第15話 大公宮の奥へ(黒羽)
ノール暦327年、8月の最初の日。
マードゥ混成国の首都マトゥラスには蝉の声が響き渡る日が続いている。
樹人が作ったこの街は街路樹や花壇が多く、虫や小鳥にとっては恵まれた環境であった。
日が沈みかけ、ようやくやかましい蝉の声も静まり始めるころ。
マーユ、アイララ、ジュール、ルゲ・ミダフス、そして彼らを見守る私は、マトゥラスの中心にある大公宮殿を囲む、堀の前にいた。
大公宮殿は円形の広大な敷地を持ち、周囲は高い塀で囲まれている。塀の外にはぐるりと深い堀が巡らせてあった。堀は大半が蓋で覆われ暗渠になっている。
宮殿の出入り口は表口と裏口の2箇所しかなく、当然ながらどちらも厳重に警備されていた。
「大公宮は外宮と内宮に分かれているのだよ。外周部の外宮に入るのすら許可がなければ困難なのだが、さらに内宮との境目には魔術的な結界があり、打ち破るのは不可能に近いとされている」
ミダフスはそう解説しながら、目の前の堀を眺め渡して何かを探している。
「そうだね、2、3日前にボクも忍び込んだけど、ここの手強さを思い知ったよ。大公がいる場所とはいえ、いくらなんでも過剰な結界だよ、普通に考えたら」アイララはうなずいてみせた。
「うむ。しかしここに<円環>が隠されているとなれば、厳重な結界の意味もわかるというものだ」
「なら、今日はどうやって入るんだ? 内宮まで行くんだろ?」ジュールが当然の疑問を呈する。
「君の大好きな骨の御子によればだ……ん、あったぞ」
ミダフスは曲がった小さな身体を素軽く動かして、堀の縁から、清掃用だろうと思われる苔のついた狭い石段を下りていく。他の者も人に見られていないことを確かめてから一列になって続く。
石段は暗渠の闇の中に続いており、ミダフスが指の火を使いわずかに周囲を明るくした。
下りきった先には人が数人ようやく立てるぐらいの狭い石畳があった。よどんだ水の匂いがするのだろう、ジュールがこっそり顔をしかめた。
「よし、間違いない。このくぼみを見たまえ」ミダフスが水路の壁に指の火を近づける。そこには指が2本入るほどの小さな窪みがあった。
「こんなもん、普通じゃ絶対気づかねえな」ジュールがつぶやく。
「ここが岩人専用の秘密の出入り口らしい。そしてこれが、ノウォンをこめたハルエリートという石らしいが……おおっ!」
ミダフスが銀色の石をくぼみにはめると、壁の一部が横にずれ、下向きの真っ暗な隠し階段が現れる。
「大公家と岩人はやっぱり深い関係があったんだ……。リーカが調べたことは正しかったんだね」
「そうだね。歴史の隠された一部をボクらはいま見てるんだ。ゾクゾクするねえ……」アイララとマーユは、小声でささやきあう。
「感動する気持ちは尊いが、急ごうか。この扉はすぐ閉まるらしいぞ」
窪みから石を取り出しながらミダフスが促し、私たちは指の火を頼りに、暗黒の地下へ下りていった。
☆★☆★☆
20分近く歩いただろうか。秘密の地下道は細かい上り下りを繰り返しながらひたすら続いていた。いまはもっとも明るい指の火を作れるマーユを先頭に進んでいる。
誰も口をきかず、ただ湿った石を踏む音だけが響いていた。
「あ」
マーユが久々に声を出す。通路の向こうが黄土色に光っている。全員急ぎ足になりそちらへ近づく。
それは半透明の壁だった。小さな粒子のようなものが、壁の表面をいくつも走りまわっている。
私と、そしてマーユは、これに近いものをかつて見たことがあった。
「お墓の……地下にあったやつ……!」
マーユがつぶやく。私の記憶を知っているアイララも小さくうなずいた。地霊ルズラヴェルムがかつてナドラバの地下墓に作っていた結界の壁と同質のものだ。
ミダフスが列の先頭に出てきて、壁をまじまじと見る。
「なるほど……! 地の力を使った扉の魔術だ。素晴らしいな……! おそらくこれが、内宮結界の秘密の出入り口なのだ」
「羽くんの記憶によれば、これを通るには岩人の大地叫喚が必要ということだったけど……教授は……」アイララがミダフスの顔を覗き見る。
