第7話 隠されたもの
意識を取り戻したとき、僕は膝枕されてた。
……ガジルさんに。
「気ガツイタカ」
深くて暗い淵みたいなところから浮上してみると、真っ黒な大きい顔が覆いかぶさってて、重低音のような声でそう言われた。思わずビクッ! として丸くなる。
「大丈夫ダ」
「大丈夫だ、ではありませんよ、ガジル! 御子を驚かせるなどとんでもない!」と、ルズラさんの声。
「ム、イヤ、シカシ……」
アハハ! といつもの笑い声が聞こえ、「いやいやさすがにそれは可哀想よ。ガジル君は悪くないっしょ今のは」とネテラさんの声がした。
頭を起こして状況を確かめる。なんと僕は身体ごと、胡座をかいたガジルさんの膝の上にいた。
ど、どういうこと……?
「ム、オマエガ、イキナリ倒レタノデナ。地面ニ寝カスワケニモイカヌシ、他ニ人モオラズ……」
「あたしとルズラじゃ膝枕はできないし。リーカちゃんに頼んだんだけど、断られちゃってさあ」
残念だったね! とネテラさん。そんなこと頼まないでよ……。
「こノ場合、膝枕ハさほど意味ガないと思ウ。私の膝、あまリ柔らかくないシ」
そう淡々と語るリーカに、「いやいや、大事なのは気分よ気分!」とネズラさんが答える。
たわいもない会話を聞いてると、さっきのおそろしい感覚がすうっと遠ざかる気がした。
それが今はとてもありがたい。
僕はひとつおおきく息をつくと立ち上がって、石板を呼び出しガジルさんに<ありがとう>と書いてみせた。
「椅子に座っておられた御子は、いきなり震え始めたかと思うともがき苦しまれ、そのまま横に倒れて頭と右半身を地面に打ちつける形となったのです。……大丈夫ですか? ご気分は?」
ルズラさんがそう言いながら、顔のすぐそばまで来て頬をさすってくれる。うん、たしかにちょっとだけ右腕が痛いけど、たいしたことない。
気分のほうは……あの気持ち悪さはだいぶ消えてた。でも、まだ少し平衡感覚がおかしい気がする。胸の奥に、もやもやした何かが溜まっている感じもしてた。
<なんとか……大丈夫です。>
「そうですか。でも、今日はもう帰りましょう。ナドラバのためとはいえ、御子が身体を壊されたら本末転倒ですよ」
「そうだねー。正直、ナドラバ君の術があんなに負担がかかる術だったなんて、あたしもビビったよ……」
地霊ふたりがそう言うのなら、今日はもう帰るべきなんだろう。
僕はすぐうなずいてみせた。
そうだね、祭殿に帰って眠って、さっき見た星の群れがなにを意味するのか……ナドラバと話してみたい。
「ウム。ソレガイイ」
ガジルさんは僕をひょいと抱き上げて右腕に抱え、ドスドスと歩き始めた。
☆★☆★☆
でもその夜、僕はなかなか眠れなかった。
祭殿の自分の部屋の寝台に横になっても、眠気がやってこない。ふと気がつくと、あのいちめんの星のイメージを思い浮かべてる。
いつもは決まった時間になると、どんなに寒くて震えててもいつのまにか眠ってしまってるんだけど、今夜に限っては全くダメだ。
……あれっ。
僕は、不思議なことに気がついた。
ここ数日感じていた、あの寒さが消えてる。それどころか、身体が火照ってる感覚がある。
