第6話 大雑把な彼女
「死霊邪術師によって蘇生させられた死人は、邪術師が死ぬと動かなくなる。原理的に例外はありえないんだ。死霊邪術師は、死者の残留ノウォンを変質させて制御することで動かすんだからね。邪術師が死ぬか、死ななくても意識を失うか瀕死の傷を負えば、その変質自体がなかったことになるのさ」
包帯さんは焚き火の前にあぐらをかいて、足の間に抱えた僕の頭を覗き込みながら、そう話している。
小雨はやんで、夜空には星が見えていた。
「現に、君以外のあの骸骨たちは完全に死者に還ってる。……だから、君はやっぱり、異例の存在なんだろうとボクは思うね」
包帯さんの手が僕の頭をそっと撫でる。
彼女の手足が戻る瞬間を僕は見てないけど、いまの包帯さんは五体満足の普通の人間にしか見えない。あんなに派手にちぎれた首も、傷ひとつなくつながってる。
いろいろ尋ねたいことはあるけど、何せ質問ができないので、僕は黙って、僕のことについて話し続ける彼女の声を聞いていた。
包帯さんを抑えてた二体の骸骨は、主に壊されてバラバラになったまま、ただの骨に戻っているそうだ。
別れ際に頭を撫でてくれたトカゲ人の骨も、いまごろは、どこかの樹の根元で動かなくなってるんだろうか。
……なんとなく、せつない。
「ボクの推論だけど、君はたぶん、あのグブードンとかいう邪術師の召喚術で、たまたま覚醒のきっかけを与えられただけなんだと思う。ノウォンの変質制御は受けてなくて、軽い催眠誘導を受けていただけ、ということだね」
うーん、やっぱり包帯さんは相当頭がよくて勉強してる人なんだと思う。言ってることが知的だ。
「……じゃあ、君は何者なんだろうか?」
包帯さんは、ぼそりと呟いた。僕も、心の中で同じことを考えた。
僕がただの死人でないなら、いったい何なんだろう?
「君は魔物じゃない。それは、断言していいと思うよ」
包帯さんは僕の頭を両手で持ち上げて、目を覗き込んできた。
「一、君にはあきらかに知性がある。ニ、この世界に骨だけで動く魔物はいない。……断言できる理由はいくつもあるけど、最大の理由はね……君のノウォンだ」
顔がすこしずつ近づいてくる。声が囁き声になってく。……うう、なんだこの状況。
「君の中には、信じられないぐらい上質のノウォンが大量にある……。魔物じゃありえない質と量だ。しかもそれは、外から見てわからないぐらい、隠された形で存在してるんだ。君が焚き火の中に落ちて、焼けたときの匂い……ああ、あの匂いがしはじめるまで、ボクも気づかなかった」
包帯さんの目が細められる。薄い唇が軽く開いて息が荒くなる。肉食系、ってやつだこれ……。
いや嫌ではないですけど……僕、子供で骨ですよ……。しかも頭だけですよ……。
「最高だったよ……。すごかった……。何か、受け止めたところから、存在自体が蘇っていくような……。とても懐かしい感じのするあのノウォン……。ああ……もう一度……」
顔がさらに近づいてくる。肌と汗の匂いが強くなる。
僕は覚悟した。またアレが来る。うん、包帯さんならいい。どんとこいだ。
でも包帯さんは、ちゅ、と僕の口に一瞬口づけすると、すっと離れていった。
た、楽しみにしてたわけじゃないのに、なんとなく残念なのはなぜだろう……。
「ボクは一度、むりやり君のノウォンをもらってしまった。そのおかげで命が助かった。それなのにこれ以上、君を自分のものみたいにするのは許されないよ」
包帯さんは真顔に戻ってそう言った。
ああ、やっぱりこの人は……理性のあるいい人だなあ。
「さて……君の中には大量のノウォンがあって、君は筋肉じゃなくそのノウォンの力で動いてる。まあ、これは基本的にボクも同じなんだけどね。だから、ボクと同じことができるはずだよ」
僕を両手で持ったまま、包帯さんは立ち上がって、僕の首から下……地面に寝かされてる身体に近づいた。
こうやってみると、本当に僕の身体は小さくて、ちんちくりんだ。
きゃしゃな子供の身体。手足が短い。基本的には人間っぽいけど、ちょっとだけ猫背で、指は鉤爪みたいに曲がったままになって
包帯さんはしゃがむと、捧げ持つようにしてた僕をくるりと回し、切れてる首の部分に向けて突き出した。
「さあ、君の身体を見ながら念じてごらん。もう一度くっつけ、自分の頭に戻れ、って。君のノウォンなら、身体を動かすことができるはずだよ」
言われた通り、僕は念じてみる。身体よ動け、僕のところへ戻れ、と。
……なにも起こらない。
もう一度、念じてみる。ちょっと儀式っぽく。
我が身体よ、始動せよオオオオオオ! 我が元へ来たれエエエエエ!!!
