふふ、それがルグランジュですからね」ずっと黙っていたメリネが、くすくすと笑い出す。
「つねに1人にしか権力がなく、失敗すれば全員がすぐ切り捨てられる。ひたすら書類が作られ引き継がれていくだけの、機械のような組織……。あそこは、絶望を作る工場ですよ」
そうつぶやくメリネの横で、テイラーは石のように動かず目をつぶっていた。
「……だから、こんなことをしたの?」マーユがふいに、メリネに問いかけた。
「メリネさんが、そんなにいい人じゃないことは知ってた。でも、サリーのこと可愛がってくれたり、うちに来てお酒飲んだりもしてた……。どうして? その箱が、そんなに欲しかったの?」
「…………」
メリネはその問いに意表をつかれたようだった。なにかに耐えるように、顔がわずかにしかめられた。
「……ルグランジュの一族に生まれて、小さいころからこの道は決まってて。でも、私はずっと、自分がソーセージか何かで、毎日加工されてルグランジュという工場から出荷されてるような気がしてた。希望もなく、欲望もなく、ただ身体に日々の企みと根回しと少しの悪意と善意を詰め込んで、仕事をするだけ。そこで適当な地位まで行ったら下ろされて、一生暮らせる退職金をもらってリゾート地かどこかで余生を過ごすの。それがルグランジュの生き方」
メリネのつぶやくような言葉を、マーユはじっと聞き入っている。
「でもね、どういうわけか、私に婚約者ができた。ダンデロンの若手の人気者、ベッグ・シナード。偏屈で神経質そうに見えるけど、色気があって、女には優しくて。あの人、とってもモテるの。それが歳上の、意地悪そうなライバルの女を選んでくれた。好きになっちゃったの。あの人なら、仕事の先がない私の人生を、豊かにしてくれると思った」
突然始まった恋愛話に周囲の者たちは少し居心地悪そうにしながら、しかしメリネの語りに惹きつけられていた。
「でもね……ベッグって、見た目ほど有望な商人じゃないの。付き合ってくうちに、それがわかっちゃった。ううん、私はそう思っちゃった。私はルグランジュだから。人に厳しくて当たり前の環境で育って、それじゃいけないと思うのに、ベッグも厳しく見ちゃった。たしかに真面目で、書類仕事に強くて、粘れる人なの。でも、商人としてのカンはない。ワイダ・ヘイルの口車に乗って、あなたの農園に乗り込んじゃったことからもわかるでしょ。あれが、いまだに彼の傷になってるのよ。だからベッグは今夜ここにいないの。それが、彼の限界なの」
ベッグの派閥の主であり上司であるルビンティンは、賛同しているのか否定しているのか、眉をかすかによせてじっと聞いている。
「だから、私は偉くならないとって。どんな手段を使っても、って、そう思ったのよ。私がルグランジュのトップに立って、ベッグを支援しないと。でも普通の手段じゃ、メンツを守ることだけは超一流の、このテイラーおじさんを追い落とせない。だからマーユちゃんがリーカと接触したとわかったとき、ジラー閣下とウォードにつなぎを取ったの。小箱を手に入れて、トップに立つためにね。小箱20個。かわりに、マーユちゃんとリーカの情報と身柄確保権、そして<円環>奪取のお手伝い。悪くない取引きだと、思ったんだけどね」
ごめんねマーユちゃん、でも後悔はしてないわ、とメリネは小声でいい、涙をわずかに溜めた目でへらへらと笑った。もう表情に力はなかった。
「こういうことを言うのは、本当に申し訳ないのだがね」
そのとき、意外なところから声がした。ルゲ・ミダフス。この件に深く関係しているわけでもない彼は、ここまでずっとただ聞き手に回っていた。
「公弟閣下に60個。そのルグランジュの女性に20個。おそらく、ダンデロンにも何個か提供の約束をしているのではないかね。……考えてみたまえ。夢の小箱は、ウォードの切り札だよ。ほぼ門外不出、誰が持っているかも秘匿されているのだ。それを100個近く、気前よく敵国にあげようなどという言葉、なぜ信じられるのかね?」
「…………あ?」