「うむ、使えるわけがなかろう。私の血統のどこにも岩人はいない。だが忘れたかね、骨の御子が示唆してくれたことを。この壁は、大地叫喚ではなく他の方法で通るのだ」
ミダフスは懐からごそごそと一枚の紙を取り出す。
「マーユくん、これをよく見えるよう指の火で照らしてくれ。くれぐれも燃やさないようにな」
「うん……はい」
マーユがミダフスの手元に、あかあかと光る手を近づける。
「よし、描くぞ……。本来は岩人にしかできぬことだが、ここには骨の御子からもらったハルエリートがある」
曲がった背中が一瞬、しゃきんと伸びたようだった。
<紋様を描く者は来たれり……!>と唱えながら、壁の表面でハルエリートを動かす。
最初に大きな星形を描き、その中に一見でたらめに見える不規則な模様が描かれていく。
ミダフスの息がみるみる荒くなっていくのを見て、マーユとジュールが背中にそっと手を当てて支えた。
「<共鳴せよ……!開かれよ……!>」
ミダフスの振り絞るような声とともに、黄土色の壁は音もなく消えた。
「やった……! 開いた……!」ジュールが思わず叫ぶ。
「やれやれ……マーユくん、君の御子は人遣いが荒いな。大変な仕事だった」
「教授、いまの紋様は……」
「うむ、これこそがルギャンの墓に残されていた、岩人のみが本来使える紋様だ」アイララの問いに、息を整えながらミダフスは答え、こう付け加えた。
「そしておそらく、この紋様を知ったために、君たちの友達の岩人は拐かされたのだ」
☆★☆★☆
さらに10分ほど、黙って地下道を歩きつづけたあと、ついに私たちは長い上り階段にたどり着いた。
これを上りきれば、おそらく地上に出る。
ジュールが列の後にすっと下がっていき、何も言わずにミダフスを背負った。
ミダフスは一瞬身体をこわばらせたが、「すまないね」と小声でいうと身を任せる。
それを見て少し笑顔になったあと、マーユは指の火を顔の前に掲げて階段を上っていった。
「えっ」
最後の段を上り終えたマーユは、ふらふらと歩きながら思わず声を漏らす。続けて地上に出たアイララたちも小さく口を開けた。
そこは内宮という響きから想像できるような壮麗な室内でも廊下でもなく、がらんとした石造りの空間だったのだ。
「まだ先があるのか……」ジュールが小声で言う。ミダフスは背負ったままだ。
<いや、もう着いたよ。みなさんお疲れさま。>
地面から、マーユの目の前にひゅっ、と石の板が飛び出てきた。
「コ……!!!!」
大声で叫びかけたマーユは、ぐっと息をのんで黙る。
なぜなら続けて、<叫んじゃだめだよ、マーユ>と書かれた石板が現れたからだ。
そして私は……宙に浮かんでいた私は、ふいに誰かに掴み取られた。
誰の手かはわかっていた。アイララだ。
私は、くぼめたアイララの両手の中で狂ったように踊り暴れる。自分でも理解できない衝動に、細かく震えながら。
ああ。わかった。いまわかった。
私は怖い。骨の子、御子、コボネ、ガリンバーン。なんと呼んでもいい。私は、姿が見えないこの子供、何年も前から見知っている彼の気配が怖い。たまらなく怖いのだ。
「<もう少し、もう少しだけ我慢してほしい。もうすぐ、きみの記憶が蘇ったら、その気持ちも治るはずだから>」
石板を読み上げるアイララの声が聞こえる。そして「ほんとうかい? 見てて可哀想でね……」と付け加える声も。
その声に、急速にパニックがおさまるのを感じる。
両手の隙間から、外を見る。新しい石板が浮かんでいた。
<ええ。今夜、全てが明らかになります。だから、みなさんにはそれを見ていてほしいのです。>
そしてまた、新しい石板。
<こちらへ。みなさんのための場所へ案内します。残念ながら、椅子はないんですけど。>
石板が先導するように、空間の先にあるトンネルへ動き出す。それを追いかけてまっさきに走り出したのは、ミダフスだった。いつのまにか自力で立っている。
「なんという……! なんという……! 御子くん、御子くん、なんという鮮やかな独自魔術……! きみの話を聞きたい……! 時間を、あとで時間を……」