……何も起こらない。
気まずい。声が出てなくてよかった。
いつのまにか僕、あの豚の影響を受けてるのかもしれない。そうだとしたらイヤすぎる。
「君の頭の下から首のつけねにつながる、ノウォンの流れを想像してみるといい。いまも、君のノウォンは繋がってるはずなんだ」
後ろから、包帯さんのアドバイス。
イメージする。
……僕の頭の下から、首へ、配線みたいなのが伸びてる。
電気製品の、電池の部分を無理やり外すとなるみたいに、赤や青や緑の電線が、びろーんと伸びてる。
それを引っ張って縮めて、また、もとの形に収納する。
そんなイメージ。
僕の身体が、ほのかな光を帯びはじめた。
首の部分が起き上がって、僕の頭に、ず、ず、と近づいてくる。やった!
もう少し、もう少し……と念じていると、ふと、僕の頭を疑問がよぎった。
電気製品ってなんだ。電線ってなんだ。このイメージ、僕のどこから来たんだ?
そう思ったとたん、身体を引っ張っていた力が消える。
あ、あ、まずい……。
「えい!」
その瞬間、包帯さんの手が僕の頭のほうを動かして、首の断面にバン! とぶつけた。
ガコ! という音とともに、首がつながる感覚。
僕は思わず口を開け、心の中で、エエエエエエエ! と叫ぶ。
すんごく大雑把だったよ、いま!
「よかったよかった、やっぱりできたね」
振り向くと、包帯さんは満面の笑みだった。
☆★☆★☆
頭だけになってから、時間にすればそんなに経ってないだろうけど、自由に歩き回れるのはずいぶん久しぶりの気がした。
身体の動きを確かめるため、カシャ、カシャ、と音を立てながら、焚き火のまわりをゆっくり歩いてみる。
問題ない。不思議だなあ。
僕の身体、なにげに凄いかもしれない。
包帯さんはニコニコしながら、僕を見守ってる。
包帯さんがこうやって立っているのを、身体がある視点から見るのは初めてだ。僕は、ちらちらと包帯さんを観察した。
全体的にほっそりとしてる。背は僕よりはだいぶ大きいけど、女の人としては平均か、ちょっと低めかもしれない。
手足が長くて、俊敏そうな、さっそうとした感じだった。
なお、身につけてるのは相変わらず包帯だ。手足は剥き出し。子供の骨がいうのもなんだけど……けっこうきわどい感じではある。
包帯さんを見てたので、気がつくのが遅れた。
地面に派手に血が飛び散っている。心なしかどす黒い感じの血。豚が頭を割られたときの流血だろう。
なのに……豚の死体は、どこにもなかった。
「気づいたかい。そうなんだ」
地面を見つめて立ち止まった僕へ、包帯さんが歩み寄ってくる。
「致命傷を与えたはずなんだけどね。気がついたら、どこかに消えてたんだよ」
包帯さんは、ため息をついた。
「おかげで、ボクの計画は台無しだよ。……君と、愛の逃避行をしようと思ったのにな」
あいのとうひこう。音は聞こえたけど、言葉がとっさに頭に浮かばない。意外な言葉すぎる。
「万が一だけど、あのグブードンって男が生きてて、依頼主に今夜の報告をしたなら、また敵がボクを探しにくるだろう。……そうなると君と一緒にいて、君を巻き込むことはできないよ」
包帯さんの腕が、僕の肩を抱く。
「君のおかげでノウォン満タンになったいま、ボクには急いでやらなきゃいけないことがある……。だから、一度ここでお別れしなきゃいけない。恩知らずだよね、ボクは」
肩に回された腕に、ギュッと力が入った。そんなことないと、僕は首を横に振る。
「でもボクは、近いうち必ず君に再会して、恩を返す。君をあきらめない。ボクの……はじめての人だからね」
両肩に手がかかって、包帯さんのほうを向かされる。見上げると、また肉食系の表情になってた。あの、若干怖いです、それ……。
「だから、君に贈り物をしたいんだ。……受け取ってくれるかい?」
贈り物が何かわからなくても、こう言われたら拒否する選択肢はないよね。こっくりとうなずく。
「……よかった! じゃあ、少し待っててくれ」
包帯さんは焚き火に近づくと、無造作に腕を火の真ん中に突っ込む。やっぱりこの人は凄い人だ。炎なんて最初から相手にしてない。
ちょっとの間、腕を動かして何か探してたけど、あったあった、といいながら何かを掴みあげた。
それは、ほのかなピンク色の石だった。
ぽん、ぽん、と手で石を弾ませながら、包帯さんが戻ってくる。
「これは結界石っていうんだ。貴重な結晶でね、君を周囲から見つけにくくしたり、体調を整えてくれたりするんだよ。これを、君に贈りたいんだ。君には無事でいてほしいからね」
手のひらに乗せた石を僕に見せながら、包帯さんは言った。水晶みたいな両端が尖った多角形の柱の形をしてて、かなり大きい。おだやかなピンク色にほんのりと発光していた。
包帯さんの気持ちが嬉しい。僕は、もう一度感謝をこめて頷いて見せた。
「うんうん、じゃ、入れるよ」
……入れるって何を?
