第17話 儀式とその結末(黒羽)
(私のせいだ……! 私のせいだ……!)
うずくまったマーユが、うわ言のように繰り返すのを、私はただ見ていることしかできなかった。
ジラーが言ったことは事実だろう。嘘をつく必要がない。
アイララも言っていたが、マーユは以前から監視され、半分試されるように弱い魔物の襲撃を受けていた。
おそらくその監視の眼が、たまたま知り合ったリーカにも注がれ、どういう経路でかジラーまで届いたのだ。
だがそれは、けっしてマーユの責任ではない。それを伝えようにも、手段が私にはなかった。
ただ、泣くマーユの髪の少し上を、うろうろと飛ぶ。
(お嬢)
そのとき、ジュールがマーユの肩に手を置き、厳しい口調で声をかけた。
(…………)
(お嬢。もう忘れたのか、あのひとの言葉。ぜったい大丈夫だからって、わざわざ伝えてくれただろう?)
(……あ)
震えていたマーユの肩が、ぴたりと止まる。
(そうだった……。コボネが言ってた、リーカのことは心配するなって……。忘れてた、ごめん……)
ぐしぐしと顔を右手でこすり、マーユはすっと立ち上がる。アイララがほっとした顔でその肩を抱きかかえながら、(グッジョブ!)と、ジュールに向けて目配せした。
一方、墓碑の前には、漆黒の樹に引きずられるようにして、目隠しされたリーカが引き出されてきている。
その右の頬や、左肩、腰のあたりにヒビのようなものが入っている。
「ジラー。おまえ、この娘に……」コレリアルがうめく。
「拷問ですか? しましたよ。ウォードの洗脳の補助としてね。声ひとつ挙げずに耐えてました。腹が立ちますね」
よく見ると、リーカの左手はだらりとぶらさがり、力が抜けているようだった。
「……おまえと同じ血を持つことを、我は恥じる。我らの始祖も恥じるだろう」
「岩人ですよ? 私たちに重荷を押し付け、平然としていた連中ですよ。野蛮で卑屈で小心な人種だ。このくらい何だというんです」
「…………」
コレリアルは黙って目をつぶった。
マーユ、アイララ、ジュール。私のそばにいる3人から(ふうううっ!)と荒い息が揃って漏れた。激怒している。
それにしてもあのリーカの姿を見て、大丈夫だという骨の子の言葉を、まだ信じられるだろうか。
私には、とても信じられるようには思えなかった。
「このリーカが突き止めた、眠る<円環>を起動させる条件。それはまず、岩人の手によって、特定の場所で、特定の解除紋様が描かれること。その場所とは、この初代大公の墓碑の前です」
よろめくリーカが、目隠しされたまま墓碑の前まで連れてこられた。暴れもせず、人形のように無感情に見える。
「そしてもうひとつがマードゥ現大公によって、封印解除の認定がされること。墓碑に手を置き、円環よ動け、と言ってください」
「…………」
「兄上。もう抵抗しても無意味ですよ。この認定をしてもらうために、こちらは多大な苦労をして義姉上とガーサント君を確保したんだ。おとなしく従ってください」
「……<円環>が起動したあとは、どうするのだ?」
「それは兄上が心配することではないですよ。どうせもう、あなたは大公ではなくなる」
ジラーは冷淡な口調で切り捨てた。
「やり方は秘密ですが、起動した<円環>は移動させることが可能なのですよ。ですから、ウォードに持ち帰ります。時間はかかりますがね」
グレアムがたんたんとした口調で付け加える。
「そしてこの国からは厄介物が消えて、すっきりするというわけです。さあ、おしゃべりはおしまいだ」
そう言うなり、ジラーはリーカの背中を、拳でがつん! と殴りつけた。
「さあ、描け。ルギャンの紋様を」
リーカはゆっくりと、墓碑の前に膝をつく。そして、右手を星形に動かしはじめる。
<紋様を描く者は来たれり……>
声が響く。リーカの右手は光りはじめ、地面に複雑な紋様が描かれていく。
(む……?)
