第10話 守り人の嘆き
僕の時間の感覚は頼りない。いつもそう思う。
何かあるたび、どのくらい時間が経ったのかわからなくなり、現実なのか夢なのかはっきりしなくなる。
さっき、このアイン=ランデという場所に滑り落ちてきたときもそうだった。
今もそうだ。もう長い長い間、前をゆく者のほとんど見えない背中を追って歩いてる気がする。
(僕は、暗闇から暗闇をめぐる巡礼だ……。)
そんな言葉が頭に浮かぶ。
……バカバカしいよね。
実際は、石細工職人の女の子に助けてもらって後をついてってるだけだ。
カッコよさげな自己妄想の余地なんて、何もないのに。
「着いたヨ」
とりとめのない考えに浸ってぼうっとしてた僕は、リーカの声で我に返った。
リーカの背中から横にずれて、前を見る。
そこは小さな野営地だった。獣の皮で作られたテントがあって、四方にランプが置かれてる。
「ひいおじいちゃん! リーカが来たヨ」
リーカがはずんだ声で呼ばわった。すると、少し間があって声が返ってきた。
「大きい声出さんでも、聞こえとるわぃ……」
その声がどこから発せられたのか、僕にはよくわからなかった。でも下だ。地面の下から聞こえた気がする。
と、リーカのすぐ横の地面が、ぼこり、と盛り上がり、岩みたいなものが隆起してくるのが見えた。
「ひいおじいちゃん!」
その岩に向かってリーカが呼びかける。
「リーカよぅ……おまえ何を連れてきたんじゃ、ここに……」
岩の上部に突然眼が現れ、僕のほうを厳しく見据えた。
☆★☆★☆
ランプの光のもとで見ると、リーカのひいおじいさんは本当に小さい。僕でも両手で抱えられるぐらいだ。
縦より横のほうが少し大きい。全身がゴツゴツした灰色で、首らしきものはなく、腕はそれなりにあるようだけど足はあるのかないのかわからないほど短い。
つまりは、岩人というより小さな岩のかたまりに見えた。
僕たちはテントの中にいる。ひいおじいさんと同じぐらいの大きさの火鉢が中央に置かれてて、それを囲むように座ってる。
「ひいおじいちゃんだヨ。私たち一族の真の長。アイン=ランデの守り人」
リーカは誇らしげに、僕にそう紹介する。
「リーカよぅ……おまえはわかってんのかぁ。得体しれないもんを、アイン=ランデに連れ込む意味がよぅ……」
ひいおじいさんの声は小さいけど重々しくて、リーカは一転、怯んだ声になる。
「だっテ……おじいちゃんガ困ったらここに連れてけっテ……」
「……バカ息子め、親より先に耄碌しやがったかよぅ……」
独り言みたいに呟くと、ひいおじいさんは焚き火の向かいにいる僕に黄色くて鋭い眼を向けた。
「……おいそこの、も少し近づいて、儂に顔よく見せぃ……」
言われたとおり、座ったままずりずりと前に移動して火鉢にぎりぎりまで近づく。
ひいおじいさんに凝視されると、まるで視線で貫かれるみたいだ。
「……なんじゃ……混じっとる……混じっとるな……なんじゃこりゃ……」
僕を見つめたまま呪文みたいな言葉を吐き出す。
……こ、怖いんですけど。
見かねたのか、リーカが口をはさむ。
「ねエひいおじいちゃん! この子、地霊のルズラ様ニ御子って呼ばれる子だかラ! 不思議な力があるみたいなんだヨ!」
「……地霊だとぅ……んなもん、なんの値打ちもありゃせんわぃ……」
冷たい声だった。
「リーカよぅ……おめえにも教えなんだかぁ……地霊なんぞ崇めるな、儂らが大事にすんのは<親方>だけだとよぅ……」
「だ、だかラ私は、ひいおじいちゃんに教わった言葉で術を使ってるヨ……。でもサ、ルズラ様は私たちのこと考えてくれル、わりトいい人なんだヨ……」
「……ふん……まあええ、あやつらも可哀想な者たちじゃぁ……。儂ゃそれより、そいつの気配が気になってならんわぃ……」
可哀想な者たち? ルズラさんやネテラさんが、可哀想?
