第9話 アインの最奥
ガシュッ! と硬い音が響いた。
岩人王の右人差し指の針は、ルズラさんの斜め後ろからお腹を破って突き出る。
ルズラさんは声もあげず、銀色の凶器の先端に縫いとめられて完全に動きを止めた。
「ルズラっ!!!」
ネテラさんの悲痛な声だけが響く。
僕は一歩も動けない。ただ呆然と、針の先で突然命のない人形のような印象に変わったルズラさんを見た。僕だけじゃなく、誰も動けないままの凍りついた時間が数瞬流れた。
「王ッ!!! デンドール!!!」
ようやくガジルさんが吠えた。右腕をのぞくと半身を石に埋めたままの岩人王のほうへ猛然と踏み出す。
そのとき、声がした。
「……その者は、王ではありませんよ。姿形を似せてあるだけです。会話していたのも別の者ですよ」
ルズラさんの声だった。
そして次の瞬間、王の腕が内側から爆発するように弾けた。砂だ。ルズラさんを刺した指と、指につながる手と、その先の腕が一瞬で砕けてまるごと砂に変わり、ざらざらと地面に落ちてゆく。
ガジルさんは低く呻くと動きを止めた。腕を肩あたりから失っても、王は身じろぎすらしない。
「ルズラ!! 大丈夫?」
ネテラさんが猛スピードでルズラさんのもとへ飛ぶ。
「落ち着きなさいネテラ。私たちは地霊ですよ、針で刺して死ぬわけがないでしょう」
ルズラさんはそう言うとくるっ、と回ってみせた。たしかに、もうどこにも貫かれた跡はなかった。
「アハハ……そういや、そうだね。慌てちゃったよ……」
ネテラさんがほっとした声を出す。ルズラさんはそれにはもう答えず、じっとあるものを見ていた。王じゃない。王の右隣にある、閉じられた牢の壁を見ている。
「訊ねたいことは山ほどありますが……まずは貴方の言い分を聞きましょう」
そう言いながらルズラさんが腕を振ると、黄色い壁が消えた。
「いったい何のつもりですか、ガリアス」
壁の向こうには、奇妙なものがいた。
僕の肩ぐらいまでしか身長がない、痩せ細った人形みたいな何かだった。
まるで子供が描いた線だけの人の絵みたいに見える。手も足も体幹もみんな棒みたいな細さだ。そして全身が黒い。
ガリガリの身体は黒褐色の水晶みたいなもので出来てるようで、頭は複雑にカットされた大きくて真っ黒な宝石だった。
ルズラさんたちのように浮かんではいない。頼りない感じで地面に立ってる。
不気味な人形めいた何かは、重たげな頭をわずかにクッ、と傾けた。
突然、耳障りな口調の早口の言葉が爆発的に宝石の頭から流れ出してきた。
「何のつもりも何も俺ぁ命じられた通りにやったのよ、いいかクソ地霊よぉ俺ぁ命じられた通りにやったんだずっとそうだよ俺が俺の意見通して何かやったことなんて一度もありはしねえ、クソ王族と付き合ったのもクソ王族を黙って見てたこともぜんぶ命令通りだってのわかったかクソ地霊、いまのだってそうだ命じられたんだよわかったか意味があるかねえかなんて俺ぁ知るかよだがもうすぐ泣きわめくぞお前は、いい気味だクソ地霊死ね」
……うわあ。
「相変わらず下品ですねガリアス、そして何を言っているのかよくわからないのもいつも通りです。……で? クソ地霊とは私のことですか、貴方も誇りある地霊でありながら!」
ルズラさんはすうっと浮かび上がり、女王のような態度で口の悪い同僚を見下ろした。
「俺をてめえと一緒にすんな知ってるくせに知らないふりすんなクソ地霊、俺ぁ人数合わせで地霊扱いされてるだけだろどうせてめえとは違うんだよそれ知ってて普段見下してやがるくせに今更何言ってやがる面の皮の厚いクソ地霊め死ね」