ジラーが久々に声を出した。メリネも涙がたまった目を見開いた。そして全員が、グレアム・デューンを見た。
「……その数は無理ですね。ただそれなりの数、提供するつもりでしたよ。<円環>を得ようというのです、そのくらいの代価は払います。……ただし品質を保証するとは、言っておりませんがね。試作品も数のうちです」
「ウォードの奴らはこんなのばっかりだよ? 知らなかったんだね、みんな……。夢の小箱って名前は皮肉だね。最初に力を見せつけて、持たせた者に夢を見せて、そこから騙すための箱なんだよ?」
アイララが苦い口調で言った。
「……君は、誰かね? こちらにも情報がない。君は……何者だ?」
アイララに、グレアムが鋭く低い声で問いを発する。
「勝手に推理してよ。まあ、教えてもいいんだけどね。どうせあんたはウォードには当分帰れないんだし。」
「……なんだと?」
グレアムの剣呑な視線を、アイララは軽く無視して笑顔になる。
「……ほら、そろそろ時間じゃないかな。ねえみんな、忘れちゃいけないよ。この夜、本当に大事で大変だったあの子を。ボクらがくっちゃべってる間にも一生懸命仕事してた彼女をさ」
<<その通りじゃあ、ええこと言うのう! 岩人リーカよ、本当にご苦労じゃった! 労苦は報われる! おぬしらの、苦難のときは終わるのじゃあ!>>
始原樹の大声のあと、その根元の暗がりから、リーカがふらふらと歩み出てくる。疲弊しきった様子を見て、マーユがさっと駆け寄って抱きしめた。
「マーユ……。私、やったヨ。御子のおかげデ、やれたヨ」
「うん……うん」
抱き合う2人をよそに、墓碑のまわりは騒然としはじめる。
「……始祖様!?」ジラーが叫ぶ。
「そうか! 数日かかるという作業、ずっと続けていたのか……!」グレアムは、期待しながら絶望するような、複雑な顔で始原樹を見上げる。
「すべてが解決する……まさか!」ルビンティンも目を裂けるほど見開いて、始原樹の暗がりを凝視する。
そのとき。
赤く輝く光の環が、ぶわっ、と一同の足元を通り過ぎた。
瞬きをする間もなく、墓碑のまわりにいる者は反応すらできない。
上空にいた私だけが、その円環が拡がるさまを目撃できた。
中央図書館を。商業学校を。兵舎を。飲食街を。南部スラム街を。魔術研究所を。
真紅の光の帯が通り過ぎてゆく。
光はマトゥラスの外周、街門のさらに外まで瞬時に到達すると、そこで止まる。
マトゥラスを囲む真紅の光円から、細かい複雑な線が伸びはじめる。
<赤の円環>。マトゥラス全域を用いた、巨大な封印。
その全貌が、おそらく私だけに見えた。
<<いまこそ返そう、300年の預かりものをなあ!!>>
始原樹の雄叫びに似た声が、マトゥラスを震わせる。
おそらくマトゥラスじゅうの地面から、なにか見えない風のようなものが吹き出し、街路樹の葉っぱや新聞紙や、食べ終えた紙皿やを強烈に巻き上げた。
私もまた、烈風に巻き込まれてくるくると空を舞う。だが、愉快だった。爽快だった。笑いだしたかった。
マトゥラス全域に光り輝く赤い紋様。上空に満月。
意識あるかぎり、私は、この瞬間の高揚を忘れないだろう。
そして私は見た。おそらく、この世の誰より早く、それを見た。
ザグ=アインの山頂。いまの私にとっては、見るだけで震えが来るような怖い場所。
そこから、何かが現れようとしていた。
赤い。それは赤かった。全身が輝き、動くにつれ複雑に色が変わっていく。
目を疑って、なお疑い足りないほど巨大だった。
始原樹すら、それに比べれば子供の玩具だ。
おそらくマトゥラス全体と比べても、2倍はある。いや、もっとあるかもしれない。
ザグ=アインの白く尖った山頂から、さらに上へ。暗い空のなかを高く高く上昇してゆく。
<<見よ、あれがホルウォートの大いなる魔のひとつ、「地の大魚」ヴェイリゥじゃ!>>
そうだ。
それは真紅に輝きながら、夜空を泳ぐ巨大な魚だった。
次話が4章最終話になります。一日あけて、土曜日朝に投稿予定です。