たしかにガリアスっていう地霊はなんだか愚痴っぽくて哀れっぽかったけど、あとの二人には全然似合わない言葉だ。
「……おい、その胸の中にあるんはなんじゃぁ」
ひいおじいさんにひときわ厳しい目で睨みつけられる。
「ひいおじいちゃん、その子、口がきけないかラ!」
リーカが懸命にフォローしてくれる。
「ふん……おまえ、火ぃ回って儂の隣に来いやぁ……」
言われるまま、おそるおそる隣に行って腰をおろす。立ってるのに座った僕より小さいひいおじいさんは、食い殺さんばかりの目で、僕の胸の桃色の石を見つめる。
「おぃぃ……こりゃ……スイジンの結界石じゃねえか……。なんでそんなとこに、嵌って……こりゃ……おぃぃ……」
ひいおじいさんの気配がいよいよ険悪になる。
すいじん? すいじん、って何だ? あとでもっと詳しく訊かなきゃ……。
でもそんな機会が来るんだろうか。雰囲気からいって、すぐにでもここから追い返されそうだ……。
「ひいおじいちゃん……ねエ、ひいおじいちゃん……怒るのは無理ないケド、その子はイイ子だかラ……酷いことしないデ……」
同じ雰囲気を感じたのか、リーカが懇願する。
「……ひ孫の頼みでも、儂ぁ守り人よ、叩き出すもんは叩き出すわぃ……。じゃがのぅ、なぜじゃ。こいつのどっかからよぅ、身内の匂いがするんじゃぁ……。おい、本当にこいつは、口がきけねえのかよぅ……」
身内の匂い。身内……。
あ、と思った。そうか。そうだった。
この人は、ナドラバの血族かもしれないんだ。
ナドラバはリーカの従兄弟なんだから、この人はナドラバのひいおじいちゃんでもある可能性がある。
例によって、ナドラバの記憶には存在してないけど……。
僕は、急いで石板を呼び出す。
「……うおっ……なんじゃ、その妙な術はよぅ……」
「何回見ても、ヘンだよネ」
そ、そんなにヘンな術なの? まあ、ルズラさんの術はどっか規格外っぽいからな……。
<ナドラバという子供を、ご存知ですか。>と僕は書き、ひいおじいさんに見せる。
「……ナドラバは、儂のひ孫じゃぁ……。親ごと死んでしもうたぁ……」
声が一段と低く小さくなる。
「その名、簡単に口に出すんは、儂ら一族へ喧嘩売ることじゃぁ……覚悟はあんのかぁ……?」
威圧感に押しつぶされそうなのをこらえて、僕は字を書きつづける。
<にわかには信じてもらえないかもしれませんが……僕は、ナドラバの記憶と術を受け継いでいます。>
「……はぁぁ!?」
「エ」
ひいおじいさんとリーカの口がぽっかり開いた。
☆★☆★☆
「そうかそうか……。そんで、ナドラバの好物をも一度食べさせるためにのぅ……。ボンは優しい子じゃのぅ……」
さっきまでとは別人だ。
僕が石板で、ナドラバと僕の出会いの物語を簡単ながら語ってゆくにつれ、ひいおじいさんの態度はみるみる軟化した。
なにより、僕が大地叫喚を使ってみせようとしたことが大きい。「そこまでじゃぁ」と途中で止められたけど、その時から僕の話を全面的に信じる態度になった。呼び名もいつのまにか「ボン」になってる。
「で、ハルエリートの塊ヲ探しに行くはずなのニ、なんでか岩人王に会ウって話に変わっテテ。そのコト、ライダナさんから教えてもらっテ。おじいちゃんに相談したラ、ついてって助けロって。おじいちゃん、初めて見たときから御子のコト気にしてたケド、ナドラバ兄の気配を感じてタのかナ……」
リーカが裏で何が起きてたかを話す。そうか、リーカに情報流したのはライダナさんなのか……。でも、なぜだろう?
「儂としたことがよぅ……バカ息子に初見で見抜けたもんが見抜けねえとはよぅ……」
悔しそうなひいおじいさん。
「しかしボンよぅ、なんでまた岩人王なんぞという悪党と会おうと思ったんじゃぁ?」
<ナドラバは、王に命じられて、「赤い光」を探してました。そして見つけたけど、忘れてしまったそうです。赤い光って何か、王に聞こうと思ってました。>
僕がそう書いて見せたとたん、またひいおじいさんの気配が変わった。ぴん、と空気が張りつめた。
「……なんてこった……。そうだったのかよぅ、王族のやつら、ナドラバにそんなことをよぅ……」
小さなずんぐりむっくりの身体が、灰色からかすかな黄褐色に変わる。
やり場のない憤りが伝わってくるようだった。
でも、こんな状態のひいおじいさんに、僕は聞かないといけない。ナドラバのために。
<ひいおじいさんは、「赤い光」が何か、ご存知じゃないですか?>
「……ああ。知っとるぞぃ。儂が、ここにいる理由も、それに関係しとるわぃ……」
<それは、何なのですか。>
「答えられん」
え。
「すまんのぅ、ボン。儂はもうボンのことを信じとる。が、守り人としちゃ、漏らせんことは漏らせんのじゃぁ……。儂は、大事なもんを守るためにここにおる。すまんなぁ……」
……つまり。それほどのことなんだ。
この尋常じゃない重みを感じさせる小さなおじいさんが、守らなきゃいけない秘密なんだ。「赤い光」は。
「ボンよぅ……。ボンの中にナドラバがまだいるなら、伝えておくれ。見つけたもののことを忘れちまったのは、おまえのせいじゃねえってなぁ……」
<……僕の中の、ナドラバはいま、聞いてくれてると思います。>
「そうかぁ……。そうかよぅ……。じゃあ、これも聞こえとるかのぅ……」
ひいおじいさんは低く呟きはじめる。
「ナドラバよぅ……。見つけてしまったんじゃのぅ……。それほどの才だったんじゃのぅ……。封じられたもんに近づいて、見つけて、記憶をなくすまで……つらかったじゃろ。……ようがんばったのう……」
とぎれとぎれの言葉は、ずっと続いた。
「儂ゃなんにも知らんかったぁ……。すまん……すまんのぅ……。ナドラバよぅ……。とうとう会えなかった、儂のひ孫よぅ……」
悲痛な呟きのあいだ、僕は黙って火鉢の中の火を見つめ、リーカは静かに目に涙をためていた。
次話「見えない石の秘密」は、明日18時投稿予定です。