そうか。だから眠れないんだ。僕はこのポカポカする感覚に慣れてない。
我ながらヘンだなあと思う。寒くて震えてると眠れるのに、身体が温まってると眠れないなんて。
しばらく横になったまま努力してみたけど、眠気はやってこなかった。
仕方なく部屋を出て、夜の祭殿の中を少し歩くことにする。居間や玄関受付のランプはほとんど消えて室内は暗かった。
奥のほうから小さな声が聞こえる。台所だ。
そっと覗いてみると、巫女のライダナさんとフェイデさんが暖炉のそばで座って何か飲んでいた。
「あらあ、御子! どうなさったんです~?」
「鉱山で倒れられたとカ。まだご気分が……?」
ライダナさんは普段とまるで違う陽気な話し方で、フェイデさんは真面目に心配してくれる口調だった。石板を取り出し、<大丈夫です。気分はいいです。ただ、眠れなくて。>と書いて見せる。
「そうですカ~。私たちも眠れなくて~。そんなときは寝酒ですよ~!」
「こら、御子はお飲みになれないでショ。だいいち子供にすすめちゃダメ!」
見ると二人とも手に石のコップを持っていた。「冗談よ~」といいつつ、ライダナさんは中の液体をぐびっと飲む。
<お酒なんですか?>と、ちょっと興味をひかれた僕は書く。岩人たちが路上で飲んでいる黄金色の液体と違い、無色透明に見えたからだ。
「ええ、地下で育つ穀物がありまして、それを原料にネテラ様が作られる特別なお酒なんですヨー。ルズラ様の祭殿にもお裾分けがもらえて、これが香りがよくて美味しいんですヨー。祭殿の巫女のちょっとした役得ですネー」
フェイデさんの口調も少しずつのんびりになってきて、話し終えるとくいっと杯を傾けて幸福そうに笑った。
「ほら~、とってもいい香りなんですヨ~」
ライダナさんがカップを差し出してくる。顔を近づけてみると、ふわりと爽やかな香りがした。柑橘系だ。嗅いでるだけで、気分がすっきりする感じがする。その奥に、とろんとした酒精の香りがあって……。
あ、眠くなってきた。急激に。
「あらあら、おねむになられましたネー。お部屋へお送りしますヨー」
フェイデさんが赤ん坊に語りかけるような口調でそういうと立ち上がって肩に手を回す。その身体からもお酒の匂いがして、僕の意識はふわふわと遠くなっていった。
☆★☆★☆
夢の残り火。
ぱちぱちと燃える焚き火の前でいつもみたいに膝を抱えてたナドラバは、珍しく、近づいてきた僕のほうを見上げた。
小さくうなずいて、彼のそばに座る。
「僕も、見てきたよ」
「……うん。わかってる」
いつものように、断片的なやりとり。いざこうして夢の中で隣にいると、何から訊けばいいのか思い悩む。たくさん知りたいことはあるのに。
「君があれを……。あの光だらけの凄いのを忘れるのも、無理はないと……そう思った」
火を見つめたまま、小声で呟いてみる。答えは返って来ず、ナドラバがわずかに身動ぎする気配がした。
「ぼくは……あれを、わすれたんじゃないよ」
「え?」
「つたえられないだけ。かくされてるから。たとえ君でも、つたわらないだけ」
「え?」
隠されてる? どういうこと?
