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僕からはいいダシが出るようです  作者: 大穴山熊七郎
第三章 ザグ=アインの奈落
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第15話 料理の時間


 翌日にまたリーカがやってきて、母親から聞いたことを教えてくれた。

 やはり羊の乳のスープは、ナドラバのお母さんじゃなくお父さんの家に伝わる料理だったらしい。

 ナドラバのお父さんはザグ=アインの北西の麓の、レメディス幻想国に近い岩人集落の出身だったそうだ。例のスープはその集落でよく飲まれていたようで、お父さんの好物でもあった。それで結婚したあとナドラバのお母さんも作るようになった、ということみたいだ。


「なるほど……。しかし離れ集落の郷土料理だとすると、レシピを手に入れるのは簡単ではありませんネ。離れ集落出身の人は数が少ないですし、いちいち名乗ったりしてませんしネ……」


 フェイデさんが困った様子で腕を組む。


「お母さんモ、ナドラバ兄のお父さんノ家族や親戚のことハ知らないみたイだっタ」とリーカ。


「なら、御子の記憶から再現して何度か作ってみればいいじゃないですカ! なんか燃える展開ですよそういうノ!」


 ライダナさんはネテラさんに劣らないぐらい前向きだ。


「そうですね、味覚の鋭い御子ならあるいは……。御子、そのミルクスープに入っていたもの、書いてみていただけますカ」


 とフェイデさん。そう言われても、飲んだのは夢のなかだよ……。

 精神を集中して、かすかな夢の記憶を辿って、なにが入っていたか思い出してみる。


 基本はミルクだ。でも、そんなに濃い味じゃない。

 玉ねぎ。甘い玉ねぎ。

 小さな、ほくほくする粒……たぶんイモ。

 スープの上に散った、細かく刻んだ緑の野菜。名前はわからないけど、青臭い香り。

 そして、キノコ。その名だけ、ナドラバの記憶になぜかあった。ポレントーニ。

 ベースになる味は……たぶん、肉のダシ。


 石板に材料を書いてゆくのを、女性三人はうなずきながら見てる。


「うんうん、思い出してきましたヨー。私が昔飲んだのもそんな感じでした。イモはジャルリープじゃないかな? 山地で育つんですヨ」


「私も思い出してきました。私の記憶では人参も入ってましたガ……緑の刻んだ野菜はたぶんバルレリです。匂い消しに使う香りの強い野菜ですネ」


「おいしソウ……。私は料理できないケド……」


 フェイデさんがすぐ買い物に行き、近所でそれらしい材料を買い集めてきてくれた。桶に入ったミルク、紫色の玉ねぎ、小ぶりなじゃがいもに見えるジャルリープ、パセリによく似たバルレリに、子供の親指みたいな形をしたポレントーニ。


「うちには作り置きのブイヨンがあるから、ベースはそれを使いまショ」とライダナさん。巫女の二人はてきぱきと調理の準備を進めてゆく。


 まず野菜類を細かく刻む。ポレントーニは薄くスライス。玉ねぎを弱火でじっくり炒める。そこにブイヨンを注ぎ、ジャルリープとポレントーニを加えて少しの間煮込む。


「ジャルリープ溶けちゃわない?」とライダナさん。


「少し溶けたほうがとろみがついていいんじゃないかナ」とフェイデさん。


「いやいや、それはない!」


 いきなり二人の意見が対立したけど、試作だからと今回は入れることに。ここまで僕は全く口出ししてない。料理上手な二人の段取りを感心して聞いてるだけだ。ちなみにリーカは早々に参加をあきらめ、台所の隅の椅子に座ってお茶を飲んでる。


 長い間は煮込まずに適当なところで鍋を火から外し、ミルクと塩こしょうを加えてまた火に戻す。羊の乳の濃厚な匂いが漂いはじめる。僕は鍋をかき回す役に志願し、踏み台の上に立って鍋をのぞき込んでる。せめてこのくらいはやらないと。時々フェイデさんが味見をしてるけど、反応はよくわからない。