ルズラさんがすうっ、と息を吸うような動作をした。わずかの間を置いて、抑えた口調で問いかける。
「……ガリアス、実力行使する前に、必要なことだけ聞いておきましょう。どうやって、私の檻を抜け出したのです? どうやって、王の牢を開け王とゴーレムを入れ替えたのです? それにどうやって、私たちがここに来ることを知ったのです?」
そうか、王のふりをしてルズラさんを襲ったあれは、ゴーレムだったのか……。
「俺がしゃべると思うのかよ暴力クソ地霊、俺が孤立してると思い込んでたお前は何もかも全部間違えてんだよ強い味方持ってるのは俺のほうだ全部仕組まれてるんだよバーカバーカバーカ泣けクソ地霊」
「……味方、ですって?」
「ヒャハハハハわかんねえだろクソ地霊いつもいつも見下しやがって泣きっ面さらして這いつくばれよこのク」
息継ぎもなく滔々と流れていた言葉が、突然ぴたり、と止まった。細い線状の身体が硬直した。なんだ? ガリアスとかいうこいつは、いま何かに強く怯えた。
「まあいいやそろそろだそろそろ、おい早く来いそろそろいい加減にしろそろそろだ効かなきゃ俺ぁ困るんだよ効け効け……来たおらぁぁぁ死ねクソ地霊!!!」
ガリアスが絶叫した次の瞬間。
ルズラさんは前触れもなく、ぽとり、と地面に落ちた。
一瞬、起きたことが信じられなかった。
他の人たちの反応は速かった。ネテラさんが無言でルズラさんに飛びついて、顔をのぞきこむ。彼女たちを守るようにガジルさんがそばに立った。
なのに僕はルズラさんたちから数歩離れた場所で……何もできず、何ひとつ動けないままだった。
「ぐうう……」
ルズラさんはかすかな声でそう呻いて、土のうえでもがく。
すっくと立ってないルズラさんを初めて見た。それがこんな苦しそうな姿だなんて……。
「ヒャハハハハハハ!!! ざまあ見やがれっ毒だよ毒お偉くてお強い地霊様にも効く麻痺毒ってやつがあるのさぁぁバーカバーカ!! そこで大事な大事な御子とやらが捕まるのを黙って見てろクソ地霊!!!」
部屋中の牢の黄色い壁がいっせいに消え、岩人たちが進み出てきた。岩人にしか見えないけど、間違いなくゴーレムだ。
五体、いや、六体のゴーレムが……僕のほうへ突進してくる!
「イカン! 骨ノ子、コチラヘ!」
ガジルさんが僕を見て叫ぶ。
その時、別の方向からもうひとつの叫び声がした。
「違ウ! こっチ! 信じテ! ここニ来て、御子! 信じテ!」
リーカだった。いつのまに移動したのか、部屋の隅に立ってる。口に両手を当て、全身を使うようにして声を張り上げてた。普段のリーカとはまるで違う。
「御子! お願イ!」
僕は迷わなかった。
ガジルさんと一瞬だけ目を合わせたあと、リーカのほうへ走る。掴みかかってくるゴーレムの腕をくぐりながら四足になる。
(ポン、ポン!)
二歩でリーカのもとへ辿りついて見上げる。リーカは小さくうなずいた。そして叫んだ。
「巨いナル地のアルジ、我ガ声を聴いテ!」
三体のゴーレムがずんずんと走り寄ってくる。やばい、部屋の隅で囲まれたらもう逃げられない。
「……滑るヨ!」
リーカが突然、しゃがみこんで僕の首筋を抱きしめた。滑る? 何のこと?
そう思った次の瞬間、スッと地面の感触が消えて足元が斜めになった。
突然現れた斜面の先は暗い穴だ。
(えええええええええーっ!!!)