「なにが隠されてるの? 君の術が? あの星みたいな光が? あの光って、地面に埋まった貴石ってやつだよね? 場所がわかれば普通に掘り出せるのに、隠されてるの?」
思わず、一気にまくしたてる。夢の中だと僕の口はよく動く。
「……石たちは、ただのかけら。おおきなものから、こぼれおちただけ。かくされてるのは、おおきなものだよ」
ナドラバは淡々と言葉をつむぐ。
「君も、みたとおもう」
「……え?」
ナドラバの言葉に考え込む。あの強烈なイメージ体験を、なんとか思い出そうとする。
……あ。
たしかに最後のあたりで、遠くで星たちがいっせいに揺らめくのを感じた。なにか巨大なものが奥の奥にいるのを感じた。
「……あれか!」
「そう。あれがなにか、ぼくはしらない。でも、星はみんな、あれのかけら」
そうか。……デエルレスクの地下深くには、何かがあるんだ。とても大きくて謎だらけなものが。
その何かは、記憶を共有してるはずの僕ですらナドラバの記憶のその部分が見えなくなるぐらい、厳重に隠されているんだ。
「あれは……君が見つけたのに忘れてしまったものと、関係があるんだね」
「うん。……たぶん」
ナドラバが隣で息をすっと吸って、話しだした。
「ぼくは王さまから、こういわれた。赤いものをみつけろって。赤いひかりをみつけるのが、おまえの仕事だって。そして、ずっと赤いものをみつけるために、あれを見つづけた」
赤いもの。赤い光。
……あ。
そうだ。僕が見た、あの無数の星の群れ。そのほとんどは白だったけど、黄や青や茶色も混ざってた気がする。緑っぽいのもあったような気がしなくもない。
……でも。
「……赤は、なかった。なかった気がする」
考えが声に出てしまう。
「うん。でも、ないはずの赤をみつけろって」
なんだその命令。意味がわからない。
「……理不尽だよね」
「りふじん?」
「ああ。ひどいね、ってこと」
「……うん。ぼくは、あの光をみるのは、きらいじゃなかったよ。からだ、あたたかくなるし」
ああ、ナドラバもそうだったのか。やっぱりあの奥義には寒さをやわらげる効果があるんだ。理由はさっぱりわからないけど。
「でも、赤いひかりをさがしてると、どんどんさむくなってくる。からだが、こおってくる。だから、つらかったよ」
「……逃げちゃえば、よかったのに」
思わず口にした。そして次の瞬間には後悔した。
「どうやってにげるのかも、わからなかったよ」
うん。そうだよね。
「ごめん……」
「うん」
「君は……見つけたんだね。赤いものを」
「そう。でも、わすれちゃった。とても、だいじなものだって。そうおもうのに、わすれちゃったんだ」
ナドラバの声は苦かった。そうか。
たとえ理不尽な命令でも、人生の大半を使ってがんばった仕事の成果。それを忘れてしまったことが、ナドラバにはつらいんだ。
……あんなに絶望して自分に閉じこもっていても、まじめな、素直な子だったんだよね。
「僕に見つけられるかどうか、わからない。でも、できるだけのことはしてみるよ」
「うん。ありがとう。あと、スープのことも、ありがとう」
「うん、あの……ごめんね。ハルエリート、見つけられる気がしない」
あんな星の群れの中から、お目当ての石を探すなんて無理にもほどがある。ナドラバ、よくそんなことやれてたね……。
「なれたら、できるよ」
ナドラバ先輩さすがっす。でも自分には無理っぽいっす。
「……ふふ」
隣のナドラバが、僕の知ってるかぎり、はじめて笑い声をあげた。
☆★☆★☆
「ふふふ……」
ナドラバの夢から醒めると、小さな笑い声が聞こえる。ナドラバの笑い声とその笑い声がつながって、一瞬、自分が起きたのかまだ寝ているのかわからなくなる。
笑っているのは、枕元にいるルズラさんだった。今朝も、僕の寝顔を見てたらしい。もう慣れたけど。
「……あ。御子、申し訳ありません、起こしてしまいましたか?」
まだ少し混乱した意識のまま、首を横に振る。
「御子がとても幸せな夢を見ておられたようで、思わず私も嬉しくなってしまいました」
そうかあ。たしかに、夢の中でナドラバと、これまでにないぐらい長く話せたのはとってもよかった。満ち足りた気分が、僕の中に残ってる。
というかルズラさん、僕の寝顔を見て僕の感情がわかるんだ……。頭蓋骨だけなのに。
「ご気分もよいようで何よりです。ですが、無理は禁物ですよ?」
ルズラさんは今朝も、顔に貼り付くぐらい近づいてそう囁く。でも、心配してくれるルズラさんに、僕はこれから無茶なお願いをしようとしてる。
上半身を起こして、石板を呼び出した。
<すみません。ルズラさんに、今日もお願いがあります。>
「御子?」
起きるなり真剣な様子に戸惑ったのか、ルズラさんの声が訝しげになる。僕は、続けてこう書いた。
<僕を、岩人の王さまに会わせていただけませんか?>
次話「岩人王の檻で」は、明日18時投稿予定です。