「もういいでしょう。ミルクが入ってますから、あんまり煮込む料理じゃないんですヨ」とフェイデさん。


 火からおろしてバルレリを上から散らす。乳白色のスープの中にベージュ色のジャルリープの粒と茶色いポレントーニが見え隠れしてる。夢で見たスープにそっくりだ。


「じゃあ試食ですネー! 御子、ふーふーしてスプーンで舌に乗せてあげますヨ!」


 ライダナさんは言葉通りにしてくれ、口を開けろと仕草で要求してくる。

 僕は恥ずかしいのをこらえてあーんと口を開ける。

 やたらにドキドキする。これは、たぶん僕のなかのナドラバが感じてる気持ちだ。

 

 ミルクの匂いのするその液体が、僕の石の舌に触れた。

 そして……ナドラバが、とても微妙な気持ちになってるのを僕は感じた。


 うん。あんまり美味しくない。


「……ああ。うん、やっぱり。この味です。私が昔、旅ノ途中で食べて辟易した味ですヨ。……御子も思ったノと違われたようですネ」


 フェイデさんが、ニコリともせずスプーンを口に運びながらそう言う。


「ちょっト濃すぎル。羊の乳、臭いよネ」


 とリーカも微妙な顔で批評する。

 そうなんだよね……。羊のミルクって獣臭い。バルレリで臭みが消せるのかなと思ったけど、クセがしっかり残ってた。

 最初の試作は、失敗だ。

 

「でも、この臭みって簡単に消せないよネ? どうするんだろう……。御子、なにか思い出したりしませんか?」


 ライダナさんにそう言われて記憶を辿ってみるけど……他に入ってるものはなかったように思う。


「となると、下ごしらえに秘訣があるのでしょうか。今はわかりませんネ……」


 フェイデさんがため息をつく。結局解決策を思いつけないままその日の試作はおしまいになり、女性たちはそれぞれ仕事に戻っていった。


 夕方、僕はライダナさんとフェイデさんに頼んできれいな水が入った桶を用意してもらった。

「なにをするんです?」と興味しんしんのライダナさんに、僕からはおいしいノウォンが出て水の味がよくなることを説明する。

「ハ?」と声をあげてライダナさんは固まってたけど、深くは追求せず桶を部屋まで運んでくれた。

 僕は骨だけの右手を丹念に洗ってきれいにすると、桶の水につっこんだまま寝るまでを過ごす。

 我ながらなにやってるんだろうとも思うけど、ラホさんが絶賛してたし、美味しくなった水とやらがどんな味なのか知っておきたい。


 その夜は夜中まで右手を水につけたまま過ごして、味見もせずに眠ってしまった。



☆★☆★☆



 翌日の朝。

 昨夜仕込んだ水桶を台所にえっちらおっちら運ぶ。

 朝ごはんを食べ終えてお茶を飲んでたフェイデさんが、あわてて近づいてきて桶を受け取ってくれる。

「ははあ、これが……」とライダナさんが水を微妙な目つきでのぞき込んでた。

 無理もないと思います。僕だって、知り合いの手が浸かってた水ですといわれたらそんな顔になる。


 フェイデさんが水差しに水を入れて渡してくれる。傾けて舌に雫を落とそうとして、ちょっと僕は固まった。

 やっぱり、自分の味がする水を口にする、って抵抗がある。

 意を決して一滴舌に落とす。


 (!!!!)

 予想と違った。味はない。いや、あるんだけどものすごく微かだ。動物系でもない、植物系でもない味。なんだろう……味覚の遠い遠いところに、爽やかな残響みたいなものだけがある。具体的な味は遠すぎてわからないんだけど、その響きは水の味にたしかに影響を与えてた。


