第14話 はじめての水
僕らが岩人王の牢から帰還して三日が過ぎた。
ボルクさんのところに残ったリーカは実は僕らより少し先に家に帰ってて、持ち帰ったハルエリートの加工に取りかかると翌朝連絡が来た。作業に没頭してるようなので訪問は控えてる。
ガジルさんはあれだけ頭を打ったのに一日休んだだけで完全に回復したそうだ。
牢に入れたままにしてたコーダジュは衛兵が確保してあらためて収監した。王族たちの死体もみな回収されてひそかに埋葬されたみたいだ。
ルズラさんは、ガリアスが盛った毒からなかなか回復しなかった。
対地霊に特化した、かなり凶悪な毒だったらしい。とりあえず命に別状はないけれど、身体からノウォンがほぼ抜けてしまい全く力が入らないようだ。
ネテラさんがつきっきりで看病してて、僕やガジルさんは部屋に入ることも許されていない。
「ルズラが山頂まで御子を案内するのはこのままじゃ無理だと思う。でも、ルズラの病状がもう少し落ち着いたら、あたしが案内するから! もうちょっとだけ待ってて、ね?」
ネテラさんはそう言って僕に軽く頭を下げた。<無理しないでも、いつまでも待ちますから>と僕は書いて見せたんだけど、大精霊長をあんまり待たせるわけにもいかないらしい。それもそうか……。
僕は三日間、外にも出ず部屋で過ごした。とはいえ寝てばかりいたわけじゃなく、ボルクさんから教わった左眼だけの奥義発動を何度も練習してた。だいぶ慣れてきて、ごく狭い範囲だけを見ることもできるようになってきた。
夢の残り火でナドラバに会える時間はますます短くなってた。ボルクさんをどう思ったか聞いてみたかったけど、焚き火に並んで座ると、話をする暇もなく夢は終わってしまう。
僕をむしばむあの寒さは少しずつ強まり、自室では昼も毛布にくるまって過ごすようになってた。
☆★☆★☆
リーカがハルエリート製の舌を届けにきた。
僕とライダナさんで出迎えて、居間に通す。
「出来たヨ。予備も作っタ。確かめテ」
差し出されたのは、二枚の札みたいな物体だった。僕の手のひらの三分の二ぐらいの大きさで、先のほうが丸く削ってある。表のほうは鈍い銀色だけど裏は薄緑で、二層構造になってた。なのに、持つと紙に近いぐらい薄くて軽い。
「ハルエリートは思ったより粘性がなくて割れやすかっタ。だから下に粘りのある石を貼りつけてあるヨ。あと、舌だからネ。味をよく味わえるようニ、中央を少しダケ凹ませてあるヨ」
「まあ……なんて丁寧な仕事なの。愛ネ! リーカちゃんの御子への愛を感じるわヨ!」
「いやアノ……仕事だかラ」
「ううん、ごまかさなくていいノ! ああ!」
……ライダナさんが暴走してる。なるほど、このノリで僕の予定をリーカに教えてたのか……。
「でもサ、どうやって口の中ニ固定するノ?」
そうなんだよね。そのあたりはルズラさんが任せてくれと言ってたんだけど、いま、ルズラさんに負担はかけられない。
「その桃色の石、調べさせテくれたラ同じこと出来るかもヨ」
リーカの眼が輝く。やっぱりそれしかないかな……と思いかけたとき、フェイデさんが近づいてきた。
「地霊様がたが、御子とリーカさんに部屋まで来てほしいと言っておられマス」
「え!? ネテラ様も承知のこと?」とライダナさんが驚いた声を出す。
「エエ」
「あんなに部屋に入ることを制限されてたのニ……。ルズラ様の体調がよくなったのならいいけど……」
ともかく部屋まで行くことにする。
祭殿の奥の扉をノックして、「どうぞ」というネテラさんの声で中に入る。
聞いてたとおり、ルズラさんの部屋は質素そのものでがらんとしてた。
部屋の奥に白い絨毯を敷いたスペースがあり、四隅に水晶でできた特別そうな燭台が置かれてた。中で普通とは違う青い炎が燃えてる。たぶん結界みたいなものを作る道具なんだろう。
スペースの中央には小さなベッドが置かれて、ルズラさんが目を閉じて横たわってた。
「ルズラが言うこと聞いてくれなくてさ……。舌ができたって聞いて、どうしても自分でやりたいって……」
ネテラさんが小声で言う。
「……当たり前です。……だいたいネテラ、貴方は私を病人扱いしすぎですよ……」
ルズラさんがそう言ってゆっくりと目を開いた。
でも声を聞けば、病人扱いは仕方ないと思う。普段とまるで違う小さく囁くような声には、覇気が感じられなかった。
