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僕からはいいダシが出るようです  作者: 大穴山熊七郎
第四章 マーユの探求
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第1話 途上のマーユ (黒羽)

3年ぶりの続き投稿です。本章は、「第三章 ザグ=アインの奈落」、なかでも「第0.5話 謎めく報告書……レドナドル」を前提としたマーユ・ドナテラのエピソードとなりますので、忘れている方は(というか覚えてる人がいるのかってレベルですが)読み返してみていただければと。

 さまざまな種族の者たちが、女神ノールの導きにしたがい生きる巨大な島、ホルウォート島。

 島の中央部にはザグ=アインという険しい山脈がそびえているが、その北東の丘陵地帯には、多種族が共存して暮らす小国がある。マードゥ混成国という。


 国の中央に最大の都市である首都マトゥラスがあり、西の端にはマトゥラスに次ぐ規模の湖畔の町、レドナドルがある。ふたつを結んで東西に走る大きな街道は、終着点の町の名からレドナドル街道と呼ばれていた。


 そのレドナドル街道を、小型の荷馬車が首都に向けて進んでいる。

 幌をかぶせた荷台の端で、1人の少女が車の揺れに身を任せていた。

 ノール暦327年4月の午後のことである。


 飾り気のない上着と綿ズボンを身に着けた細身の少女は、左足を荷台から垂らし、立てた右膝を両手で抱えて遠ざかる景色を眺めている。

 首からは紐付きの小さな布袋を下げ、薄い茶色の波打つ髪を首の後ろでまとめていた。


 少女の名はマーユ・ドナテラ。

 レドナドルで雑貨店などを営むドナテラ商会の長女で、再来月に13歳になる。


 幼い頃病弱だった面影は全くない。細い身体は強靭で活力に満ちている。

 ノール暦321年初春、6歳時の終わりに命の恩人である骨の子と別れてから、約6年が経っていた。


 マーユが8歳を迎え初等学校で2年生になる頃、ドナテラ家に男児が誕生した。両親のダニスとラホは仕事でも家庭でも多忙になり、彼女は一時的にやや放置された状態になった。

 マーユは店や家事を手伝い、弟を可愛がり、模範的な子供として振る舞いつづけた。そしていつのまにか、感情をあまり表に出さない無口な少女になっていた。

 両親、とくに母親のラホは、マーユが幼少時の天真爛漫さを全く見せなくなったことに心を痛め、罪悪感を感じているようだった。


 が、おそらくマーユにとって、それは自然な変化だったのだろう。

 彼女はおとなしくなったわけでも内気で暗い性格になったわけでもなかった。

 いじめっ子を見たら無言のまま突っ込んでいって殴る即断即決の武闘派少女として、子供たちの間で頼られ慕われ、同時に怖れられるようになっていった。



☆★☆★☆



「あと2時間ぐらいでコドに着くって」


 マーユにそう声をかけながら、金髪の少女が幌の中から顔をのぞかせた。さらさらの金髪を白いヘアバンドでまとめ額を大きく出した、知的な印象の少女である。


 マーユは身体をひねって彼女のほうを振り向くと、わかったとうなずく。コド村はマトゥラスとレドナドルのちょうど中間にある街道村で、ドナテラ一家が毒の地ドゥラカスに住んでいた時期にダニス・ドナテラがたびたび買い出しに来ていた場所である。


 荷馬車は街道を守るように生える大円樹をくぐりぬけるところで、半輪の巨木に絡みついた葉は午後の強い日差しを受けて輝いていた。


「日差し、けっこう強いね。中に入ったら?」


 金髪の少女が言うのにマーユは首を振ると景色を眺めるのに戻った。それを見て金髪少女の顔は幌の中に引っ込んだが、しばらくしてまた顔を出した。


「まだ見てるの。そんなに家が気になるなら、いまからでも戻る?」


 歩み寄りながら、金髪少女は少しいたずらっぽい声で聞く。マーユはまたわずかに首を横に振った。


「見てるのは山。ザグ=アイン」


「ああ。昔から気にしてたよね。山のなにがいいのか、私にはわからないけど。はいこれ」


 少女はマーユの隣に危なっかしい足取りでやってくると、両手に持っていた銅製のコップを両方マーユに差し出す。マーユはうなずくと受け取ったコップをどちらも床に置き、隣に座ろうとする少女の腰を手で支えて補助した。

 少女が無事に腰を下ろすとコップのひとつを少女に返し、もうひとつのコップにゆっくりと口をつける。中身は果実水のようだった。


 金髪の少女はサリーレ、愛称をサリーといい、マーユにとってはレドナドルでもっとも古い友人である。骨の子がいた冬、雪ごもり会という女児の集まりにマーユを最初に招待したのが彼女だった。それ以来ずっと交友が続いていて、親友と呼んでもいいほどの仲ではあった。


 が、親友というには大人の利害関係が影を落としすぎていた。サリーはルグランジュ商会レドナドル支店長の娘である。6歳の冬に彼女がマーユを雪ごもり会に誘ったのも、親から命じられてのことだった。