「ああ……なるほどこれハ……」と、スプーンで一口飲んだフェイデさんがため息のような声を吐き出しだ。


「たぶん、この水、ものすごく身体にいいです。このかすかな味は治癒の成分ですヨ。ほら、飲んだとたんに私もすっきりして元気になってきました」


 うーん、たしかに深い味がするのは感じたけど、僕にはなんの影響もないようだ。もとは自分のものだから当たり前か……。

 そう考えてると、ライダナさんがふいに僕の肩に両手をかけてきてビクッとする。


「御子! これならいけますヨー! ルズラ様の毒も治せるかも! ありがとうございます御子!」


 お礼を言うにはちょっと早いと思うんだけど……。でもその反応はとてもうれしい。


「この味からすると……水ではなくお湯を使えば味が変わるかもしれませんネ。もっと濃い感じになって、補完的なダシとしても使えるかも……。可能性がひろがりますネ」


 フェイデさんはそう呟いて、しきりにうなずいている。ラホさんも同じようなこと言ってたな。


「よーし、やる気出てきましたヨー! 御子、いっしょに市場に行きましょう! 今から!」


 ライダナさんが僕の両肩に置いた手に力をこめる。


「市場? いきなりどうしたの?」とフェイデさん。


「ミルクの臭い消しの情報を集めるのヨ! だってこのへんでその手のことに一番詳しいのは、たぶん市場のミルク売りのおじさんだもの!」


 なるほど。たしかにすぐ会いにゆける羊の乳の専門家といえば、市場でミルクを売ってる人だろう。フェイデさんも「それはそうネ」と感心してる。


 フェイデさんに留守番を頼んで、僕とライダナさんでデエルレスクの市場に出かけることにした。といっても町の中央近くにある大きな市場じゃなく、ご近所にある小規模なところだ。

 お昼過ぎでお客さんは少なく、立ち並ぶ店舗や露店にはちょっと緩んだ空気が漂ってた。


「御子、ここですヨここ!」


 ライダナさんは言いながら店舗のひとつに入ってゆく。店内はひんやり涼しく、奥には陶器の大きな壺がずらりと並んでた。壺の蓋の上にはひしゃくが乗せられてる。そのさらに奥に小太りの岩人が座り、うつむいてなにか計算してる。


「ミルク売りのおっちゃん、こんにちハー」とライダナさんが明るく声をかけた。


「……おう、祭殿の巫女さんカイ。昨日はおとなしいほうガ買い物に来てくれたが、今日はあんたカイ」


「やだーおっちゃん、私もおとなしいでショ!」


 二人は軽い冗談まじりの会話を始める。僕はその間店内を見回してた。

 そして壺に貼ってある値札を見て、あれっと思った。

 値札にはこうある。「厳選 羊のミルク ひとすくい38ディナ」と。

 ディナはデエルレスクの通貨単位で、38ディナは安い飴を1個買ってちょっとお釣りが来るぐらいの値段だ。

 何かが引っかかる。

 僕は考え込み……そして、思い当たった。


 ナドラバの幼年時の記憶だと、デエルレスクで羊のミルクを買うのは高くつくということになってた。

 両親はお金に糸目をつけずに贅沢なスープを飲ませてくれてた、とナドラバはたしかに記憶してる。

 なのに、いまここにある羊のミルクはぜんぜん高くない。


 僕は石板を出し、急いで文字を書きつける。

 おしゃべり中のライダナさんの袖をひいて、石板を見せた。


「えっ……あ、うん、わかりました御子。ねえおっちゃん、羊のミルクってこれ一種類しかないノ?……もっと高級品のミルクがあったりしなイ?」


 ライダナさんは僕がお願いしたとおりに質問してくれた。


「……オウ、よく知ってるな巫女さん。西の離れ集落で取れる羊の乳も扱ってるゼ。草が違うらしくてナ、臭みが少ないんだよ。ただ、羊の乳としては馬鹿らしいグライ値が張るんだ。いまは料理店に卸すために扱ってるだけダ」


「どのくらいするノ?」


「驚くなよ、ひとすくい200ディナダ。コップ一杯のミルクで安い定食が食えるゼ」


 それだ!

 たぶんその高級なミルクを使うことが、ナドラバのスープを作る秘訣なんだ。

 ライダナさんも同じことを考えたらしく、目を輝かせておっちゃんのほうに身を乗り出した。


「ねえ! そのミルク、いま在庫あるノ? あるなら全部買うワ!」

次話「記憶と治癒のスープ」は、明日18時投稿予定です。

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