まるで掻き口説くような熱のこもった囁き声に、石板は一瞬困惑したように揺れたが、そのまま動きつづける。
「名前呼んでくれた……」
ミダフスの声にまぎれてマーユの泣きそうな小声が聞こえ、一行はそのまま、トンネルの向こうへ歩いていった。
そして、数分で私たちはたどり着いた。なんとも不思議な空間に。
そこは肌色の石でできた、ゆるく湾曲した細長い空間だった。天井は一方が低く一方が高くなっている。低いところは、背の高いジュールがようやくまっすぐ立てるぐらいだ。
壁にはいちめん、緑色のツタが這っている。
「ここは……。まるで大きな公園の花壇の中に入ったような……」アイララが小声でつぶやく。
<その通りです。さすがですね包帯さん。ここは内宮の奥にある庭園の、円形をした大きな花壇の内部です。>
「なんだって……? そんな場所が……? というか、その呼び名……!」
アイララは混乱した様子で、大声も出せないので頭を抱えてしまう。
「私は覚えがあるよ。数年に一度だけ、法要でここに入れるのだ。そうではないかね」ミダフスが言う。
「ここは……初代大公マードゥの、墓所ではないかね」
<はい。ここが、今夜の舞台です。声は外に聞こえませんが、大声は出さないでくださいね。では、そろそろ始まりそうです。>
そう書かれた石板が地面に潜っていくと同時に、不思議なことが起きた。
私たちが向き合っている湾曲した壁の一部が、縦に細長い窓のような形にすっと消えたのだ。
ツタの隙間から、外がよく見える。
<マーユ、みなさん、酷いものが見えても、驚かないで。大丈夫ですから。>
最後に一枚の石板が現れ、みなそれに小さくうなずいたが、すぐ目は窓の外に向く。
目の前にツタに覆われた、人の背より大きい石碑が立っている。おそらくこれが初代大公の墓だ。周囲に背の高い灯がいくつか光っていてあたりは明るい。
石碑の向こうがわは、私たちがいる大きな花壇の反対側が見えていた。百合かなにかの白い花を中心に、段々に花が植えられ華やかな雰囲気を作っている。
そして、私たちから見て右側の、石碑の少し奥には、感覚がおかしくなるほど巨大な幹が見える。
始原樹だ。この墓所は、始原樹のすぐ前にあるのだった。
碑の前に、始原樹を背に数人の人物と、1体の異形が立っている。
ひとりはロレンツ・ヘイルだった。小太りの体をそらすように立ち、いつもの微笑を浮かべている。その左後方に、名前は知らないが見覚えのある側近が直立不動で立っていた。
その右横にあの毒矢使いの仮面の者がいた。こちらからは横顔が見えている。
小柄な体を脱力させ、緊張感もなく平然と立っていた。下げた右手にはあの赤い小箱を掴んで持っている。
そして4人目、墓碑の正面に立っているのが、笑う老人の面の者だった。
エドラン工房で一度だけ現れた、黒い樹使い。
樹使いの数歩後ろ、暗がりに紛れるように、あの漆黒の樹がひっそり控えている。
そしてその横に、リーカがいた。
後ろ手に縛られているのだろうか、腕は後に回っているように見える。白い布で目隠しされている。
マーユの体がこわばるのがわかった。が、石板の言葉を思い出したのだろう、息を呑み込むようにして沈黙を続けている。
老人面の者は胸を張りじっと何かを待つように立っていたが、やがて始原樹のほうへ向いた。
面の後ろから、「お待ちしてましたよ」と、甘い感じの男の声が漏れた。
始原樹のほうから男が1人、灯りの光のなかへ歩み出てくる。
私には見覚えのない、光る生地のガウンを身に着けた中肉中背の男だった。
その男は碑を取り囲む者たちの輪には加わらず、少し離れたところで立ち止まる。そして平凡な容姿には似合わぬほど深みのある美声で、老人面の男に向かって言った。
「何の遊びだ。仮面をかぶったとて、いまさら素性が誤魔化せるわけでもあるまい」
吐き捨てるような口調だった。
「大公コレリアル……!」
ミダフスが小声でつぶやいた。
明日(日曜)、明後日(月曜)の朝9時にも投稿予定。