第16話 ジラーとコレリアル(黒羽)
大公コレリアル。
父親の跡を継ぎ5年前に大公の座についたという、100歳を越える樹人。
初めて見るその男は、人柄に関する噂と一致するような平凡な見かけであったが、声には深い淵を思わせる静かさと豊かさがあった。
「仮面をかぶらねば兄と話せぬか、ジラー」
その深い声で、コレリアルは老人の仮面をかぶる男に言う。口調にはほとんど感情が感じられなかった。
「そういうわけではないのですがね……」
涼やかな高めの声で答えつつ、笑う老人の面を相手は外す。出てきたのは、細面の顔だった。かなりの女顔ながら眉目秀麗といっていい樹人。年齢はノール人でいうと30歳ほどに見えるが、おそらく実年齢ははるかに上だろう。
「演出というやつですよ。浪漫です。兄上にはご理解いただけまいが、魔法が使えぬ樹人の出来損ないのこの私が、夢の小箱のおかげで使い魔を得たのだ。それらしい怪しい格好も、してみたくなるというものです」
そういうと、ハハハ、と笑う。乾いて軽い、なにも籠もっていない笑いだった。
「その醜い樹を動かせるようになって、そこまで浮かれていたか。だが、我はそんな気分ではない。妻と息子を人質に取られているのだからな」
「正直に申し上げると、意外でしたよ兄上。世間は兄上を優柔不断というが、そうではないことを私はよく知っている。義姉上もガーサント君も、あっさり切り捨てて私を殺しに来ると思っていたのですが」
「今からでも場合によってはそうするつもりだが、まずはお前の望みと企みを聞いてからだ。まんまと我の家族を手中にしたのだからな、褒美としてそのくらいはつきあってやる」
コレリアルの言葉に、公弟ジラーはまた、ハハハと軽くむなしい笑いを漏らした。
「相変わらずの高慢だな、兄上。だが、その余裕は命取りの勘違いですよ。もう全ての準備は整っているのだから」
「我が高慢だと思っているなら、それこそが勘違いだ。何もわかっておらぬな、弟よ」
斬り合っているようで、感情が枯れたやり取りが続く。長年すれ違ってきた兄弟であることが、私にもわかるほどだった。
「では話すがよい。お前が、そやつらとしてきた企みをな」
コレリアルは、わずかに顔を動かして、ジラーの横に立つロレンツ・ヘイルと、そのさらに横にいる毒矢使いを見る。
「こちらの商人の顔はご存知でしょう。ダンデロン商会の次期商会長、になる予定の男です。資金提供のほか、人手がいるときの主力として動いてくれています」
「なるほど。たしかワイダ・ヘイルの息子だったか。成り上がるために何でもする、ダンデロンの伝統通りの男というわけか」
コレリアルの視線を受けたロレンツ・ヘイルは、ぽちゃぽちゃの腹を折ってお辞儀をする。
「お褒めの言葉、ありがとうございます大公。非才の身ながらお言葉の通り、利益のため全てを売る、ダンデロンの教えを守って精進しております」
「売るのが自分のものでもない我が国ということになれば、笑いごとでは済まぬぞ」
「いえいえ、国を売るは貴方様の弟ぎみ、私はただ頼まれるままお手伝いしているだけで」
ロレンツは全く怯むことなく、丸顔をほころばせて微笑む。まるで居間で飼い猫といるかのような穏やかさで、それがかえってこの男の異常さを感じさせた。
「ま、このようにとても信頼はおけぬ味方ではありますが、なにかと便利な男です。で、もうひとり……仮面は脱がぬのか、ここまで来ても」
「情報は最後まで隠したい性質なので。閣下も、そういうことでご納得いただいたはずです」
ジラーの問いかけに、小さなくぐもった声で毒矢使いは答えた。
「そうだったな。……兄上、というわけで正体は明かせませんが、もう1人の協力者です。戦闘面でおおいに役立ってくれています」
「ふむ……」
コレリアルは、小柄な仮面の者をじっと凝視した。
「貴様が毒矢使いか。やりたい放題やっているようだな。我が妻と息子にも、矢を打ち込んだと聞く」
「……」
毒矢使いは何も答えず、かすかな会釈を返した。
「なに、2人ともまだ眠ったままですが、命に別状はありませんよ。私のほうで手厚く保護して寝かせてあります。今のところは」
ジラーが言い、ハハハと例の乾いた笑いを付け加えた。
コレリアルは一瞬眉を動かし、頬をひくひくと痙攣させたが、何も言わずじっと立っている。
「さて、今日の隠れた主役です。全ての鍵を握る岩人の娘……」
「その前にまだ、紹介する者がいるだろう」
ジラーがリーカと黒い樹のほうを振り向いて言いかけた言葉を、コレリアルはさえぎった。
「この夜の主役。本来、この場にいることを許されぬはずの者がな」
「……ハハハ、さすが兄上だ。もう少し後でご登場願う予定でしたが、では前倒ししましょう」
ここまでただじっと立っていたロレンツの側近が、いきなり手を上げて指の火を灯し、夜空を見上げた。
ひゅっ、と風切音がして、2つの影が上空から落ちてくる。
影は毒矢使いの右隣り、花壇の中にいる私たちから見るとすぐ近くにほとんど音をたてずに着地し、私たちに背中を向けたまますっくと立った。
「予定変更、申し訳ありませんな」