首をかしげる間もなく、僕は抱き寄せられ、包帯さんの手が、肋骨の下の隙間から、僕の胴体に入ってゆく。その手には結界石が握られている。
「<固定せよ、守護せよ、我が意志よ、我が石よ!>」
声とともに、ガコン! という音が響き、包帯さんの手が僕の胴から出てゆく。あとには胸の中心に、結界石が残された。
ピンク色の光る柱が、僕の胸の空洞に浮かびゆっくりと回転している。
僕は、あんぐりと口を開けた。贈る、って、手渡してくれるんじゃないんだ!
「よしよし、うまくいった。この石は冷気もある程度防ぐから、夜も寒くないよ。君、寒そうだったからね、気になってたんだ」
包帯さんのいい笑顔。優しい思いやり。
……でも、元気になった包帯さんとしばらくやりとりしてると、こう思わざるをえない。
冷静で、頭がよくて、情のある人だけど……実はかなり雑な人なんじゃないか、って。
「それにその石があれば、ボクには君の居場所がわかるんだよ。だから取っちゃ駄目だよ。……取れないけどね!」
そして相当、有無をいわさぬタイプの人なんじゃないかって。
☆★☆★☆
最後に僕をそっと抱きしめたあと、包帯さんは去っていった。
身体を離すと、手を振りながらさっと樹の陰に走り込んで、あ、と思ったらもう姿がなかった。
残された僕はなんだか全身から力が抜けて、焚き火の前に座り込む。
焚き火は結界石を取ったせいか、火の勢いが衰えて、しばらくしたら消えそうだ。
包帯さんが言ったとおり、あの震えるような寒さは消えていたので、焚き火なしでもなんとかなりそうだった。
見上げると、空はわずかに明るくなってる気がする。たぶん、もう夜明けが近いんだろう。
僕は小枝を使って火をかき起こしながら、包帯さんから聞いたことを思い出す。
僕たちがいるこの土地は、ホルウォート島という、とても大きな島らしい。僕はいま、その南端に近いところにいる。
このあたりはラグナ大森林という場所で、魔獣が凶暴過ぎてめったに人が寄り付かないところらしい。
「呪いがかかった森、と言われてるほどさ。ボクも追い詰められていなかったら、ここに踏み入る勇気はなかったよ」
と包帯さんは笑いながら言った。
じゃあ、僕やあの骸骨たちは何者なんだろうか。魔獣に食われて滅んだ住人たちなんだろうか。
「夜が明けたら、必ず移動してくれ。敵がまた来るかもしれないからね……。森を抜けるには北……こっちに歩くんだ」
真剣な顔で包帯さんはそう言い、方角を指差してくれた。その言葉にしたがって、明るくなったら歩き出そう。
だけど、いまは少し疲れた。火を見ながら横になる。
長い夜だった。土の中から始まって、本当にきつい夜だった。
でも、結果は悪くなかった、と思う。包帯さんと知り合えて、彼女の命を助けられた。
名前は、最後まで聞けなかったけど。
あんなにいろいろ教えてくれたのに、自分の名前を教えることだけは、完全に忘れてたみたいだ。
僕も口がきけないから尋ねられなかったしね。
まあいいや。次に会ったときに……。
……そう考えながら、僕は眠りに落ちていった。
僕が目覚めたのは、すっかり明るくなってから。
周囲の光は朝じゃなく、もう昼のものだった。
骨だけになっても、睡眠が必要なのかあ、と思いながら、僕は身を起こす。
樹の高いところで鳴く鳥の声がきこえ、爽やかな森林の空気が流れてくる。
僕はうーんと伸びをしながら、なにげなく自分の胸のあたりを見た。
……そして、思わず絶叫した。
もちろん声は出なかったけど、ギャアアアア!!! と叫んだ。
虫。いろんな虫が、結界石の光に引き寄せられたのだろう、僕の胸の骨にびっしりたかっていた。
肋骨から背骨まで、うごめき這いずる虫、虫、虫。
僕の姿を隠すって言ったけど、虫からは隠せてないじゃん!
どうすんのこれ! おちおち夜眠れないよ!
やっぱり包帯さんは大雑把すぎる人だよ!
……この時からしばらく、いかに虫除けをするかが、僕の最優先課題になった。
これにて第一章は終わり。