 レドナドルの顔役として存在感を増していくドナテラ商会と、マードゥを代表する二大商会のひとつであるルグランジュ商会。連携しつつ緊張関係にある両者をつなぐ橋のひとつが娘たちの友情だった。マーユはともかく、サリーはそのことをよく自覚していて、自分たちの友好に不純物が混じっていることを皮肉まじりに受け入れていた。


「もう5年ぐらいたつのかな、山に入れなくなって。たまに岩人が石売りに下りてくるらしいけど、山でなにが起きたのかは全然しゃべらないらしいし。謎だらけだね」


 マーユと並んではるか彼方に霞むザグ=アインの山並みを見ながら、サリーが言う。マーユはなにも答えず、じっと山を見ている。左手は首から下げた小さな袋を軽く握っていた。サリーはマーユの左手にちらりと目をやる。


 彼女は袋の中身についてはおそらく何も知らない。が、2年前にそれを手に入れてから、マーユが変わったことは感じているようだった。


「せっかく首都の学校に行くんだから学校の寮に入りたかったな。父さんがルグランジュの寮なら寮費タダなんだからそっちに行けってさ……。ほんとケチなんだから!」


 サリーは軽く伸びをしてぼやいて見せてから、隣のマーユに笑いかけた。


「マーユはいいなー。学校寮に入れてさあ」


「よくない。自由がきかない」


 小声でそう言うマーユに、サリーはなおも笑って話しかける。


「そう言わないの。おじさんおばさんの過保護っぷりを見たら、マトゥラスに1人で出してくれるだけで奇跡的なんだから」


「……それはそうだけど」


「門限は夕方、買い食い禁止、ほんとガチガチだったもんね」


「……ん。ゼージャ(棒詰肉)、いつもありがと」


 サリーの言葉どおりダニスとラホはいまだにマーユの身体を心配しており、学校帰りの寄り道も飲食も許されていなかった。マーユは禁則を律儀に守っていたが、育ち盛りにはかなりつらかったらしい。サリーが時々気を利かせて、ゼージャ(棒詰肉)という、細長い筒に薄切り肉を数種類詰めて煮こごりとともに押し固めたマーユの好物を、こっそりかわりに買ってきてあげることがあった。


「マトゥラスの屋台のゼージャも美味しいらしいよ。レドナドルとは材料が少し違うらしくて。ね、一緒に食べ歩きに行こうよ」


「……いい。それいい。やりたい」


 マーユは夢見るような眼になって空を見上げた。見えているのはおそらく固めた肉の幻影だ。


「そうだよそうだよ、いっぱい遊ぼうよ! 一度きりの学生生活だもん、楽しくやんなきゃ!」


「……」


 マーユは空を見たまま何も答えない。


「ね、だからやめてね。勝手にどっか行かないでね。それも、あの犬なんかと……」


 サリーの言葉は急に説得口調になった。


「……犬じゃないと思うけど」


「犬で十分だよあんなの!」


 マーユはやっと視線を地上に戻すと、サリーのほうを見て手を伸ばした。


「……気を使わせちゃって、ごめん。知ってるとは思わなかった」


「うー……」


 サリーは頭を撫でられながらうなる。


「はっきりとは知らないの。でも新年になったころ、父さんがものすごく慌ててて、夜中におじさんたちに会いに行くって……。ねえマーユ、ほんとに家出……したの?」


「家出……なのかな。旅に出ようとは思って、ザグ=アインの麓までは行った。吹雪で立ち往生しちゃって、みっともなかったけど……」


「そりゃそうだよ! 冬にザグ=アインに登るとか、子供には絶対ムリだから! マーユう……せめて私に相談してよ……」


「……ごめん」


「うー……」


 マーユの細い指で髪を梳かれながら、サリーは口をとがらせた。


「なんで私じゃなくてあの犬なのよ……。そりゃ私はあいつより知り合うのが遅くて、例の子にも会ったことないけど……」


 そこでサリーの背中がこわばり、うかつなことを口にしたという気配を漂わせた。


「……ごめんなさい」


「謝ることない。でも、びっくりした。もうほとんど憶えてる人なんていないと思ってた」


 マーユはかすかに笑ってみせる。


「……町の人は、ほとんど忘れてると思う。うちの父さん、そのときにダニスおじさんと知り合ったらしくて。ものすごく怒ってて怖かったって、酔っ払うといまでも言うから。だから印象に残ってて。マーユやおじさんたちの顔色とか犬の雰囲気とか見て、なんとなく、骨の子が関係あるのかなって思ったの」


「コボネだよ」


「え?」


 マーユの語調が突然強くなり、サリーはきょとんとする。


「名前。コボネだよ。私がつけた」


「そ、そうなんだ」


「みんな、見なかったことにしてて。例の子とか骨の子とか。幽霊みたいなあつかいで。でも」


 夕刻のオレンジ色に染まりはじめるザグ=アインを見つめながら、マーユは言う。


「コボネは、確かにいたんだよ」


 その口調は、どこか自分に言い聞かせるようだった。

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