「できた舌、見せてあげて」
ネテラさんが言う。右手に持ってた舌のうち一枚を、ルズラさんのすぐ上にかざす。ルズラさんはじっと見て、ふ、と微笑んだ。
「……いい仕事をしましたね、リーカ……。では御子、お手数かけますが口をお開けになり……舌を両手で口の中に入れてくださいますか……」
うなずくと、言われたとおりにした。なんとなく間抜けな格好だけど、いまは気にしない。
「そのまま、私に顔を近づけて……。そう……もっとです……」
横たわるルズラさんに、口の中に指を突っ込んだまま覆いかぶさる。熟した果実の匂いがする。ルズラさんはいつもやるように、両手を上げて僕の顔を撫でた。その手が震えてることに僕は驚いた。よく見ると、身体全体が細かく震えてる……。
「ノウォンをつなぐ……要は、そういうことですよ……。はっ……」
カチリ、と何かがはまる感覚があった。包帯さんに結界石を入れられたときと同じだ。
手でつまんでた舌を少し引っ張ってみる。動かない。ほんとに不思議だけど、見事に固定されたみたいだ。
「さあ……これで味覚を取り戻されましたね、御子……」
ルズラさんはうっすらと微笑んだ。僕は黙って、深々と頭を下げた。そして、こっそりと呪文をつぶやいた。
ナドラバの大地叫喚。左眼の視覚を発動させてルズラさんを見た。
ルズラさんは胸を中心に、慣れてきた僕でも一瞬目がくらむほど強い光をはなってた。でも、その光には紫色がまじり、脈打つように明滅してる。
この紫色、地下で見たクラビの光と同じだと思う……。ルズラさんとクラビは、同種の毒に蝕まれてる可能性があるんだ。
だとしたら……楽観できない。
僕は目をあげて、ネテラさんを見た。そして意外な事実を発見した。
ネテラさんは、ほとんど光ってない。ごく薄い黄色っぽい光を、全身からぼんやり放っているだけだ。
……同じ地霊なのに、こんなに光りかたが違う。ネテラさんは戦う力が自分にはないと苦い口調で言ってたけど……。
「御子? どうしたの?」
ネテラさんが不思議そうに聞いてくる。僕は黙って首をふり、ルズラさんにもう一度頭を下げて感謝の意をあらわした。
「いいのですよ……。ものを食べた感想、あとで聞かせてくださいね……」
ルズラさんは静かに微笑み、目を閉じた。
「ルズラはしばらく眠るから、そろそろ、ね……」
ネテラさんが小声で言い、僕らは音を立てないように部屋を出た。
☆★☆★☆
最初に味わうものとして僕が選んだのは、水だった。
コップで飲むと舌に触れたあとぜんぶ床にこぼれてしまうので、先が細くなった病人用の水差しを使うことにする。フェイデさんが僕用にあらかじめ買ってきてくれてたらしい。有り難いな……。
水がはじめて舌に触れた瞬間のことは、ずっと忘れられないだろう。
なにか、表現しようがないけど鮮烈なものが全身を走りぬけた。
僕が見て感じてた世界から、半透明のヴェールみたいなものが一枚引き剥がされる感じだ。
目を上げると、たしかに世界は一段階、いままでよりくっきりと鮮明に見えてた。
ぶるっ、と僕は身震いした。寒さでじゃなく、感動で。
僕は本当はもう死んでるのかもしれない。僕が本当は何者なのか、ずっとわからないままかもしれない。
でも、僕は味覚を感じることができる。僕には美味しさがわかる。
本当はどうであれ、僕は、自分が自分として生きてることを感じられるんだ。
「よかったネ、嬉しそうだネ、御子」
見ていたリーカが柔らかい声で言った。ライダナさんとフェイデさんはその後ろでニコニコしてる。
僕は大きくうなずいた。そして、石板を取り出した。
<皆さんのおかげです。>と、まず書く。女性たちの笑みが深くなった。
<だから、恩返しにスープを作りたいんです。ルズラさんを癒せるスープを。>
そう、ただナドラバの好物の味を再現するだけじゃ足りない。
僕から出るノウォンに、強い癒やしの力があることは知ってる。だから、僕は僕に出来る最高のミルクスープを作ろう。
それを飲んでもらって、ルズラさんが少しでも元気になるように。
<協力してください。お願いします。>
僕はそう書いて、頭を下げた。
☆★☆★☆
スープ作りは、まず情報収集から始まった。
ライダナさん、フェイデさん、それにリーカが協力してくれることになったので、羊の乳のスープについて聞いてみる。