絶叫したけど声は出ない。次の瞬間、僕は見事に転倒して背中から倒れた。
そのまま暗闇の中へ滑り落ちてゆく。
視界が一瞬で真っ暗になり、加速感と背中のすべすべした感触と、しがみつくリーカの腕の感触だけが残る。
(おいいいいいいいいー!!!)
僕はなおも叫んでたけど、もちろん誰にも聴こえなかった。
☆★☆★☆
「……着くヨ!」
リーカの声が耳元でした。僕はハッと我に返る。
完全に意識がとぎれてた。まだ視界は真っ暗闇だ。
ときおり曲がりながら、えんえんと滑り落ちつづけてる感覚だけがずっと続いてる。滑り始めは背中が斜面についてたけど、今は右脇腹だ。不思議なことに痛くはなかった。
「……着くヨ!」
もう一度リーカの声。彼女の腕の感触が離れていった。
着くってどこへだよ……。
と思った次の瞬間、脇腹の下から斜面が消えた。
いきなりのことに僕は全く対応できない。右向きに寝た体勢のまま、地面に滑り落ちた。
(あだだだ!!?)
衝撃で僕は内心情けない声をあげる。
結局、地面に腹ばいになって止まった。幸運にも土は柔らかくて思ったより痛みはなかった。
「もウ。二回も言ったのニ」
不満そうなリーカの呟きが聞こえた。そんなこと言われても……。
「燃えるモノ現れヨ」
リーカが呟く。暗闇に小さな火が現れるのを僕は腹ばいのまま見た。
リーカはどこからか取り出した小型のランタンに指先の火を入れる。
僕はようやく起き上がって、身体についた土を払う。
ランタンの光でやっと周囲が少し見えるようになったけど……何もない。
土の地面があるだけだ。周囲に壁もなく道もないようだった。天井はあるんだろうけど、ランプの光が届かない。
ここはどこだ。
問いかけたいけど、石板に書いて出してもこの暗さじゃまともに読めそうにない。
「巨いナル地のアルジのシモベ……シモベヨ……」
リーカはランタンを掲げたまま小声で呟いて、そのままじっと何かを待ってる。やがて、ほっとした表情になりかすかに笑ったようだった。
「ついてきテ」
そう言うなり歩きだす。もうちょっと説明してほしいんだけど……。
しばらくの間、リーカの後をついて無言で歩く。地面は岩になったり砂地になったりするけど、周囲にはずっと何も現れず天井も見えなかった。
「……アイン=ランデ」
突然、前をゆくリーカからそんな言葉が聞こえた。
それきり、また黙々と歩く。なんのこと、と聞き返すこともできない。
しばらくして、また声がした。
「……ここノ名。<アインの最奥>。アインの山ノ底ノ底。普通に穴ヲ掘ってモ、辿りつけない場所」
リーカが立ち止まった。
「そしテ私の、ひいおじいちゃんガいル場所」
ほら、と言いながらリーカは少し横にずれる。
……あ。
前方に小さな小さな光が見える。暖色の灯らしきものがまたたいている。
「……私ガ今日、無理やリついてきたのハ、いざトいうとき、ここヘ連れてくるたメ」
そうだったのか……。僕を助けてくれるためだったんだ。
毒を受けたルズラさんや、ガジルさんやネテラさんのことが心配ではあるけど……リーカに感謝しなきゃ。
リーカがここへ導いてくれなかったら、たぶん僕はゴーレムに簡単に捕獲されてた。
前にいるリーカの背中にためらいがちに手のひらを当てる。
石板を見せることもできないから、こんな表し方しかできないけど……。
「……まア、私もひいおじいちゃんニ会えるシ。一挙両得。行こウ」
少し早口で言いながら歩きだすリーカの背中を追って、僕はアイン=ランデを歩きつづけた。
次話「守り人の嘆き」は、明日18時投稿予定です。