「いえいえ、かまいませんよ」
ジラーの謝罪に、空から降ってきた人影のうち1人が軽い調子で答える。ジラーよりさらに若い感じの男の声だった。
「大公閣下、はじめまして。ウォード連合国開拓庁長官、グレアム・デューンと申します」
「ほう……」
コレリアルは目を見開き、男のほうをまじまじと見ている。が、残念なことに私たちからは、男の顔は見えない。
「大賢者グルーニの直弟子か。これはまた、大物が来たものだな」
「恐縮です。なんといっても、重要な役目ですのでね」
グレアムと名乗る男は、ゆっくりとお辞儀をしてみせた。
「今宵は、<赤の円環>を頂きにまいりました」
☆★☆★☆
<赤の円環>。
その言葉が口にされた瞬間から、墓碑を取り巻く者たちの纏う空気が変わった。
そして私は……またぶるぶると震え始め、アイララの手の中にいる。
我ながら、情けないにもほどがあるというものだ。
「ジラー。これでお前が、早くも2つの大罪を犯していることが判明した」
コレリアルが、感情を無理やり押さえつけたような口調で話しはじめる。
「1つは、始祖によって厳重に言い渡された、ウォードの者を内宮の結界内に決して入れぬという掟を破ったこと。そして、門外不出を言い渡された、<円環>の情報を漏らしたこと」
「…………」
「ジラーよ、今更であるが尋ねよう。お前は我が混成国の、そして大公家の300年を打ち壊した。そのことに後悔はないか」
「…………」
ジラーは一瞬うつむき、それからハハハと笑いはじめた。
「兄上。<円環>が私たちに、何をしてくれたというんです」
「……なんだと?」
「他の<最初の七>の手から、なんとしても守らなくてはならない秘宝。おおいなる魔術の泉。<円環>を守るために大公家はある。初代大公マードゥの秘密のお言葉を、私たちは金科玉条としてきた」
言いながら、呆れたように手をひろげて見せる。
「ハハハ、しかしそもそも、<円環>は私たちの所有物ですらない! ただ預かっているだけ! 使うことすらできないお荷物! こんな馬鹿なことがありますか、ねえ兄上」
ハハハハハハ! と乾いた笑いが、夜空に響く。
「私を見てくださいよ、兄上。この大公宮で生まれ、<円環>のすぐそばで育ちながら、魔術をまともに使うことすらできない! なにが、おおいなる魔の泉だ! 私がここにきてようやく力を得たのは、ウォードの夢の小箱のおかげだ。けっして<円環>のおかげなどではないっ!!」
ジラーの言葉の最後は、悲鳴のようだった。
墓碑を取り巻く者たちも、それを隠れて見ている私たちも、みな黙りこくって、ジラーを見ている。
「……だから、売り渡すことにしたのですよ、ウォードにね。代価は、夢の小箱をとりあえず60個。そしてそのあとは年に10個ずつです。それだけあれば岩人の都を征服することなど、赤子の手をひねるようなものだ。岩人を従属させ、私たちは大国へ生まれ変わる」
「……そして、ウォードの属国になるわけだな」
「いけませんか? ウォードはいまだに<最初の七>が2人もおわす国ですよ。300年前に<最初の七>を失った、この国とは違うんです!」
「…………そうか。わかった。よくわかった」
コレリアルの身体が、おさえきれぬ激情で細かく震えているように見える。
「ジラー。お前は終わりだ。覚悟せよ、もはやなんの容赦もない」
「……大公閣下」
グレアムの声が、震えるコレリアルの声をさえぎる。
「申し上げておきますが、戦闘で私たちと公弟閣下を制しようとするのは愚のきわみですよ。ここにいる私の護衛は、瞬間凍結の小箱を持っています。50人や100人は、一瞬で無力化できるのです」
グレアムの隣に立っていた大柄な男は、これまでなんの動きもしてなかったが、はじめて動いて小さく頭を下げる。
「それ以前に、妻と息子を人質にしていることをお忘れなく、兄上」
ジラーは何度目だろう、ハハハと軽く笑った。
「とにかく、私の望みはお話ししましたよ。6年前、原因不明の事件で、大精霊長グレド=アインが消滅してから……」
ガッ、と頭が殴られた気がした。アイララの両手にガツガツとぶつかりながら、私の身体は暴れはじめる。
(ま、マーユ、手伝って! 私の手を上から押さえて!)
アイララのあわてた声。すまないと思いながらも、どうにもならない。全身に火がついたような苦痛。
「……必ず、岩人が<円環>を求める時期が来ると思っていたんです。6年も待つことになったのは、正直あてがはずれたのですがね。しかしこの春、予想もしないところ……レドナドル出身の商人の娘の情報から、岩人の名家の娘、このリーカの動きを掴めたんです」
「あ゛あ゛あ゛っ!!!」
マーユの声が響いた。しゃがれた、悲痛な声。聴いたことのない、押しつぶされたような声がした。
私のパニックは一瞬でおさまる。
アイララの手から飛び出すと、両手で顔を覆い、しゃがみこむマーユの姿があった。
アイララが肩を抱き、必死になにか囁いている。
(私のせいだ……! 私のせいだったんだ……!)
両手で嗚咽の漏れる口を押さえながら、マーユはそう繰り返した。