「そうですねエ……。料理店などで何度か飲んだことがあります。どちらかといえば高級なスープだと思いますヨ」
ライダナさんが頬に手をあてて答える。
「若いころ北部を旅をしていた時に一度か二度、飲んだことがありますネ。臭みがあって、正直あまり好きではなかったですが……」
と、少し申し訳なさそうに言うフェイデさん。
「実はネ、私は飲んだことがないヨ。私のおかあさんはナドラバ兄のおかあさんの妹だケド、作ってくれたことナイ」
そしてリーカは意外なことを言い出した。
ということは、ナドラバの母方に伝わる料理じゃないのか……。
「今夜、おかあさんに聞いてみるヨ」とリーカは言い、軽く手を振って帰っていった。
見送ったあと部屋に戻ろうとすると、ライダナさんに腕を掴まれる。
「御子、どこへいらっしゃるんです。今日は御子ガ味覚を取り戻した記念日ですヨ。パーティーです!」
破顔するライダナさんの頭をぽかりとやってから、フェイデさんも笑顔になる。
「ルズラ様が寝ていらっしゃるので派手なことはできませんが……もしよろしければ、台所でいろいろな味を試してみませんカ? きっと楽しいですし、スープ作りの基礎を固めるって意味でもいいと思うんデス」
<いいんですか?>と書いてみせる。
「エエ、もちろんですヨ!」
「サアサア、行きましょう行きましょう!」
やけに浮き浮きしたライダナさんに背中を押され、僕は台所にお邪魔することになった。
最初はいろんなお茶を水差しに入れて雫を舌に乗せてみる。岩人が好むのは軽く発酵させた茶色いお茶で、渋みの中に少しだけ甘みがあって美味しかった。
「御子の味覚は素晴らしいですネ。このお茶とこのお茶の区別がつくなんて! じゃあ、今度はこれはどうデス?」
フェイデさんが言い、新しい水差しを差し出す。途中から味覚テストになってきてる。
「ねえフェイデ、お茶比べもいいけどそろそろ食事のほうも試そうヨ。なんか作ろ?」とライダナさん。
二人はとても料理が上手いみたいで、ありあわせの野菜を刻んで小菜をいくつも手早く作っていき、僕用にすりつぶして舌に乗せてくれた。
フェイデさんが言うように、僕の味覚はかなり鋭いみたいだ。重なり合ってる材料や調味料の味を、なんとなくだけどひとつひとつ分けて感じることができる。楽しい。味わうのは本当に楽しい。
岩人が好む料理は薄い塩味が中心で、そこにほんのり香る調味料がいくつか入るパターンが多かった。とくに油に香りをつけてさっと炒める料理が美味しい。
食材はキノコと野菜を多用する。肉も使うけど、海鮮物はいっさいなかった。山の中だから、当たり前といえば当たり前だけど。
気がつくと夕方になってて、いつのまにかライダナさんはお酒を飲み始めてた。
「……もう! 御子を誘ったのもそれが狙いだったのネ。見ればお酒のつまみ系ばっかり作ってるし……」
フェイデさんは腕を組んで睨むけど、ライダナさんはにへらにへらと笑ってる。
「いやいや……御子を思う気持ちはホンモノだヨー? それはそれ、これはこれ!」
やれやれと呆れた様子のフェイデさんだけど、強く咎めはしなかった。小皿料理を少しずつ食べながら、ルズラさんに呼ばれるかもしれないからと自分はお酒を飲まずにライダナさんの話につきあってる。
その夕べ、僕はライダナさんとフェイデさんの話をはじめてゆっくり聞いた。
二人とも孤児で、別々の孤児院からルズラさんの祭殿に来たこと。ルズラさんの巫女として求められてるのは、いざというときの戦闘能力と、特別な行事のときの指揮能力であること。だから毎日戦闘訓練を続けて、料理の腕も磨いてること。……でも、ルズラさんは突然十年も消えてしまい、とても心細かったこと。
「ルズラ様に育てていただいて、今の私たちはどこに行ってもなにをやっても暮らしていけるぐらいになりました。でも、やっぱりルズラ様にお仕えして暮らしたいんですヨ」
「そうそう! この冬の王宮制圧はアツかったワ! アアまた暴れたい……」
「やめてライダナ、御子ガ怯えていらっしゃるワ」
い、意外と武闘派なんだね……。
夜が更けるにつれ二人の話は町のゴシップからガジルさんの噂まであちこちにとりとめもなく飛び、僕は水差しに入れてもらった果汁を味わいながら、台所の隅で眠くなるまでの時間を過ごした。
次話「料理の時間」は、明日18時投稿予定です。