ミダフスが声を漏らした。
<動け赤の環、力の円環よ……!>
リーカの口から出ているとは思えないような中性的な声のあと、紋様は墓碑を囲むように拡大しながらまぶしく光り、上空に向けて光が伸びていく。
「おお……!」
墓碑を取り囲む者たちから、驚嘆の声が次々に漏れる。
「さあ兄上、いよいよです。認定を」
ぶるぶると、目に見えて震えながら、コレリアルは墓碑に手のひらを押し付け、叫んだ。
「円環よ……動け!」
その叫びとともに、墓碑もまた、まぶしく光りはじめる。紋様の光は数秒ごとに色を変え、中空にも光の輪がいくつも現れ、墓碑を囲んでぐるぐると回りはじめた。
「これが<円環>……!!! ついに……!!! さあ、地底から来るぞ、なにかが……!!!」
恍惚とした表情で、ジラーが叫ぶ。
地中からいっせいに、何かが浮かび出てきた。
ばたばたばた、ばたばたばた……。
羽ばたきの音とともに現れたのは、せわしなく動く無数の羽だった。
くっ、くっ、という鳴き声が聞こえ、墓碑の周囲の地面は白いもので溢れた。
無数の白いものたち。それらは数瞬しか、地上にいなかった。
いっせいに羽ばたくと、暗い夏の空に向けて、自由な軌跡を描いて飛び立っていく。
ジラーも、ロレンツも、毒矢使いも、そして背中を向けたウォードの使者たちも、口を開けて、遠ざかっていくその白いものたちを見送った。
地面の円環の光も墓碑の輝きも、彼らの出現とともに、一瞬で消えていた。
初代大公の墓所はまた以前の光景に戻る。リーカは糸が切れた人形のように、横ざまに倒れ伏していた。
静まり返る者たちのなか、毒矢使いが、ぼそり、と口にした。
「……鳩……?」
「えっ……? ええっ……!?」
ロレンツの側近が、情けない声をあげる。
「鳩……? なぜ鳩……!?」
「ど……どういうことだ……?」
ロレンツとジラーが顔を見合わせる。グレアムの背中は、凍りついたように動かない。
そこに、奇妙な音が響きはじめた。
(くっくっく、くっくっく……。)
音はしだいに大きくなり、墓碑にもたれてうつむいていたコレリアルが、のけぞって大声で喚いた。
「あはははははははは! あはははははは! 駄目だ、もう限界だ! これが笑わずにいられるかっ!!!」
ようやく私は理解した。
先程からコレリアルがぶるぶると震えていたのは、苦しんでいたからではない。笑いをこらえるのに必死だったのだ。
「兄上っ……! どういうことだっ!」
ジラーが墓碑にもたれて笑い転げるコレリアルに掴みかかろうとし、「え」とつぶやくなりぴたりと静止した。
「動けない……? なぜだ……?」
「ファイ……!」
グレアムが叫ぶ。おそらく側近の名か愛称だろう。
「だ、駄目です、動きが全く……!」
大柄な側近は、左手を上げかけて踊りの途中のような姿勢で固まっている。おそらく箱を出そうとしたのだろう。
「細い蔓が、全身にっ……! 兄上、あなたかっ!」
ジラーが喚くが、コレリアルはまだ笑い続けており、ジラーを見ようともしなかった。
「それハ<最初の七>の拘束術。おまえたチに、解けるわけなイ」
懐かしい細い声とともに、始原樹のほうから軽く硬い足音が聞こえてきた。
「な、なぜですっ!? なぜ、あなたが2人いるのですか!?」
ロレンツが目を見開く。
「簡単なこト。私ガ、本物」
岩人リーカがいつもの無表情な顔で現れ、コレリアルの横に立った。
「仕組まれていた……? 兄上、どこまでが! いつから! なにが、どう仕組まれていたのだっ! 答えろっ!!!」
ジラーがなおも喚きつづける。それに答えたのは、笑い過ぎで息をつまらせているコレリアルではなかった。
<<今夜起きたこと、起きること、全てじゃあ。>>
地鳴りのような大声が、始原樹のほうから聞こえてくる。
<<全て、儂が、モルタのやつと仕組んだのよう。>>
「えっ……。えっ……!?」
ジラーは、拳がまるごと入るのではないかというほど、大きな口を開けて固まった。
「まさか……! まさかそんなっ!!」
グレアムが、血がにじむような悔しげな声でうめく。
<<大声出すんは300年ぶりじゃ。空気が旨いわ! ワッハッハッハッハ!!!>>
始原樹が笑っていた。
その笑い声は、マトゥラス全域を覆うほどの音量で、夏の夜空に響き渡った。
4章も残りあと数話。明日、明後日の朝も更新予定です。